石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

素人の城好きが気合で城を巡ります。

自己紹介

城巡りの動機

小さい頃からお城が好きでした。小学生の時に買った、小学館の「城郭と城下町」全10巻は今でも私のバイブルです。その後、社会人になってそれなりに生きてきたのですが、最近ふと、行きたくても行っていない城、昔行ったきりの城(あまり憶えていない)が沢山あることを思い出したんです。体力のあるうちに行っておかねば絶対後悔する、と思ったのが城巡りを再び始めたきっかけです。

 

交通手段は公共交通機関

本当に恥ずかしいのですが、実は自動車免許を持っていません。学生の頃に教習所の料金をパ◯ンコに使い込んでしまったことを懺悔します。ですから、城までの交通機関は鉄道,バス,徒歩,レンタサイクルとなります。苦労して城に登ったのに、本丸近くに駐車場があると軽く目眩を感じます。でも、負けません!

 

好きなお城のタイプ

姫路城や大阪城なんか、悔しいけどすごいなと思います。でも、岡城や安土城みたいな石垣だけの城も大好きです。和牛ステーキが好きだけど、牛丼も好きといったところでしょうか(例えが失礼)

 

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岡城の石垣

 

 

丸亀城(香川県)

丸亀城香川県)2016年2月

個人的評価:★★★★☆

現存12天守の一つがある丸亀城。こぢんまりとした天守はもちろん、一二三段に築かれた日本有数の高石垣は見応え十分です。丸亀はうちわやうどんだけではない!

日本100名城

 

歴史

丸亀市中心市街地の始まりは、慶長2年(1597年)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。」

引用:歴史 | 丸亀城について | 石垣の名城 丸亀城(日本100名城・現存十二天守)

一国一城令で廃城になりましたが、1641年の肥後天草の山崎家治の入封に伴い復活。山崎家の断絶後、1658年に京極高和が丸亀藩主となり、京極家にて明治維新を迎えました。扇の勾配の見事な高石垣は山崎家治によって築かれました。

 

行き方

行き方難易度:★☆☆☆☆

JR丸亀駅から南に歩いて約10分。市内からも目立ちますので、迷うことは無いかと思います。

 

 

城歩き 

大手門と天守

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正面は大手二の門(高麗門)、 右の櫓門は大手一の門。江戸時代の現存建築物で重要文化財に指定されています。

 

城内案内図

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城内はぐるっと堀に囲まれており、丘陵に本丸・二の丸・三の丸を段々に築いています。だから、下から見ると石垣が立ち並んでいるように見えるわけですね。

 

三の丸の高石垣

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大手門から急な見返り坂を上っていくと、三の丸の高石垣がお出迎え。高さもさることながら、丁寧な石積みと扇の勾配がとても美しい。ただ、2018年の大雨の影響で、帯曲輪と三の丸の南西部の石垣が崩落し、令和5年(2023年)までの復旧を目指しています。

 

二の丸入口

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二の丸入口は桝形になっています。

 

二の丸井戸

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深さが三六間(約65m)あると伝えられる井戸。石大工の羽坂重三郎が口封じのためこの井戸で殺されたとの怖い話もあります。

 

天守

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本丸の隅っこにぽつんと建つ天守現存天守の中では一番小さなサイズですが、長辺側を城下(北側)に向けて大きく見せようと涙ぐましい努力をしています。

 

讃岐富士

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本丸は天守以外に見どころはありませんが(おいっ!)、 見晴らしはとにかく最高。飯野山(讃岐富士)もこのとおり。当時は城下への船の出入りも監視していたのでしょうね。

 

搦手口

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生駒氏時代の大手はこちら側(南)だったので、搦手口も立派な石垣です。石垣マニアにはこちらも見て欲しい。

 

感想

この城の石垣は凄いの一言。どうしてこの城にこれほどの石垣を築いたのかが不思議に思えるくらいです。丸亀市のHPも気合が入っていますので、ぜひ見てください。

 

