石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

佐敷城(熊本県葦北郡芦北町) まるで古代遺跡のような城

メジャーではありませんが、期待以上に良かった佐敷城。一国一城令島原の乱後の2度に渡り破却された城ですが、佐敷町によって近年整備され、2008年には国史跡に指定されました。城跡からの眺めもよくお薦めです。

2021年12月登城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

佐敷城が築かれたのは、加藤清正が北肥後に入国した1588年から1592年の間と考えられています。当時の佐敷地区は飛び領地であり、薩摩の島津、人吉の相良、南肥後の小西の抑えとして築かれた境目の城でした。

1592年、城代の加藤重次が朝鮮出兵で留守になった隙に、島津家家臣・梅北国兼が佐敷城を乗っ取る事件が起きます(梅北一揆)。一揆はまもなく鎮圧されますが、黒幕とされた島津家三男・島津歳久が自害させられるなど、その処罰は過酷でした。

1600年の関ヶ原合戦の際には、西軍の島津軍の攻撃を耐え抜き、その堅固さを発揮しました。その後も改築が行われましたが、1615年の一国一城令で廃城となりました。更に1637年の天草・島原の乱後には、一揆の拠点にならぬよう、徹底的に破壊されました。

その後長年に渡り埋もれてきましたが、1979年(昭和54年)の城山公園整備の発掘調査で石垣や瓦が出土します。1993年(平成5年)から佐敷城の発掘調査が実施され、1997年(平成9年)から翌年にかけて石垣も整備・復旧されました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR新水俣駅から肥後おれんじ鉄道で佐敷駅まで18分。八代駅からだと40分前後。肥後おれんじ鉄道って、新幹線が通る前は鹿児島本線の一部だったんだよな。

佐敷駅からは、山道ありで搦手門跡まで徒歩20分。googlemapだと遠回りだけど車で行けるルートが示されて、佐敷城駐車場まで徒歩30分弱。

 

天守について

佐敷城に天守が建てられていたかですが、1605年(慶長10年)の慶長国絵図には三層白亜の天守がちんまりと描かれています。ただ、絵図自体がラフに描かれており、熊本城も三層白亜の天守に描かれていることから(実際は黒の3重6階)、城という記号的意味合いが強かったように思えます。

1993年(平成5年)からの発掘調査でも礎石が見つかりませんでした。ただ、天草・島原の乱後に徹底的に破壊されたことから、絶対無かったとも言い切れません。

平成の町長選挙では、天守を復興するかしないかも争点になりましたが、反対派の新顔が当選し、現在のように整備されました。個人的には正解だったと思います。

 

登城の道

車だと東からの登城道が便利ですが、駅から徒歩だと遠回りになってしまいます。面倒だなと思いましたが、しろやまスカイドーム方面から山道を登るルートがあることを知り、迷わずそのルートを選択しました。

 

佐敷駅

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佐敷町は釣りマンガの舞台になったらしく、駅舎内に展示がありました(すごいね)。駅の出口が城と反対側なので、城に向かうには陸橋を渡る必要があります。

 

佐敷城遠景

佐敷城

駅からでも佐敷城がびっくりするほどよく見えますね。芦北コミュニティセンターを通り抜け、しろやまスカイドームに向かって坂道を上っていきます。

テニスコート横道

坂を上りきったら、スカイドームとは反対側にあるテニスコートの横道を通って、奥の山に向かいます。

 

登城口

ようやく登城口に着きました。駅から10分かかりました。城まであと一踏ん張り。

 

登城道

体力不足でゼイゼイ言いながら、とにかく上を目指すのみ。比較的歩きやすい道ですが、帰りは焦ってコケました。

 

分かれ道

途中で分かれ道がありました。案内板は出ていないのですが、真っ直ぐ進むと北出丸、右に曲がると駐車場に出ます。

 

北出丸

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いかにも曲輪らしい場所に出ました。石垣が崩されている様子も見受けられます。いよいよ最後の上りです。

 

本丸石垣

佐敷城

登城口からここまで10分弱。予想以上の立派な石垣に度肝を抜かれます。駐車場からの登城客もここから城内に入ることになります。

 

城歩き

縄張図(芦北町教育委員会制作パンフレットから)

佐敷城 縄張図

本丸・二の丸・三の丸が南北に一直線に並び、それらを北出丸・東出丸・南出丸が囲むように守る縄張りとなっています。山麓東には御殿曲輪がありましたが、現在は教育センターの敷地になっています。

