石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

素人の城好きが気合で城を巡ります。

自己紹介

城巡りの動機

小さい頃からお城が好きでした。小学生の時に買った、小学館の「城郭と城下町」全10巻は今でも私のバイブルです。その後、社会人になってそれなりに生きてきたのですが、最近、行きたくても行っていない城、昔行ったきりの城(あまり憶えていない)が沢山あることを思い出したんです。体力のあるうちに行っておかねば絶対後悔する、と思ったのが城巡りを再び始めたきっかけです。

 

交通手段は公共交通機関

本当に恥ずかしいのですが、実は自動車免許を持っていません。学生の頃に教習所の授業料をパ◯ンコに使い込んでしまったことを懺悔します。ですから、城までの交通機関は主に鉄道,バス,徒歩,レンタサイクルとなります。悔しいから、極力タクシーは使いません。苦労して山道を登ったのに、本丸近くに駐車場があると軽く目眩を感じます。でも、負けません!

 

好きなお城のタイプ

姫路城や大阪城なんか、本当にすごいと思います。でも、岡城や津山城のような石垣だけの城も大好きです。和牛ステーキが好きだけど、牛丼も好きといったところでしょうか(例えが失礼)

 

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府内城(大分県)

府内城(大分県)2017年5月

満足度:★★★★☆

大分駅から歩いて行ける城跡です。あまり期待せずに訪問したら、堀・石垣・櫓と思いのほか良かったです(失礼!)。大分といえば温泉のイメージが強過ぎですが、市内にもこんな立派な城跡があるんですよ。

 

歴史

1597年に石田三成の娘婿の福原直高が府内(今の大分市)に入ると、大分川河口に城を築きました。これが現在の府内城になります。

ですが、福原直高は秀吉死後に徳川家康に領地を没収され、関ケ原合戦後には豊後高田から竹中重利が移封し、府内城の修増築と城下町の建設を進めました。

面影は僅かにしか残っていませんが、当時は海に面した水城でした。工事は難航したらしく、人柱伝説が残っています。

 

アクセス

難易度:★☆☆☆☆

JR大分駅から北西に徒歩15分。平城で高い建物が無いせいか、街中に突然城跡が現れる感じです。 

 

城歩き

大分駅方面からぶらぶら歩いて向かいました。分かっちゃいたけど、途中に城下町らしさは全く無いですね(笑)

 

西の丸隅櫓(復元)

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街中に現れる白亜の櫓と水堀。石垣下部には犬走りがありますね。

 

宗門櫓

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江戸時代からの遺構の一つ。表から見ると平櫓ですが、裏から見ると石垣に食い込む形で二重になっています。狭間が上下交互に設けられているのも珍しいですね。

 

大手門(復元)

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大手門は枡形になっています。大手門からは城内に入らず、東丸の堀に沿って歩きます。

 

着到櫓(復元)

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空襲で消失しましたが、1965年に復元されました。正面左には大手門多門櫓、右側には東丸着到櫓があり、三方から敵を攻撃出来ます。

 

東丸平櫓(復元)

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古図では平櫓ですが、二重櫓で再建されていました。

 

帯曲輪(おびくるわ)

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個人的にとても興味深い帯曲輪。府内城は水城ですが、海と堀の間に防波堤のように細長い曲輪を築いていました。潮の干潮対策と本丸防御の意味があったようです。周りの海は埋め立てられていますが、僅かに痕跡が残っていて嬉しい。

 

東丸の東北二階櫓(復元)

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少しシュッとした二階櫓。

 

廊下橋(復元)

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ぐるりと廻って旧山里丸から本丸に渡る廊下橋。このように屋根のついた橋は全国的にも珍しい。(渡っている敵を攻撃できないから)

 

人質櫓

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宗門櫓と共に江戸時代からの遺構の一つ。府内城の石垣下には犬走りがあるのですが、ここは実際に歩くことが出来るんです。

 

犬走りと石垣

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途中で人柱お宮に手を合わせたりしながら、人質櫓下まで歩いてきました。やはり防御的には犬走りは必要ないな(笑)

 

内堀跡

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府内城は本丸・西丸・東丸が内堀で区切られていましたが、現在はその堀が埋め立てられ、一つの曲輪のように見えます。2014年に大分文化会館が解体され、だだっ広い空き地が広がっています。内堀を掘り返してくれないかな。

 

天守

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1602年に4重の天守が建てられましたが、1743年に焼失しました。天守再建という話もあるようですが、財政的に厳しいようです。

 

感想

大分市街地に水城があったっというのが凄いね。廊下橋や帯曲輪といった見どころもあって、期待以上に面白かったです。ただ、内堀が埋め立てられていて、中心部がアスファルト広場になっているのが残念。天守再建よりここらへんを整備して欲しいな。

 

杵築城(大分県)

杵築城(大分県)2017年4月

満足度:★★☆☆☆

国東半島の南に位置する杵築城。城跡としては当時を偲ぶものはほとんどありませんが、サンドイッチ型(!?)とも言われる城下町がとても面白い。さて、サンドイッチとはなんぞや?

