石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

岡城(大分県竹田市) 2021年7月 登城

作曲家・滝廉太郎の「荒城の月」のモデルにもなった岡城。建物は残っていませんが、その壮大な石垣はまるで古代遺跡を思わせます。城好きに絶対お勧めの城跡です。

日本100名城

満足度:★★★★★

 

 

歴史

戦国時代の岡城は大友氏家臣である志賀氏の居城であり、島津軍の猛攻にも耐え抜いた堅城でした。

豊臣秀吉による大友氏改易に伴い志賀氏も竹田を去り、1594年に播磨から中川秀成が入封しました。今に残る壮大な石垣は中川氏時代に築かれたものです。以後明治まで中川家の居城となりましたが、明治維新後に廃城になりました。

作曲家・滝廉太郎は幼少期の2年半、竹田に住んだことがあり、1901年(明治34年)に「荒城の月」を発表しました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

大分駅から豊肥本線豊後竹田駅まで70~80分。豊後竹田駅から岡城入口まで徒歩25分弱。岡城入口までのバスもありますが、平日2本しかありません。駅の観光案内所では電動レンタルサイクルを貸し出しています(電動自転車だと10分弱)。

 

縄張り

岡城は、大野川と稲葉川に挟まれた溶岩台地上に築かれており、東西に細長い縄張りとなっています。最大の特徴は総石垣造りであったこと。現在もその石垣がほぼ残っています。エクセレント!

 

城歩き

大手口から大手門跡まで

大手口の登城道入口

岡城

さすが大手口だけあって、立派な登城道。奥に見えるのが大手門の櫓台であり、まるで西洋の古代遺跡のようにも見えます。
 

蒲鉾石

岡城

道沿いには手すりのような蒲鉾石が設置されています。日出城でも見かけましたが、独特の意匠ですね。石の上には塀が建てられていました。

 

登城道

岡城

岡城

岡城

右に左にうねりながら、登城道は続きます。現在は歩きやすく整備されていますが、当時、この石段を進軍するのは大変だったでしょう。

 

大手門跡

岡城

岡城

岡城

登城道の最後の関門である大手門跡。当時は櫓門が構えられていました。現在は石垣しか残っていませんが、西洋の古城のような雰囲気が漂っています。

 

大手門内側

岡城

岡城

大手門の内側は枡形になっていました。門扉があったところには、車輪溝が残っています。重い扉を開閉しやすいように、車輪がついていたのでしょうね。

 

古大手門跡

岡城

大手門跡の裏側にある古大手門跡。大手門とは思えない小ささです。門跡の外側も眺めてみましたが、現在は道らしきものは無いようですね。

 

大手門跡から本丸まで

本丸方面への通路

岡城

大手門跡から本丸へは一本道になります。とても歩きやすい!

 

朱印状倉入口

岡城

通路の左側には曲輪が広がっており、朱印状倉、家老屋敷、城代屋敷が区画されていました。朱印状倉への石段ですが、巻き貝のようなスロープ状に築かれており、なんだかおしゃれです。

 

中川但見屋敷跡

岡城

家老・中川但見屋敷跡です。江戸時代の山城は、藩主が麓に居住するケースが大半でしたが、岡城は藩主も家老の屋敷も城内に住んでいました。

 

城代屋敷跡

岡城

建物は残っていませんが、城代(参勤交代時の留守番)の屋敷跡。

本丸方面の眺め

岡城

岡城が侵食された溶岩台地の上に建っているのがよく分かります。これはちょっと攻められん。

 

西中仕切跡

岡城

通路が途中で折り曲げられており、貫木門が設けられていました。城内で一番狭い箇所で、幅16メートルしかありません。

 

三の丸高石垣

岡城

岡城を撮った写真で一番有名なアングルです。どうやって石垣を積んだのか知りたいくらい立派な高石垣。

 

太鼓櫓跡

岡城

岡城

岡城

三の丸入口には太鼓櫓門が建ち、枡形が設けられていました。石垣は見事な切込み接ぎで、枡形内には鏡石と呼ばれる巨石が埋め込まれていました。

 

三の丸跡

岡城

太鼓門後を過ぎると三の丸跡です。かつては殿舎が建てられており、藩主が他藩の家臣と対面する場でした。

 

御三階櫓跡

岡城

岡城

本丸南西隅の御三階櫓跡。三の丸に面した本丸上には、天守相当の三階櫓が建てられていました。現在は櫓台を残すのみですが、石垣の反りが美しいですね。

くじゅう連山

三の丸からのくじゅう連山の眺め。左から、久住山大船山 、黒岳。この日は本当に眺めが最高でした。

 

二の丸入口

岡城

当時は三の丸と仕切られていた二の丸ですが、現在入口には石段を残すのみ。奥に見えるのは無料休憩所で、当時は藩主用の風呂屋(蒸し風呂)が建てられていました。

 

二の丸跡

岡城

二の丸は本丸や三の丸より狭いです。御殿、月見櫓、風呂屋が建てられて、主に藩主の遊興の場として使用されていました。

 

滝廉太郎

滝廉太郎像

滝廉太郎は12才のとき、父の赴任先である竹田に移り住みました。その後、上京するまでの2年半、廉太郎は竹田で幼少期を過ごし、1900年(明治33年)に岡城の印象を元に「荒城の月」を作曲しました。

 

月見櫓跡

岡城

二の丸北端に築かれた月見櫓跡。ここからの眺めは素晴らしい、というか怖い(笑)

 

本丸への石段

岡城

本丸へは石段が2ヶ所築かれ、上部には櫓門が構えられていました。石段を上って本丸に向かいます。

 

本丸跡

岡城

本丸には御殿が築かれ、御三階櫓、多門櫓、金倉も建てられていました。現在は天満神社が鎮座しており、岡城が島津の大軍を退け落城しなかったことから、「落ちない」として受験生に人気だそうです。

