石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

城好きサラリーマンが公共交通機関でお城を巡ります

五稜郭(北海道函館市) 2020年10月 登城

日本初の西洋式城郭であった五稜郭。正しくは亀田御役所土塁といい、5つの角がある星形の城郭でした。箱館戦争の舞台になり、旧幕府軍の最後の戦いとなりました。

日本100名城

満足度:★★★★★

 

 

歴史

1853年のペリー来航により、幕府は下田と箱館の2港を開港し、函館山の麓に奉行所を開きました。ただ、同所は箱館湾内から近く、函館山からも丸見えのことから、内陸への移転を決定しました。移転にあたり蘭学者の武田斐三郎成章は西洋式「亀田御役所土塁」を設計し、1857年から工事が始めました。予算不足や厳しい寒さに苦しみながらも1864年に完成し、「箱館御役所」として蝦夷地を統治することになります。

1868年1月から始まった戊辰戦争において旧幕府軍は敗色濃厚となり、10月に榎本武揚率いる旧幕府軍艦隊は蝦夷地に逃走し、箱館を占拠しました。続いて11月には松前藩福山城も制圧し、12月には蝦夷地領有の宣言を出しました。

しかし翌年4月から新政府軍の反撃が始まり、5月には箱館総攻撃が行われました。市街地奪還に出撃した土方歳三は戦死し、海上でも箱館港内を制圧した新政府軍は五稜郭への艦砲射撃を開始しました。5月15日には弁天岬台場が落ち、5月18日に榎本武揚以下が降伏し、箱館戦争終結しました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★ 

五稜郭自体はアクセスしやすい場所にあるのですが、本州の人間としては北海道に行くまでが一苦労です。

・市営電車「五稜郭公園前」下車、半月堡入口まで徒歩約11分。JR五稜郭駅からだと30分近く歩くのでご注意。

函館空港からだと、函館バス(7系統 とびっこ)で「五稜郭公園入口」バス停まで、五稜郭回りだと32分、亀田支所回りだと40分。

 

城歩き

一の橋から半月堡経由で箱館奉行所まで

 

縄張図

五稜郭 縄張図

改めて星型の特徴的な縄張りですね。まずは半月堡から城内に入って、箱館奉行所を目指しました。ほとんどの観光客がこのルートで散策する王道です(私もだけど)。

 

一の橋

五稜郭 一の橋

五稜郭 半月堡

一の橋を渡って半月堡に入ります。半月堡は当初5ヶ所に設けられる予定でしたが、資金難と時間不足から、ここ1ヶ所にのみとなっています。貧乏が悪いんや。

半月堡五稜郭 半月堡

半月堡は日本の城で言うところの馬出ですね。塁壁が二重になっており、外側に設けられた低い土塁は底塁と呼ばれています。

刎ね出し

五稜郭 刎ね出し

石垣上部には「刎ね出し」とよばれる出っ張りがあります。実践で役立つかは不明ですが、熊本の人吉城にもありましたね。

 

半月堡登り口

五稜郭 半月堡

半月堡には上れるようなので、上ってみます。五稜郭の他の土塁に関しても、意外と上り下り自由でした。

 

半月堡先端

五稜郭 半月堡

先端からは堀が見渡せます。馬出としては十分な機能を持っているように感じました。

 

入口脇土塁

半月堡から下りて、再び城内に向かいます。二の橋の両脇には堀越しに稜堡が設けられており、侵入者を狙い撃ちです。

 

箱館奉行所入口

五稜郭 箱館奉行所入口

ここから先は本郭になります。門の両脇の土塁は涕涙になります。

 

本塁の石垣

五稜郭 本塁の石垣

五稜郭 本塁の石垣

五稜郭 刎ね出し

当時の本郭への入口3ヶ所のみ、本塁は石垣で築かれました。半月堡から本塁石垣は特に立派であり、函館山から切り出された安山岩が用いられています。

 

藤棚と門場所跡

藤棚のトンネルを通って城内に入ります。トンネルの左側には門番所跡がありました。西洋式城郭にも、番所があったんですね。

 

見隠塁

五稜郭 見隠塁

五稜郭 見隠塁

通路の正面には見隠塁と呼ばれる石垣があり、郭内を侵入者から見通せないようにしています。ただ、日本伝統の枡形にした方が強固な気がしないでもない?