 

 

津山城(岡山県)

津山城岡山県)2016年2月

個人的評価:★★★★★

私が今まで見てきた中でも指折りの石垣の迫力。初めて訪問したときはふらりと立ち寄ったので、予期せぬ城の規模に度肝を抜かれました。その姿は石の要塞。超絶お薦めです。

日本100名城

 

歴史

津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。 城主は森氏(4代)、松平氏(9代)と続き明治維新を迎えています。その後明治4年(1871)には廃藩置県、同6年には廃城令、同7年には天守、屋敷、櫓、門など建物はすべて取り壊され石垣のみが残りました。」

引用:津山城について | 津山市公式サイト

明治維新が憎い!その後荒れ果ててしまいましたが、近年整備が進んでいます。

 

行き方

行き方難易度:★★☆☆☆

岡山からJR津山線の快速で津山駅まで70分。姫路からだとJR姫新線で2時間半。JR津山駅からは歩いて15分程です。

 

 

 城歩き

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津山城鶴山公園として親しまれており、城に向かう階段も風情があります。

 

津山城跡案内図

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ちょっと案内板にヒビが入っちゃってるけど(笑)、石垣がぐるぐると輪郭式に築かれているのが分かります。昔来たときは動物園があったんだけど、2011年9月に閉鎖されたとのこと。城に必要ないとは思うものの、なんだか寂しいな。

 

冠木門桝形

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冠木門入口で入城料を払い、城内に入ります。この桝形の広さだけでも、津山城の立派さが感じられます。正面奥見える石垣は見付櫓跡のもの。

 

表中門跡 

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二の丸には表中門跡を通ります。この広さを見よ!

 

備中櫓(再建)

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往時60の櫓を誇った津山城で最大の櫓です。現在唯一の城内建造物であり、城下から見ることが出来ます。中にも入りましたが、写真が無いんだよな・・・

 

切手門跡

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二の丸から本丸に向かう途中にある切手門跡。本丸までに幾つもの門が防御する堅固な縄張りを実感。

 

天守台 

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昔はここに5層5階の層塔型天守が建っていました。今でもこんなに見晴らしがいいのに、天守があったときはどれだけ凄かったのでしょうか。残念ながら、明治の廃城令で天守を始め、屋敷、櫓、門など建物はすべて取り壊されました。改めて勿体ない。

 

長屋櫓跡

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本丸北側にある長屋櫓跡。櫓跡から天守台方面を眺めると、まるでレゴのブロックのような石垣に感動します。あっ、左上が天守台です。

 

搦め手側の石垣

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帰りは搦め手側から下りました。搦め手側は手を抜いた(?)城も多いのですが、最後まで抜かりはありませんでした。

 

感想

一言でいうと石の要塞。重層的な石垣が本当に凄かったです。残念ながら天守や櫓は残っていませんが、残っていたら間違いなく国宝級でした。往時を想像しながら散策するのも楽しかったです。

 

松江城(島根県)

松江城島根県)2016年1月

個人的評価:★★★★★

関ケ原の合戦後、浜松から入封した堀尾吉晴によって築かれました。今は姫路城に次ぐ大きさの天守が残っており、2015年には念願の国宝に指定されました。温泉もあるし、足を伸ばせば出雲大社もあるし、どうぞお越しください。

日本100名城

 

歴史

堀尾吉晴 ほりお よしはる

「慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の後、出雲・隠岐両国を拝領した子の忠氏と共に、遠江国浜松(静岡県)から月山富田城(広瀬)に入ったが、松江の将来性に着目して城地を移した。豊臣秀吉徳川家康と二人の天下人に仕え、豊臣政権下では三中老の一人として功績を残している。城普請の名人であり、孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築いた。」

引用:国宝 松江城ホームページ:松江城の歴史

その後、堀尾忠晴が嫡子なきまま亡くなったため堀尾家は断絶、京極忠高が小浜から入封したもののわずか4年で病没。松本から松平直政が移封し、松平氏明治維新まで続きました。

