沖縄半島南端の喜屋武岬の断崖上に築かれた具志川城。城内からは海を見渡すことができ、海上の船を監視する役目を果たしていました。城壁が良好に残っていることから、1972年(昭和47年)に国の史跡に指定されました。
2022年12月登城
満足度:★★★★★
歴史
伝承によると、久米島の具志川城主・真金声按司が落城して島から脱出してこの地に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたと言われています。
発掘調査によって、青磁等の中国陶器が見つかっており、12世紀後半から15世紀中旬までグスクとして機能したと推定されています。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
那覇からバスで行くには一度乗り換える必要があり、バス停からも20分ほど歩くので、なかなかにハードルが高いです。ポイントは、1日数便しかない南部循環線(糸満バスターミナル↔喜屋武)をいかに利用出来るかにかかっています。また、那覇から糸満ロータリーまでは渋滞するので、乗り継ぎ時間に余裕を見ておいてください。
・那覇バスターミナルから「89番 糸満線」もしくは「446番 那覇糸満線」に40分弱乗車し糸満ロータリー下車。糸満ロータリーから「107 南部循環線(真壁・喜屋武)」だと40分、「108番 南部循環線(喜屋武・真壁)」だと10分乗車し、喜屋武バス停下車。バス停から徒歩20分。
縄張図
具志川城の縄張りは、海側の先端部分に一の曲輪、陸側に二の曲輪が配置されています。地形の高低差上しょうがないのですが、一の曲輪の方が二の曲輪より低い位置にあります。
城歩き
具志川城入口
畑だらけの道を進むと、具志川城の入口が現れました。駐車場もあるので、車で来られた方も安心です。
具志川城への道
入口から城までは一本道です。具志川城は海の断崖上に築かれていますが、そんな雰囲気は未だ感じられません。
アザナ前広場
道を抜けると、壮大なアザナ(物見台)が出現しました。手前が東のアザナ、奥が西のアザナで、門の防御を固めています。
城門入口
アザナの間を通って城内に入ります。門を建てるには虎口の幅が広すぎる気がしましたが、門の両脇に石垣を積み上げていたようです。
二の曲輪
二の曲輪はぐるっと城壁に囲まれていて、中心には井戸のような「火吹き穴」があります。
火吹き穴
この穴の面白いのが、断崖の割れ目に繋がっており、実際に海まで降りることが出来ることです。よくある抜け穴伝説は「絶対無いぞ、これ」っていうのが多いですが、これは現実に可能なんですね。
石段と武者走り
城壁上の平らな部分(武者走り)に上るための石段が設けてあります。
石段と基壇
石段を上って一の曲輪に向かいます。説明板によると、石段は基壇(建物を立てるための土台)の中から見つかったとのことです。つまり、最初は石段を造ったが、後に物見曲輪を拡張するため石段を埋めて、基壇を築いたということです。
一の曲輪
遺構保護のために、デッキの階段が設置されていました。具志川城は海側の方が低いので、眺めが良いですね。
一の曲輪
ぐるっと城壁に囲まれています。具志川城は海に突き出た岩盤上に建てられているので、海側から攻めるのは無理でしょう。
城壁
東側の城壁は狭く低いのに、西側は広く高く築かれています。西側には裏道があるので、より厳重に守られているとのことです。
一の曲輪からの眺め
やはり眺めが最高です。遠浅な海なので、船でこの城を攻めるのは困難ですね。
感想
巨艦のような岩の上に築かれた具志川城。陸側にはアザナがそびえ立ち、海側は断崖絶壁の堅固な城でした。立地から考えると、海外からの船を監視するための出城だったかもしれません。
以前は城から海岸に下りて、潮溜まりで遊ぶことも出来ましたが、現在は禁止されています。海遊びは別として、海側からこの城を眺めたかったな。