漆黒の5重天守が残る松本城。現存する日本最古の天守とも言われおり、アルプスの山々をバックに佇む姿は本当に美しいです。
2022年8月登城
満足度:★★★★★
歴史
1582年に織田信長が武田氏を滅ぼすと、小笠原貞慶が松本城の前身である深志城を奪還して信濃に入ります。貞慶は城と城下の整備に手を付けますが、徳川家康の関東移封に伴い松本を離れました。
1590年 に豊臣秀吉の部下である石川数正が小笠原貞慶に代わって松本城に入ります。数正と子の康長は松本城を大改修し、近代城郭へと整備します。今も残る天守は康長によって建てられました。
1613年に石川康長は改易され、代わりに小笠原秀政が戻ってくるも、子の忠真の時代に明石へと転封します。その後、戸田家、松平家、堀田家、水野家と目まぐるしく藩主が変わりますが、1726年に志摩鳥羽から松平光慈が入り、幕末まで戸田松平家が松本を治めました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
東京からJR中央本線・篠ノ井線を特急あずさ利用で2時間30分。松本駅から徒歩20分。信州にある城の中ではかなり行きやすいです。ただ、東京や名古屋以外からは信州まで行くのが少々遠いのです。
縄張図
本丸の南側を二の丸がコの字型に囲み、それを三の丸が更に囲む輪郭式の縄張りでした。幅広い水堀に囲まれ、特に南側は女鳥羽川も流れる盤石の構えですが、北側は城外から本丸への距離が近く、やや手薄にも見えます。
近世城郭らしからぬ馬出しが数多く築かれているのは、前身の深志城が武田氏の支配下だった名残でしょうか。
城歩き
城の南側の大手門跡から本丸に向かいました。
大手門跡と縄手通り商店街
三の丸の総堀は埋め立てられており、枡形の石垣も残っていませんが、道のクランク状の折れに当時の名残が少し見られます。また、女鳥羽川と堀に挟まれた細い道(縄手)が縄手通り商店街として残っています。
大名町通りと二の丸入口
大手門跡から本丸に向かう通りは「大名町通り」と呼ばれ、当時は上級藩士の屋敷町でした。現在は「大名町通り」からそのまま二の丸に入れますが、当時は堀と土塁が巡らせてあり、二の丸南側に入口はありませんでした。
二の丸南東
本来の入口だった太鼓門から二の丸に入るため、東側に回り込んでみました。二の丸南東に市立博物館がありますが、大名通り沿いに移転のため休館中でした。
太鼓門枡形
松本城には、大手門、太鼓門、鉄門の3箇所に枡形がありました。太鼓門の名の由来は、枡形北側⑥に太鼓楼が置かれていたことに拠ります。1999年(平成11年)に復興再建されました。
玄蕃石
門脇には巨石「玄蕃石」が据え付けられています。松本城を築いた石川康長自らこの巨石を運ばせ、不平を訴える者の首を刎ね、槍で掲げたとの言い伝えが残っています。松本城を築いたときの領民の辛苦が想像できます。
二の丸
太鼓門を抜けて、内堀に沿って本丸への入口である鉄門に向かいます。松本城は平城なので、本当に移動が楽ですね。
鉄門
鉄門は本丸に入る重要な門でした。1960年(昭和35年)に一の門(櫓門)、1990年(平成2年)に二の門、土塀が復興再建されました。鉄門から先が有料エリアとなります。
本丸
かつて御殿のあった本丸に今は芝生が広がっています。天守は本丸西に建てられています。青い空、天守の黒、芝生の緑。
大天守の北側は渡櫓で乾小天守と繫がり、南側は巽付櫓が連なっています。更に巽付櫓には月見櫓が連なっている複合建築です。
大天守、渡櫓、乾小天守は石川数正、康長親子時代に築かれたとされ、それが確かならば日本最古の現存天守となります。ただ、乾小天守が先に造られたという説もあり、真相は藪のままです。
天守1階
天守は内部6階建てで、1階には武者走り、石落とし、狭間が設けられており、かなり実践的な造りとなっています。
天守3階
天守3階は2階の屋根裏に設けられているため、窓が無く暗いのが特徴です。隠し階かな。
天守4階
4階は3階から打って変わって、柱が少なく、天井が高く、四方から光が入っています。有事の際の城主の座所と考えられています。
天守6階(最上階)
最上階に到着したものの、廻縁がありません。当初は廻縁と高欄を巡らす予定でしたが、寒さと降雪対策のため、室内に取り込んだと考えられています。
また、屋根裏から材木が放射線状に外側に向かって配置され、テコの原理で軒先を支えています。桔木(はねぎ)という建築技法です。
二十六夜神
屋根裏をよくみると、「二十六夜神」を祀ってあるのが分かります。戸田家が高崎から松本に入封した際に、月待ち信仰のひとつ「二十六夜神」信仰を持ち込んだと持ち込んだと考えられています。
月見櫓
見学ルートは、大天守から辰巳附櫓、月見櫓を見学した後に外に出ることになります。辰巳附櫓と月見櫓は平和な江戸時代初期に築造されたため、石落とし等の戦いのための備えはありません。特に月見櫓は開放的で、柱と薄い板戸だけの建物です。
鉄門から二の丸南西部へ
鉄門から二の丸に出て、南から西へと歩きます。上記地図の緑色は本来堀だった土地で、松本市が南・西外堀復元事業を行っています。用地の7割を取得済みとのことですが、土壌から自然由来の鉛などが検出され、なかなか大変なようです。
天守・辰巳付櫓・月見櫓
二の丸を西に移動しながら天守を撮りましたが、本当に絵になりますね。撮る角度によって小天守や付櫓の映り方も変わるので、様々な表情を見せてくれます。
感想
松本城の天守は素晴らしいの一言です。観光客もがとても多くて、お城ブームのを実感します。南・西外堀が復元されるのを楽しみに待っています。