 

歴史

 

室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれました。木付氏は17代にわたって木付を治めましたが、秀吉の朝鮮出兵後に宗家大友氏と共に滅亡。その後目まぐるしく城主が替わりましたが、1645年に松平英親が入封し、以後220年余に渡って松平家が治めました。

江戸時代には城の中心が平地に移されており、既に城跡になっていたようです。

 

アクセス

難易度:★★★☆☆

JR杵築駅から杵築バスターミナルまでバスで約10分。大分空港から杵築バスターミナルまでバスで30分。杵築バスターミナルから城跡入口まで徒歩10分弱。

大分空港から大分駅行きのバスの途中にありますので、空港利用者(九州外)の方が公共交通機関のアクセスは良いかも。 

 

城下町歩き

杵築城下町は高山川と八坂川の間に築かれており、北台・南台と呼ばれる台地には武家、その谷間には町家が開けていました。それでは、北から南に縦断してみましょう!

 

番所の坂

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北から北台に上る坂。 かつてはこの坂の下に北浜口番所があり、城下町への出入りを取り締まっていました。

 

酢屋の坂

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番所の坂を上ったと思ったら、今度は下り坂。坂を降りたところに酢屋があったから「酢屋の坂」。ちょっと安直ですよね(笑)

 

塩屋の坂

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ようやく下ったと思ったら、もちろん今度は南台への上り坂。上り口に塩屋(酒屋)があったから「塩屋の坂」だそうな。

 

塩屋の坂上からの見返り

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北と南の高台に挟まれた谷間があるからサンドイッチ型城下町。みんな坂の上り下りが大変だっただろうな。

 

北台の武家屋敷跡

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再び戻って、北台の通り。朽ちた土壁が風情を感じさせます。ここだけ江戸時代。

 

大原邸

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武家屋敷の一つ、上級武士の大原邸に入ってみました。いろいろ説明が聞けて勉強になった。

・総理官邸のように家老が替わると主も替わっていた。最後が大原家。

・入口に番所があるから、槍や刀が振り回せるよう天井が高い。

・客間には押し入れなし。(隠れられないことアピール)

・弓の練習のため、一部天井が高い所あり。

・湯殿に湯はなし。たらいの水で手ぬぐいで拭ってた。

 

藩校の門

f:id:castle_walk:20191026230208j:plain藩校「学習館」の門でした。現在は小学校の門として現役なんだって。いいね。

 

勘定場の坂

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北台から杵築城方面に下る坂。江戸時代に収税や金銭出納の役所があったことから名づけられました。下ったところからパチリ。

城歩き

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杵築中央病院前の道を通って城山に向かいます。 

 

石垣と白壁

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途中に石垣と白壁がありますが、残念ながらナンチャッテです。

 

本丸への門

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これも雰囲気だけ味わいましょう。

 

模擬天守

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松平家の治世時には既に城跡状態でしたが、昭和に模擬天守が建てられています。見晴らしが良好です。

 

感想

正直、城跡自体はもう一歩というところですが、街歩きがとても楽しいです。石坂,土塀,武家屋敷と見どころがいっぱい。ぜひサンドイッチ城下町を堪能してみてください。

金沢城(石川県)

金沢城(石川県)2017年1月

満足度:★★★★★

言わずも知れた加賀百万石の前田家の居城です。明治以降は陸軍省の管轄、戦後は金沢大学のキャンパスが置かれたため、兼六園に比べてマイナーな存在でした(石川門以外)。ただ、平成になり金沢大学が移転してから、城内の整備が次々に進められています。今回は超マニアックに石垣巡りをしてみました。

日本100名城

 

歴史

加賀一向一揆の拠点だった金沢御堂を改修して、1580年に佐久間盛政が入城しました。1583年の賤ヶ岳合戦の後、破れた佐久間盛政に替わり前田利家が入城し、約280年余りにわたって前田家の居城となった。歴史凄いな。

 