 

御三階櫓跡

岡城

岡城

本丸南西隅には、天守相当の御三階櫓が建っていました。明治維新後にも残っていましたが、廃城令によって破却されました。建物こそ残っていませんが、ここからの眺めは最高ですね、

 

金倉跡

岡城

岡城

本丸の東端には金倉(金庫)が建てられていました。櫓ではなく倉というのがユニークですね。金倉跡から東中仕切跡を見下ろすことができ、空堀を設けて通路をわざと狭くしているのがよく分かります。

 

東の郭と下原門跡

三の丸埋門跡

岡城

岡城

御三階櫓下の埋門跡を出て、岡城の東端にある下原御門跡に向かいます。本丸石垣に沿っての一本道です。

東中仕切跡

岡城

本丸の東には東中仕切がありました。西側に空堀を設けて道幅を狭くし、守りやすい地形にしています。

本丸石垣

岡城

岡城

東中仕切跡から振り返って眺めた本丸石垣。先ほど訪れた金倉の石垣です。よく見ると石垣を継ぎ足した跡が見受けられます。建物の大きさを調整したほうが楽だったと思うのですが・・・

 

下原御門跡への道

岡城

下原御門跡へは迷いようのない一本道です。この辺りからは、観光客をほとんど見かけず、とても静かです。

清水門跡

岡城 清水門跡

道の左側にあった清水門跡。清水門は、藩主が稲葉川のほとりの休息所に向かうために設けられました。今は草が生い茂っていて進めませんが、岡城って意外と抜け道があります。

 

東の郭入口

岡城

清水門跡を横目に先を進むと、東に郭が広がっています。志賀氏の時代にはここ東の郭が城の中心であり、中川氏入封時には、家臣・中川平右衛門の屋敷が設けられていました。

三楽亭跡

岡城 三楽亭跡

落語家の名前のような三楽亭跡。郷土史家の書にその名が出てきますが、詳しくは分かっていません。石碑には、私有地の山林を寄進した方の名前が掘ってありました。

 

荘嶽社跡

岡城 荘嶽社跡

三楽亭跡の奥には、かつて藩祖を祀る神社が在りました。戦後には音楽堂が建てられ、瀧廉太郎記念音楽祭が開催されました。その音楽祭ですが、開催場所は変えたものの、今も竹田で開催されています。

 

御廟所跡

岡城 御廟所跡

更に先には歴代藩主の位牌を祀る御廟所がありました。今はこんもりとしたツツジが円形に植えられています。

 

東の郭沿いの道

岡城

再び道に戻って、再度下原御門跡へと向かいます。車が通れるように道は整備されていますが、曲輪上には草が生い茂っています。「荒城の月」の頃もこんな感じだったのかも。。

 

下原御門跡

岡城 下原御門跡

岡城 下原御門跡

志賀氏時代はこの下原御門が正門でした。1594年に播磨三木から中川秀成が入封し、岡城を大改築した際、現在の大手門が正門となり、下原御門は搦手門となりました。加藤清正のアドバイスとのことですが、本当かな?

 

西の丸

下原御門跡から来た道をずーと戻って、西の丸に向かいます。西の丸は岡城で最も広い曲輪で、1664年に三代藩主・久清が御殿を普請し、政務の中心地となりました。

 

西の丸入口

岡城

やたらと幅広い石段が、古代遺跡のような雰囲気を漂わせています。城って雰囲気ではないですね。

西の丸

岡城

岡城

岡城

更に石段を上った先には、だだっ広い原っぱが広がっています。西の丸は3代藩主・久清の隠居地として普請され、1779年の御殿再建後は政務の中心地となりました。

 

物見櫓跡

岡城

岡城

岡城

西の丸の南端に物見櫓跡が見えましたので、恐る恐る行ってみました。眼下には駐車場が見え、高所恐怖症にはたまりません。櫓台は堀切で遮断されていました。

西の丸南西

岡城

物見櫓跡から眺めた西の丸の南西面。見ての通り断崖絶壁となっており、岡城が難攻不落だった理由がよく分かります。奥に櫓台が見えるので、立ち寄ってみましょう。

角櫓跡

岡城

岡城

岡城

西の丸の西端にある角櫓跡。とにかく見晴らし抜群で、見張り用として建てられた理由もよく分かります。登城途中の道から見えた石垣は、ここ角櫓の石垣だったんだな。

 

中川民部屋敷跡

角櫓跡から北東の道を進むと、中川民部屋敷跡に出ました。中川民部は、3代藩主・久清の五男・久旨を祖とする家系です。

 

近戸門方面

屋敷跡の門跡から出ると、T字型に道が別れています。左に曲がると、主要口の一つであった近戸門口へと続きます。

近戸門跡

岡城

岡城

大手門跡とそっくりの立派な石垣。ここから七曲りの坂を下ると駐車場に辿り着きますが、通行止めになっていました。とても残念。

 

家老屋敷跡への道

近戸門への道を引き返し、そのまま東に向かうと、突き当りで道が二手に別れます。左に進むと家老屋敷跡(中川覚左衛門屋敷跡)に辿り着きます。途中には埋門があったりして、城というより遺跡チック。

 

中川覚左衛門屋敷跡

岡藩家老の中川覚左衛門は、茶道綾部流の祖である古田織部の子孫です。1993年から屋敷跡の発掘調査が実施され、現在は当時の屋敷間取りが復元されています。はっきり言ってめちゃ広いです。

 

感想

本当に最高でした。丁寧に積まれた石垣が西洋の古代遺跡のような雰囲気を漂わせており、石垣マニアには堪りません。訪問の際には、縄張りもよく残っているので、十分時間を取っておいてくださいね。