 

行き方 

行き方難易度:★☆☆☆☆

JR松江駅から徒歩30分。駅からバスがバンバン出ているので、まず困ることはないでしょう。

 

また、空港利用者にお薦めしたいのは「縁結びパーフェクトチケット」。バスと一畑電車が3,000円で3日間乗り放題で、松江城を始めとした入場料割引が受けられます。出雲空港から松江駅まで往復2,060円なので、すぐ元が取れますよ。
www.san-in-tabi.net

 

城歩き

松江城二の丸の石垣

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バスを降りてすぐに見えるこの絶景。内堀に高石垣と櫓が逆さに映っています。

 

縄張り図

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北西部がやや手薄に見えるのは、吉晴が没したのと経済的な事情で、工事が途中で中断されたからだって。いつの時代も金がないのは辛いわ。

 

大手門跡と太鼓櫓

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松江市が大手門の復元資料を探していて、なんと500万円の懸賞金までかけています。見つかってほしいけど、望み薄かな。

 

外曲輪(二之丸下の段)

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だだっ広い外曲輪。 江戸時代は蔵や長屋が立ち並んでいたこと。

 

太鼓櫓と三之門

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太鼓櫓を横目に石段を上ります。太鼓櫓は2001年に再建されました。

 

本丸石垣と天守

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石段を上ったところから、チラ見の天守。打込接の石垣が見事。

 

天守

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4層5階付櫓付きの現存天守。 望楼型で黒板張りなので古風な印象。2015年に国宝に指定されました。

 

北之門

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帰りは北之門から下城しました。

 

水手門跡

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腰曲輪から中曲輪へ水手門跡を下りてきました。この石垣も見事だな。こちらの方には観光客はあまり来ないのですが必見です。

 

感想

国宝指定された天守が素晴らしいのは当然ながら、本丸や二之丸の高石垣も見事です。また近くには武家屋敷や小泉八雲旧居があり、城下町の面影を色濃く残しています。城も街の雰囲気も大好きです。

 

岡山城(岡山県)

岡山城岡山県)2015年12月

個人的評価:★★★★☆

岡山城五大老のひとり、宇喜多秀家によって築かれました。三層六階の黒色の天守が格好いいです。ちなみに有名な後楽園は岡山藩2代目藩主の池田綱政が作らせた庭園です。岡山は桃やマスカットだけじゃないんだぜ。

日本100名城

 

歴史

天下人となった豊臣秀吉に身内並みに厚遇されて大大名となった宇喜多秀家が、秀吉の指導を受けて築城し、8年の歳月を費やして建造され慶長2年(1597)に完成した岡山城。西向きの城構えのため、旭川を城の東背後を流れるように改修し、天然の外堀に活用しています。」

引用:歴史を伝える城 - 岡山城

関が原の合戦後は小早川秀秋、秀秋の夭折後は池田忠継が入城し、そのまま池田家が明治維新を迎えました。

 

行き方

行き方難易度:★☆☆☆☆

JR岡山駅から徒歩25分。路面電車なら城下駅で下車、徒歩10分。

 

 

城歩き

後楽園側からの天守

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岡山城旭川を外堀に利用しています。元は中洲だった後楽園から月見橋が架かっており、そこから観る天守がめちゃくちゃ格好いい!

 

案内図

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本丸が旭川を背にしているのが分かりますね。本丸は本段・中の段・下の段と三段に分かれています。宇喜多時代に築かれた本段、小早川と池田時代に大幅に拡張された中の段、同じく小早川と池田時代に築かれた下の段になります。

 

月見櫓

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数少ない現存する櫓です。城外側は唐破風や千鳥破風で飾られていますが、城内側には破風が無い代わりに縁側があります。

 

下の段からの天守

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天守台が不等辺五角形のため、天守1階が折れ曲がっているのが分かります?

