石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

名古屋城(愛知県名古屋市) 青空に輝く金の鯱

金の鯱で有名な名古屋城。天下普請で築かれた、徳川御三家尾張藩の居城でした。惜しくも空襲で天守を始めとする建物は焼失しましたが、1959年(昭和34年)に天守・小天守・正門が、2018年(平成30年)には本丸御殿が復元されました。

「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」

日本100名城

2023年1月登城、2023年12月登城

満足度:★★★★★

 

 

歴史

名古屋城は古くは那古野城と呼ばれ、大永年間(1521~1528年)に今川氏によって築かれました。それを織田信秀が奪い、嫡男・信長もこの城で生まれたと伝えられています。その後、1555年に信長は清洲に移り、しばらくして那古野城も廃城になりました。

関ケ原の合戦後、大坂・豊臣包囲網の一環として、徳川家康は手狭な清洲城を廃し、名古屋に大城郭を築くことを決断します。1609年に天下普請で西国大名を動員して築城を開始し、1612年には天守が完成します。家康の九男・徳川義直が初代城主となり、幕末まで徳川御三家尾張藩の居城となりました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

市営地下鉄東山線名古屋駅から栄駅まで5分、名城線に乗り換えて名古屋城駅まで4分。名古屋城駅から正門までは徒歩15分弱、東門までだと5分弱です。

ちなみに「名古屋城」の駅名は2022年1月に改称されたばかりであり、以前の駅名は「市役所」だったため、ひとつ先の名城公園駅で下車してしまう悲劇が多発しておりました。

 

 

縄張図

名古屋城近辺標高図「出典:国土地理院発行デジタル標高地形図」

名古屋城は熱田台地の北西端に築かれており、城の北と西は崖になっています。標高差のない南西側には三の丸を築いて防御を固め、三の丸の南には城下町が広がっていました。

また、熱田台地の西側斜面に沿って「堀川」用水路を掘削し、名古屋城下と熱田湊を繋ぐ水上輸送路として活用しました。

 

縄張図(名古屋市特別史跡名古屋城跡の概要」から)

本丸はほぼ方形であり、中心に御殿、北西隅には天守が建てられています。また、本丸表二之門、東二之門の外側には巨大な馬出しが設けられ、二の丸、西の丸、御深井(おふけ)丸が本丸を廻るように配置されています。

直線的でシンプルな縄張りに見えますが、各曲輪は堀で仕切られてブロック化されており、それぞれが天下普請で築かれた高石垣と広い堀で守られています。小細工無用の圧倒的パワー系の縄張りだった訳ですね。

 

城歩き

西の丸・大手馬出

まずは南にある正門から入城し、西の丸を通って大手二の門へと向かいます。

 

正門入口

名古屋城 正門

名古屋城の正門は枡形になっており、手前に冠木門、枡形内の東(右)に榎田門、北と西に多聞櫓が設けられていました。今は入場券売り場がありますね。

 

西の丸南側空堀

名古屋城 西の丸南側空堀

土橋から眺めた西の丸南側の空堀。幅と深さが半端じゃありません。同じく天下普請で築城された大阪城空堀を思い出しました。

 

旧蓮池門(復元)

名古屋城 旧蓮池門

枡形奥右の蓮池門は数奇な運命を辿っています。元々ここにあったのは榎多門でしたが、1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊しました。代わりに1911年(明治44年)に江戸城から移築されたのが蓮池門でした。その蓮池門も1945年(昭和20年)の空襲で焼失し、1959年(昭和34年)に復元されました。

西の丸

名古屋城 西の丸

流石は御三家・尾張藩の居城だけあって、本当に広いですね。手前に見える櫓が本丸西南隅櫓、奥が東南隅櫓です。

 

西南隅櫓と天守

名古屋城 西南隅櫓と天守

空堀越しに西南隅櫓。奥には天守が見えますね。

 