 

北出丸

佐敷城 北出丸跡

北の守りを固める北出丸。ちなみに先程上ってきた登城道の出口は、この出丸の付根部になります。

 

本丸石垣

佐敷城 本丸石垣

佐敷城 本丸石垣

山頂の石垣がまるで戦艦のよう。当時はもっと石垣が高かったかもしれませんが、徹底的に破却されていたため、本当の高さは誰にも分かりません。佐敷城は南端に本丸がありますので、石垣と土塁の高さが本丸と二の丸の合計分です。

 

本丸西門跡

佐敷城 搦手門跡

佐敷城 搦手門跡

佐敷城 搦手門跡

搦手門にあたる本丸西門跡。本丸西門とありますが、実際は二の丸に繋がっている帯曲輪への門跡になります。また、ここから桐紋の鬼瓦が出土しました。

 

本丸石段

佐敷城 本丸

佐敷城 本丸

佐敷城 本丸

西門跡の石段を上がると、更に本丸への石段が続きます。縄張りで面白いのが、さほど広くない本丸が通路で南北に別れています。これって、意味があるんですかね?

本丸(南側)

佐敷城 本丸

佐敷城 本丸

とうとう本丸(南側)に辿り着きました。ベンチ等は無く、ただただ芝生が広がっています。

 

佐敷湾方面

邪魔な木が一切無いので、見晴らしが抜群に良いですね。現在は遠くに海が見渡せてますが、以前は山裾まで湾が入っていました。あの佐敷駅からてくてく歩いてきたと思うとより感慨深いです。

 

二の丸

佐敷城 二の丸

本丸から見下ろした二の丸。櫓とかが無いためか、なんだか普通の公園みたい。

 

東出丸

佐敷城 東出丸

北東に広がる東出丸。昭和の公園整備の際のテーブルとイスが小さく見えますね。

 

本丸東門跡

佐敷城 本丸東門跡

佐敷城 本丸東門跡

佐敷城 本丸東門跡

二の丸には本丸東門跡を通って向かいます。佐敷城は東山麓を通る薩摩街道側が大手でしたので、こちらは大きな門が連続していますね。

 

二の丸

佐敷城 二の丸

ただただ芝生が広がっています。埋もれていた佐敷城の復元にあたっては、石垣を中心に史実に基づいた整備が行われました。

 

三の丸

佐敷城 三の丸

佐敷城 三の丸

二の丸から見た三の丸、三の丸から見た二の丸と本丸。途中で段になっているのがよく分かります。特に二の丸から飛び出たところが不思議な感じ。芝が多いせいか、なんだか前方後円墳のような遺跡に見えます。

 

二の丸東門

佐敷城 二の丸東門

佐敷城 二の丸東門

佐敷城で最大の大きさを誇る二の丸東門跡。とても立派な枡形で、山城とは思えません。発掘時は石材と栗石に覆われており、石段踏石が途中から取り除かれた状態でした。破却の跡でしょうね。

追手門

佐敷城 追手門

佐敷城 追手門

二の丸東門を出て直ぐにある追手門。枡形が連続しており堅固な縄張りです。発掘時にここから天下泰平銘の鬼瓦が出土しており、桐紋の鬼瓦が出土した本丸東門と同様、破却の際に何らかの儀式が行われた可能性があります。

 

枡形出口

佐敷城 追手門枡形を出てすぐが崖になっているため、左右どちらかに分かれる必要があります。その道がとても細く、大手道とは思えないすごい縄張り。

東出丸への道

佐敷城

だって、出丸への道がこんなに狭いんですよ。一歩間違うと転げ落ちそう。この付近の石垣は築城当時のものみたい。

 

本丸方面

佐敷城

南出丸へ向かう途中、振り返って本丸を眺めてみました。まるで軍艦みたい。

 

南出丸

佐敷城 南出丸

南出丸には配水池のタンクがありましたが、2013年(平成25年)に撤去・移設されました。佐敷町の佐敷城に対する熱意が垣間見えました。

 

清正公祠

佐敷城 清正公祠

南出丸には明治に祀られた清正公の祠がありました。御神体が無くなっているので、少し不気味に感じました。人気(ひとけ)もないしね。

 

感想

本丸からの眺めが本当に最高でした。遺跡チックな縄張りも見応えがあり、流石は清正公が築いただけあります。また、この埋もれた城を整備してくれた芦北町(旧佐敷町)にも感謝です。古墳好きにも刺さる城ですぞ。