一説には安土城天守を模したとも言われてますが、なんでこんなに建てにくい形にしたんやろ。

 

廊下門 

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廊下門から中の段に入ります。上屋の下に櫓門。残念ながら昭和41年の再建ですが、立派ですね。

 

中の段の様子

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中の段には表書院がありました。現在は様々な整備が進められており、埋もれていた宇喜多秀家による築城時の石垣が展示されていました。江戸時代に中の段を北に拡張した際に埋められたとのことです。へー。

 

不明門

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中の段から本段に上る正門です。正門なのに不明門(あかずのもん)なのは、本段には藩主の御殿があるため、限られた人しか通ることを許されず、常に閉まっていたからだって。こちらも昭和41年の再建になります。

 

本段から見た天守

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外壁に黒塗りの下見板を張っているので黒色の天守。戦国の城という雰囲気を漂わせています。実際、関ケ原の合戦前に竣工されたと考えられています。(合戦後、宇喜多秀家島流しにされました)

 

中の段の石垣

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天守が格好いいとばかり言っていますが、中の段の石垣も立派です。野面積みの宇喜多・小早川時代、打込接の池田時代と所々で積み方が違うのが楽しい。

 

内下馬門跡の石垣

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本丸下段と二ノ丸下の段を繋ぐの大手門の跡です。立派な巨石を使っております。殿様って結構見栄っ張り。

 

二の丸の案内図

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岡山城って、本丸の遺構はよく残っているんだけど、二の丸や三の丸は市街地化しています。大都市だからしょうがないけど、少し痕跡を探してみました。

 

西手櫓

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二の丸(西の丸) に残る西手櫓。月見櫓と並んで、現存している貴重な櫓です(しかも重要文化財)。櫓下が駐車場で、見つけたときは「えっ」と思った。

石山門跡

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富山城大手門からの移築と伝わる石山門の跡。惜しくも空襲で焼失しました。

 

感想

何度も言うけど、黒い天守閣がめっちゃ格好いい。また、時代によって石垣の積み方が違うのも面白い。豊臣家五大老だった宇喜多秀家、その宇喜多を関ケ原の合戦で裏切った小早川秀秋、家康の娘婿の池田輝政の次男忠継と、歴代藩主の因縁もドラマティックで胸熱です。

 

 

備中松山城(岡山県)

備中松山城岡山県)2015年12月

個人的評価:★★★★★

臥牛山の峰のひとつ「小松山(標高約430m)」を中心に築かれた山城です。天守は現存12天守のひとつで、天守の現存する城としては唯一の山城です。ただ、自力で登るのはとてもつらい、本当につらい。覚悟せよ!

日本100名城

 

歴史

備中松山城は、延応2年(1240)に秋庭三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ)が臥牛山に築城したのが始まりと考えられています。」

引用:備中松山城の沿革 - 高梁市公式ホームページ

現在の松山城は、1642年に入封した備中松山藩主の水谷勝隆により改修が始まり、勝隆の子勝宗によってほぼ完成したと考えられています。

 

行き方

行き方難易度:★★★★★

駅から少し離れていること、山城ということから、自家用車かタクシー利用じゃないとかなり厳しいです。市のHPが詳しいので参考にしてください。

備中松山城へのアクセス - 高梁市公式ホームページ

 

・自家用車の場合は、「城見橋公園駐車場(5合目)」に車を停めて、そこから「ふいご峠駐車場(8合目)」まで登城整理バス(シャトルバス)を利用。6~10月・12~3月の平日は登城整理バスが運行されていないので、「ふいご峠駐車場(8合目)」まで車で行くことが可能。

・タクシーの場合は、JR高梁駅から「ふいご峠駐車場(8合目)」まで行くことが出来ます。また、お得な観光乗合タクシーが1日4往復運行されていますので、少人数の場合はぜひ利用ください。ただし、前日までの予約が必要になります。(当日予約は出来ませんでした)