西南隅櫓

名古屋城 西南隅櫓

名古屋城 西南隅櫓

西南隅櫓は1重目の屋根を付けておらず、外観2重、内部3階の造りとなっています。天守と同時期の完成とみられ、元は東と北に多聞櫓が付属していました。

少し不思議なのは、瓦の紋が徳川の三つ葉葵ではなく、皇室の菊であることです。1923年(大正12年)に修理された際、本丸は皇室の離宮として使用されてたため、修理を行った宮内省が菊紋を用いたとのことです。なんだかな。

 

内堀の鹿

名古屋城の鹿

名古屋城の鹿

本丸南側の堀底では、鹿が2匹のんびりしていました。名古屋城では江戸時代から鹿が飼われており、紆余曲折がありましたが現在は2匹います。

 

本丸表二之門

名古屋城 本丸表二之門

本丸表二之門の外側には大手馬出しが設けられていましたが、西側には跡形もありません。明治に本丸が離宮とされた際、通行の邪魔になるので撤去されてしまいました。ただ、反対の東側には残っていますので、先に東南隅櫓と一緒に見ることとします。

東南隅櫓

名古屋城 東南隅櫓

名古屋城 東南隅櫓

東南隅櫓も西南隅櫓と同じ2重3階の構造です。こちらの瓦は徳川家の三つ葉葵の紋ですね。

大手馬出(東側)

名古屋城 大手馬出し

名古屋城 大手馬出し

大手馬出しの西側は残念ですが、東側には空堀と石垣がよく残っています。馬出しと言うには巨大過ぎて、普通の曲輪みたい。

 

本丸・天守

表二之門を通って、本丸御殿、天守を目指します。

 

本丸表二之門

名古屋城 本末表二之門

本丸への入口である表二之門。当時は内側の一之門と枡形を形成していましたが、現在は二之門のみ残っています。

 

本丸御殿

名古屋城 本丸御殿

名古屋城 本丸御殿

2018年(平成30年)に復元再建された本丸御殿。1945年(昭和20年)の空襲で焼失しましたが、資料や写真が膨大に残っていたため、忠実に再建されました。150億円かけただけあって、とにかく豪華で広いです。

 

天守

名古屋城 天守

天守は5重5階の層塔式で、白壁に瓦の緑が映えています。空襲で焼失しましたが、1959年(昭和34年)に小天守と共に再建されました。

ご存じの方も多いと思いますが、老朽化が進み、耐震性の問題もあることから、現在天守内部に入ることは出来ません。また、木造復元の問題があり、2023年現在、再建は進んでいないようで残念です。

 

金の鯱

名古屋城 金の鯱

有名な金の鯱。徳川家の財力を誇示するために金で装飾されました。また、藩が財政難になった際には、3度にわたり改鋳されており、実際にいざというときの資金源でもあった訳です。

 

搦手馬出

 

東一之門跡

名古屋城 本丸東一之門跡

本丸御殿、天守を見学した後、本丸東側の搦手馬出に向かいます。当時ここには東一之門(櫓門)が建てられていました。残念なことに1945年(昭和20年)の空襲で東二之門とともに焼失しました。

 

清正石

名古屋城 清正石

枡形内では城内最大の石材「清正石」を見ることができます。実際にこの石垣を組んだのは黒田長政ですが、地元名古屋出身の武将・加藤清正が運んだと伝わっています。これは流石に長政がかわいそうな気がします。

 

旧二の丸東二之門

名古屋城 旧二の丸東二之門

枡形出口には、空襲で焼失したはずの東二之門がなぜか残っています。実は二の丸東の枡形にあった二之門を本丸に移したものなのです。場所は変わりましたが、重要文化財なんですよ。

 

搦手馬出し

名古屋城 搦手馬出し

名古屋城 本丸東側空堀

東二之門からは搦手馬出しに出られますが、工事中のため通行できるのは一部のみとなっています。本丸東側の堀底には修復のための石材が並べてありました。それでは天守を見に戻りましょうか。

御深井(おふけ)丸

本丸北の不明門から出て、清須櫓のある御深井丸をぶらぶらします。

 

 

不明門

名古屋城 不明門

本丸から御深井丸に抜ける不明門。塀の下に設けられており、普段は施錠されていたことから、「あかずの門」と呼ばれていました。

 