アクセス

難易度:★☆☆☆☆

JR金沢駅から徒歩30分程ですが、バスがバンバン出ていますので利用しましょう。金沢駅から10分ほど、兼六園下下車です。 

 

城歩き

石川門と石川櫓

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金沢と言ったら、兼六園と石川門が人気のスポット。海鼠壁と唐破風付出格子が金沢城の特徴です。

 

石垣巡りの案内看板  

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城内でいきなりこんな案内看板がありました。これは私に対する挑戦と受け取っていいのだな。それにしても、石川県も分かってるやん。 

 

①石川門石垣

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左側が打込接ぎ(粗加工石積み)、右側が切込接ぎで明らかに積み方が違いますね(右側が改修時)。説明板に「左右違い分けて積むのはおかしい」と載っていますが、違うやん!

 

②内堀石垣(鶴ノ丸付近)

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1999~2000年(平成11~12年)に復元されたとのこと。先にも書きましたが、平成に入ってからの金沢城の整備は気合が入っています。

 

③菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣

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こちらも平成に復元されました。平石は粗加工石積みですが、隅石は切石を算木積みしています。

 

④二ノ丸北面石垣

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「城内でも指折りの石垣」というだけあって、きれいに積まれた石垣です。苔生したところも古城ぽくていい。

 

⑤土橋門石垣

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土橋門の石垣は切込接ぎですが、正六角形の亀甲石を組み込んでいます。積み方の匠の技ですね。

 

⑥数寄屋敷石垣

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切込接ぎによる石垣ですが、ここまで行くとまるでブロックで組んだようにピッタリです。後に改修された左側(上の写真)の方が表面がより整えられています。

 

⑦戌亥櫓石垣

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打込接を切込接に見せかけてると言うけど、うまく想像できないな(笑)

 

⑧三十間長屋石垣 

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重要文化財の三十間長屋にも技巧的な積み方。「金場取り残し積み」というそうですが、ここまでいくと城の石垣の範囲を超えています。すげー。

⑨鉄門石垣

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単純な長方形ではなく多角形の石が積まれています。表面も丁寧に加工されていてレベル高し。

東ノ丸北面石垣

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この城で一番古い工法の石垣、野面積みですな。技巧的な石垣もいいけれど、このような石垣の方が好みです。

 

感想

今回は思わず石垣を中心に廻ってしまいました。これほどに様々な積み方が混在しているのは、改修時にその時代の最先端の技法を採用したからなんでしょうね。非常に面白い。

また、城内の整備も次々に進めれており、もう兼六園のおまけとは言わせません!

 

篠山城(兵庫県)

篠山城兵庫県)2016年11月

満足度:★★★★☆

関ケ原合戦直後、大坂城を牽制する目的で天下普請によって築かれました。縄張りは藤堂高虎が担当し、高虎らしさがよく出ています。二の丸の大書院は1944年(昭和19年)に失火により焼失しましたが、2000年(平成12年)に木造で復元されました。

日本100名城

 

歴史

1608年に徳川家康大坂城を牽制する目的で、交通の要衝の篠山に新城の築城を命じました。総奉行に池田輝政、縄張りに藤堂高虎を配し、天下普請としてわずか6カ月で完成しました。

彦根城名古屋城と同じく、豊臣対策のため天下普請で築かれた城ですね。

 

アクセス

難易度:★★★☆☆

JR篠山口駅から神姫バスで約15分、二階町で下車。二階町バス停から徒歩5分。バスは30分に一本出ています。

私は篠山口駅で電動自転車をレンタルしました。駅から約25分。ただし、冬季(12~2月)は休業しているので要注意。 

 

城歩き

篠山城模型 篠山城大書院展

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篠山の岩盤の上に本丸と二の丸が築かれ、その周りを三の丸が囲っています。三の丸には3箇所の入口があり、それぞれに角馬出が設けられています。

教科書に載ってそうな縄張りだ。

 

南馬出

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篠山城の特徴の一つが馬出しが残っていくこと。

現存2ヶ所の馬出しの内、まず南馬出を訪問しました。木が茂っていて分かり難いですが、土塁と堀で入口を防御しています。いざというときはここから出撃したんですね。

 

南門跡 

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南馬出からの三の丸への入口は虎口になっていますね。 土塁盛り盛り。

 

三の丸から振り返り

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城内がだだっ広いな。流石は天下普請。

 

南西側二の丸石垣

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直線的な高石垣で、裾部が犬走りになっています。犬走りは防御的には弱くなりますが、堀を掘るのと石垣を築くのを同時に作業できる利点があります。藤堂高虎の縄張りでよく見受けられますね。

