石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

高島城(長野県下諏訪市) 諏訪湖畔の水城

「諏訪の浮城」とも呼ばれた高島城。現在は内陸部にありますが、諏訪湖畔に築かれた水城でした。杮葺(こけらぶき)の渋い天守が特徴です。

日本100名城

2022年8月登城

満足度:★★★

 

歴史

1582年に諏訪の領主になった諏訪頼忠は金子城を築き、1590年に武蔵国へ転封するまでの拠点としました。後に高島城が築かれたときに金子城の石材が再利用されたと伝えられています。

豊臣秀吉の家臣の日根野高吉は小田原攻めの功績により、1590年に信濃高島に入封しました。高吉は金子城を廃し、新たに諏訪湖畔に城を築きました。こうして1598年に完成した城が高島城です。

1600年に高吉が死去し、子の吉明が跡を継ぎますが翌年下野国へ転封となり、諏訪頼水が旧領復帰を果たして戻ってきました。以降、諏訪家が10代続き、明治維新を迎えました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR新宿駅から特急あずさに70分乗車し、上諏訪駅下車。上諏訪駅から徒歩15分。上諏訪駅のホームには足湯があって、電車の待ち時間に楽しむことが出来ます。

 

縄張図

高島城は諏訪湖の湖畔に築かれ、北から順に、三の丸、二の丸、本丸が置かれていました。ただ、城の南北で高低差があるわけでもなく、横から直接本丸を攻められたらどうするんだろって、思ってしまう縄張りです。

諏訪家からしたら、9年振りに領地へ戻ってみれば、自分の居城は無くなっていて、全く知らない城があったという悲劇ですよね。

 

城歩き

上諏訪駅から南に向かって、高島城本丸を目指して歩きます。二の丸、三の丸の遺構はほとんど残っていませんが、当時の名残を見つけることが出来ました。

 

並木通り

当時は水田と蓮池の間に大手へ向かう一本道がありました。現在、水田と蓮池は陸地になっていますが、当時の道は並木通りとして残っており、直角に近いカーブが2ヶ所ありますね。

 

三の丸跡

衣之渡川を渡ると三の丸に入ります。城の遺構は残っていませんが、信州一味噌の本社があり、丸高蔵がありました。豆知識ですが、清酒「真澄」で有名な宮坂醸造が始めた味噌事業が、現在の信州一味噌なんですね。

 

二の丸入口

丸高蔵からの道を真っ直ぐ南に進み、中門川を渡ると二の丸に入ります。橋の手前に珍しい遺構がありました。

 

三の丸湯跡

高島城 三の丸湯跡

なんと、かつてここには藩主専用の浴室と汲み湯場が設けられていました。その後、城内居住の藩士も利用可となり、1926年(大正15年)には市民にも開放され、1996年(平成8年)まで営業していたそうです。これは入りたかったな。

 

二の丸南

中門川を渡って真っ直ぐ道を進むと、本丸北の堀に突き当たりました。ちなみに現在の二の丸は普通の住宅街でした。

 

天守

高島城 天守

本丸北西隅に建つ天守。道中に城らしさが皆無だったので、唐突に現れた印象。

 

木橋と北東角櫓

高島城 冠木橋と角櫓

本丸北東には冠木橋と北東角櫓が見えました。本丸には冠木橋を渡って入ります。

 

天守と冠木橋

高島城 天守と冠木橋

高島城で一番撮られるアングルです。天守の東側の堀(湖)は干拓されているので、この角度でしか天守と堀を一緒に写せません。

 

冠木門

高島城 冠木門

冠木門を通って本丸に入ります。櫓門で復元されていますが、当時は楼門あるいは高麗門だったとのことです。

本丸内

本丸内は公園になっており、庭園が造られています。天守に直接向かう前にぐるっと回ってみましょう。

 

御川渡門跡

高島城 御川渡門跡

本丸西にある御川渡門跡。かつては湖に面しており、ここから舟に乗ることが出来ました。現在は三の丸御殿の裏門が移築されています。

 

土戸門跡

高島城 土戸門跡

高島城 土戸門跡

本丸南には土戸門があり、城の勝手口でした。正門である冠木門を通行できる資格のない者は全て土戸門から入城したそうです。

 

三の丸温泉

土戸門跡を出たところには温泉がありましたよ。蛇口をひねるとお湯が出てきました。アチチ。

 

天守

高島城 天守

再び本丸に戻って、北西隅の天守へ上ります。石段を上ると天守入口に着きますが、この石段は天守復興時に造られたようです。当時はどうやって上っていたのやら。

 

天守

天守もあったようですが、かなり改変されているようでよく分かりませんでした。

 

西からの天守

高島城 天守

かつて湖面だった西側から天守を見上げてみました。高島城の天守の特徴は、屋根が瓦ではなく、杮葺(こけらぶき)だったことです。地盤が弱いので重い瓦を使えなかったからとも言われていますが、お金がなかったからだと個人的には思います。

 

天守再建前の天守

天守再建前の昭和に撮られた天守台。天守台だけぽつんと残っていますね。

 

天守からの諏訪湖

天守最上階から諏訪湖を眺めてみました。現在は湖岸から1キロほど離れていますが、当時は城下に湖面が広がっていました。確かに真っ平らでした。この湖を干拓した人間の力ってすごいですね。

 

感想

水城としての遺構はほとんど残っていませんが、天守台の石垣が見事でした。城内に温泉を引き込むなんて、住みやすそうな城ですね。三の丸に平成8年まで残っていた温泉銭湯に入りたかったな。それだけが残念です。