剣塀

名古屋城 剣塀

名古屋城 剣塀

門外側の塀には、槍の穂先が横一列に並べてあります。これは敵が城内へ忍び込めないようにするためでした。云わば、フェンス上の鉄条網みたいなものです。

 

天守

名古屋城 天守台

名古屋城 天守台

名古屋城の石垣は西国を中心とした20の大名によって築かれましたが、一番重要な天守台を任されたのが加藤清正でした。大天守台の北東隅石には「加藤肥後守 内小代下総」と家臣の名が刻印されています。

 

雨樋

名古屋城 雨樋

名古屋城 雨樋

名古屋城天守台にはパイプのようなものがニョキニョキと延びています。天守を再建したときに電線でも通したのかと思っていましたが、その正体は銅製の雨樋でした。江戸時代からあったようで、明治の古写真にも写っています。今まで不細工だと思っててごめんなさい。

 

内堀越しの天守

名古屋城 天守

名古屋城 金の鯱

内堀外から眺める天守。この日は晴天だったので、金の鯱がギラギラ輝いてました。

 

剣塀

名古屋城 剣塀

名古屋城 剣塀

天守と小天守を結ぶ橋台にも剣塀が設けられています。重要施設ということで、特に念入りに侵入者防止が図られていました。

 

乃木倉庫

名古屋城 乃木倉庫

北西の御深井丸にある乃木倉庫。旧陸軍の弾薬庫でしたが、後の陸軍将軍・乃木希典が名古屋鎮台にいた頃に建てられたことから、乃木倉庫と呼ばれています。

1945年の空襲の際、本丸御殿の障壁画や天井絵をここに保管していたおかげで、被災を免れることが出来ました。

 

清洲

名古屋城 清洲櫓

名古屋城 清須櫓

御深井丸の北西隅に立つ清洲櫓。外観三重、内部三階の構造で、現存する三重櫓の中では、熊本城の宇土櫓(3重5階)に次ぐ2番目の大きさを誇ります。

清洲櫓と呼ばれているのは、清洲城の小天守を移築したとの伝承があるからです。解体修理の際に転用材が多く認められたそうで、可能性としてはありそうです。

 

御深井丸北側の堀

名古屋城

正門から御深井丸まで来るのに高低差は感じませんでしたが、石垣からは堀を見下ろすことになります。この城が台地の端に築かれており、地形をうまく利用していることが実感できました。

鵜の首

名古屋城 鵜の首

 

二の丸

二の丸の北側には庭園が、南側にはドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)が建てられています。

 

二の丸庭園

名古屋城 二の丸庭園

二の丸には本丸御殿の3倍の広さの御殿が建てられ、その北側には庭園が造られました。本丸と比べて観光客が少なく、意外な穴場です。

 

埋門跡

名古屋城 埋門跡

名古屋城 埋門跡

二の丸の北西部には埋門が設けられていました。いざというときは埋門から空堀の底に降り、水掘を渡って脱出することが出来ました。

 

南蛮練塀

名古屋城 南蛮練塀

名古屋城 南蛮練塀

二の丸北側には、南蛮たたきで固められた練塀が築かれ、鉄砲狭間が設けられていました。現在の鉄砲狭間は地面に近いですが、当時の地表面は90センチほど低く、直立して鉄砲を撃つことが出来ました。

 

二の丸大手枡形

名古屋城 二の丸大手二ノ門

名古屋城 二の丸大手枡形

二の丸の西側には枡形が設けられ、一の門、二の門が建てられていました。現在は二の門が残っています。

 

ドルフィンズアリーナ

枡形を抜けると、ドルフィンズアリーナが見えました。現在はだだっ広い敷地ですが、当時は二の丸御殿で建てられていました。なぜか猫が多いですね。

 

感想

天下普請で築かれただけあって、どえりゃースケールの城でした。堀の幅の広さと石垣の立派さが際立ちますね。天守に入れなかったのは残念ですが、金の鯱の存在感もピカイチでした。木造復元された本丸御殿も豪華絢爛で、名古屋らしさを満喫できますよ。