・路線バスもありますが、「松山城登山口」までなのと、土日祝は運行本数がかなり減るので利用しにくいです。

・今回私はJR高梁駅から徒歩で向かいました。(少し後悔している)

 

 

登城口まで

高梁栄町商店街

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備中松山城には学生の頃に一度来たことがあります。その時はタクシーを利用しましたが、町並みも見たかったので、JR高梁駅から歩きました。高梁栄町商店街のアーケードは立派でしたが、人が少ない・・・。私の地元もそうですが、地方都市は厳しいな。

 

紺屋川筋

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かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていた紺屋川。「日本の道100選」にも選ばれています。それより空が曇ってきたぞ。

 

頼久寺

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高梁市内には石垣のしっかりしたゴツい寺が多い。ここ頼久寺の庭園は、備中国奉行を務めた小堀遠州の作庭です。

 

城歩き

備中松山城入口

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駅から歩くこと約30分、備中松山城入口にようやく着きました。場所は小高下谷川沿い、高梁高校と中洲公園の間です。迷わず遊歩道へと進みます。

 

遊歩道(登山道?)

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やっちまった!意外と整備されていますが、結構急な遊歩道が続きます。途中には階段もあり、息を切らせながら黙々と歩きます。

 

大石良雄腰掛岩

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大石良雄って誰?」って思う人もいると思いますが、忠臣蔵大石内蔵助の本名です。備中松山城藩主であった水谷家断絶に伴い、浅野内匠頭が収城を行い、家老の大石内蔵助が水谷家家老の鶴見内蔵助と会見したとのことです。本当にこの岩に腰掛けたかは分かりませんが、この遊歩道は当時登城道だったんですね。

 

 備中松山城全体図

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遊歩道入口から40分ほどで鞴峠(8合目)に到着。看板に「小松山城跡」と記載されいるのが目的の備中松山城です。タクシーだったらここまで寝てても着いてるんだよな。ちくしょう、もうひと踏ん張りや。

 

中太鼓櫓跡 

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鞴峠から10分ほどで初めて石垣が見えてきましたよ。 中太鼓櫓跡ですね。

 

中太鼓の丸の説明

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下に見える「下太鼓の丸」とこれから向かう大手門の間にある曲輪とのこと。それにしてもよくここまで登ってきたな。

「見ろ! 人がゴミのようだ!」 by ムスカ

 

 

大手門跡

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ようやく大手門跡まで着きました。この石垣には気持ちが昂ぶります。普通に登ってくるだけでもこんなに疲れるのに、ここまで石を運んできた苦労を考えると頭が下がります。

 

大手門虎口

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二の平櫓跡付近から見る大手門虎口方面の石垣が素晴らしい。奥の方は自然の岩盤を上手に利用しています。

 

三の丸方面

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三の丸に沿って土塀が建てられています。

 

本丸入口

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土塀・五の平櫓・六の平櫓が木造で復元されています。

 

天守

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登山口から休憩や写真を撮りながら1時間半かかりました。天守は2重2階で唐破風出窓がアクセントになっています。備中松山藩は小藩ですし、山城に高層天守は必要無いですからね。

2重櫓と天守

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後曲輪からの二重櫓と天守の姿。 二重櫓も天守と同じく重要文化財です。

 

天神の丸跡と大松山城跡への看板

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今まで見てきた備中松山城跡は小松山にありますが、中世は大松山城が中心でした。時間が無くなってきたのでパスしましたが、大池という石垣プールは見ておけばよかった。

 

感想 

登城途中は泣きたくなりましたが、山頂の石垣は見応えがあり満足しました。また、高梁市は城の整備に力を入れていて、要所に案内看板が設置しており参考になりました。JR利用の方はぜひ乗り合いタクシーを利用しましょう。私は絶対利用します!

 

おまけ

松連寺

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備中松山藩主の水谷勝隆により、備中松山城の砦の役割を兼ねて創建されました。拝観は出来ませんが、要塞のような石垣がすごすぎる。