北西側二の丸石垣

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内堀に沿って北の入口に向かいます。ちらっと見える建物は二の丸書院。

 

二の丸大手門

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2重の桝形になっており、特に防御力を高めています。

 

大書院

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天守のなかった篠山城の中核をなす建物です。惜しくも1944年(昭和19年)に失火で焼失しましたが、木造で再建されました。本当に立派。

 

本丸入口

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本丸入口にあるのは篠山藩主を祀る青山神社。本丸の石垣はそれほど高くなく、防御というより区割りといった感じ。

 

天守

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天守台はありましたが、天守は建てられませんでした。篠山城は実戦を想定していたので、攻撃目標となる天守は省いたらしいです。

 

丹波富士(高城山

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天守台からは丹波富士が眺められます。丹波富士には波多野氏の八上城がありましたが、明智光秀により落城しました。その際に人質にしていた光秀の母が殺され、本能寺の変の一因になったという言い伝えもあります。

 

二の丸から三の丸

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篠山城が想定よりも立派すぎたので、築城を命じた徳川家康が立腹したとの言い伝えもあります。

 

埋門(三の丸側から)

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帰りは二の丸南にある埋門から下りました。このあたりの石垣には各大名の刻印があり、宝探し感覚で探すのも楽しい。

 

天守台石垣

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改めて立派な石垣だと思います。訪問時、三の丸のこの辺りは工事中でしたが、2019年6月に三の丸南広場として整備されました。

東馬出

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最後に東馬出を訪問。南馬出に比べて小規模ですが、きれいに整備されていました。

 

感想

木造で再建された大書院が有名ですが、天下普請で築かれた石垣も立派です。個人的には犬走りの無い方がが好みなんですが、 芝生の緑と石垣の対比は絵になりますね。

特筆すべきは、篠山市の城を整備しようとする市の姿勢です。明治に埋め立てられた内堀を復元したり、石垣を修理したりと気合が入っています。これからも楽しみです。

 

広島城(広島県)

広島城広島県)2016年8月

満足度:★★★★☆

毛利輝元が本拠地の郡山城(山城)を廃し、新たに太田川河口域に築いた平城です。その縄張りは豊臣秀吉が築城した聚楽第と瓜二つであり、秀吉と輝元の繋がりを感じさせます。現存していれば最古級の天守がありましたが、1945年の原爆投下で壊滅しました。戦争は絶対ダメ。

日本100名城

 

歴史

1599年に毛利輝元により太田川河口のデルタ地帯に築かれましたが、翌1600年の関ケ原の合戦後に西軍の総大将だった輝元は周防・長門へ転封になりました。替わりに福島正則が入封しましたが、城の無断修理が原因で改易。紀州から浅野長晟が入封し、以後浅野家が明治を迎えました。

毛利家の転封、福島正則の改易と波乱続きでしたが、浅野家が入封してから安定しましたね。

 

行き方

行き方難易度:★☆☆☆☆

JR広島駅から徒歩25分。広島電鉄路面電車)の紙屋町東駅からなら徒歩15分。私はJR新白鳥駅から歩いてみました(約20分)。 

 

城歩き

堀沿いから

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JR新白鳥駅から内堀に沿って二の丸の入口に向かいます。天守が本丸の北西隅に建っているので、堀・石垣・天守の構図が最高。 

 

表御門・平櫓・多門櫓

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広島城の縄張りでは二の丸が角馬出として設けられています。御門橋を通って表御門をくぐります。いずれも平成に再建されましたが、内部公開されていてうれしい。

 

中御門跡

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本丸入口は虎口になっていますが、外側に構えられる二の門が無く、右折れしたところに一の門のみが構えられていました。少し珍しいタイプ。

 

本丸北東部の石垣

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本丸の北東部分の石垣は福島正則が築いていますが、一部は崩れかけています。これは無断修復を幕府に咎められた際に壊した箇所と推定されています。ただ、結局改易されちゃったんだよね・・・

 

天守

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天守は5重5階で、3重3階の東小天守と南小天守に渡櫓で連結されていました(現在は小天守はありません)。関ケ原の合戦前に建てられており、残っていれば最古級の天守でした。黒板張りの外観が精悍で、戦国時代の雰囲気があり格好いい。


感想

毛利輝元が転封されたり、福島正則が改易されたりと下げマンの城ですが、なんといっても黒い天守が格好いい。二の丸の表御門・平櫓・多門櫓・太鼓櫓が再建され、内部を見学出来るのも楽しいです。平城で街中にありますので、ぜひ訪問してみてください。