 

稜堡登り口

稜堡にも上ってみました。五稜郭には名の通り稜堡が5つあるわけですが、全ての稜堡に上ることが出来ました。

 

稜堡上部

普通に土手ですな。芝生の緑のおかげか、城跡という雰囲気はあまりしません。

 

半月堡方面

先程通ってきた半月堡の構造がよく分かりますね。

 

武田斐三郎顕彰碑

稜堡から下りて奉行所を目指す途中、武田斐三郎の顕彰碑がありました。斐三郎は伊予大洲藩出身の俊才で、五稜郭と弁天岬台場を設計しました。みんなが撫でるので、顔がテカってらっしゃる。

 

箱館奉行所

 

箱館奉行所(復元)

五稜郭 箱館奉行所

五稜郭 箱館奉行所

五稜郭の中心にどんと構える箱館奉行所。見ての通りの和式建築で、蝦夷地統治を担う役所でした。箱館戦争の際には奉行所の太鼓櫓が砲撃の標的となってしまいました。戦後に解体されましたが、2010年(平成22年)に当時の1/3の規模で復元されました。

 

大広間と奥の一の間

箱館奉行所 大広間

箱館奉行所 一の間

奉行所で一番格式の高い部屋です。儀式で使用されていた部屋とのことですが、とにかく広い!

 

中庭

中心部には採光と雨水処理を目的とした中庭がありました。

 

御役所調役

御役所調役

奉行所の一番広い部屋(畳45畳!)で、執務室にあたりました。当時はちょんまげの武士がここで事務仕事をしていたんでしょうね。

 

箱館奉行所から裏門橋まで

 

縄張図

箱館奉行所からは、北西の稜堡に上った後に裏門橋に向かいました。

 

裏門見隠塁

五稜郭 見隠塁

裏門側にも目隠塁がありました。こちら側は人が少ないですね。

 

大砲を運んだ坂

五稜郭 稜堡

北西の稜堡には、土塁の上に大砲を運ぶための坂がありました。箱館戦争の際、旧幕府軍によって急いで築かれました。

 

裏門入口の本塁

裏門側の本塁は資金難のため、半月堡側よりも低くて刎ね出しがありません。

 

裏門橋

五稜郭 裏門橋

裏門側の簡素な石垣。こちら側の石垣には、亀田川等の河原石が使われました。うん、資金難のせいですね。

 

五稜郭の考察

日本初の西洋式城郭であった五稜郭ですが、城単体としての防御力はさほど高くないように感じられました。実際に箱館戦争では旧幕府軍の拠点になりましたが、籠城戦にまでは至りませんでした。

 

貧乏が悪いんや!

箱館柳野御陣営之図

 

五稜郭初度設計図

 

函館五稜郭の図

上から順に、理想⇒現実⇒妥協と言ったことでしょうか。稜堡式城郭は、稜堡を二重三重に縦深的に配置して防御力を高めますが、五稜郭には半月堡1基が設けられただけでした。また、堀幅はあるものの土塁や石垣が低く、縄張りに死角はないかもしれませんが、力攻めでも突破されそうです。

 

ベトナムの稜堡式城郭

当時ヨーロッパでは、稜堡式城郭から多角形要塞へと移りつつありましたが、フランスでは稜堡式城郭が未だ築かれていました(1870年の普仏戦争プロイセンに敗れましたが)。箱館戦争五稜郭が無力されたのは、大砲の射程距離の差(向こうから届くのに、こちらからは届かない)が最大の要因であったと思います。ただ、武器が互角だったとしても、簡素化された縄張りと低い石垣のため、長くは持ちこたえられなかったでしょう。

 

そもそも目的が違う?

箱館山からの夜景

函館山からの夜景

函館を防御するのが目的なら、函館山に城郭を築くのが一番です。実際に1898年(明治31年)から、津軽海峡防衛のための要塞が築かれました。

五稜郭が築かれた理由は、「亀田御役所土塁」の名の通り、箱館奉行所を守るためでした。また、箱館奉行所が亀田の地に移転した理由は、外国人からの遮蔽と外国船の監視でした。つまり、何ヶ月も籠城出来るような要塞は元々必要ではありませんでした。

 

五稜郭タワーからの五稜郭

五稜郭

では、なぜわざわざ西洋式で築いたのか。日本人でも最新の稜堡式城郭(実際は最新では無いですが)が築けることを外国人に見せたかったんじゃないかな。江戸っ子の見栄ですな。

 

感想

日本初の西洋式稜堡城郭を堪能できました。芝生の緑が平和な雰囲気を感じさせてくれるのか、知らなければ公園としか思えません。城として十分に機能としたとは言い難いのですが、当時の日本人の必死さが伝わってきました。もし完璧に完成していたら、歴史が変わったかもしれませんね。

大松山城(岡山県高梁市) 2020年9月 登城

日本三大山城の備中松山城(小松山城)がある臥牛山。中世では臥牛山全体が山城であり、大松山城がその中心でした。今回は備中松山城を見た後に、中世山城である大松山城に向かいました。その途中で、謎の石垣造りプールも見ることが出来ましたよ。

満足度:★★★

 

 先に登城した備中松山城はこちら

castlewalk.hatenablog.jp

 

交通アクセス

まず備中松山城を見学した後、本丸裏にある水の手門から向かうのが通常ルートだと思います。備中松山城(小松山城)→相畑城戸→天神の丸→大松山城というルートで、アップダウンはありますが徒歩25分。

他には車のある方限定ですが、市道楢井松山城線の突き当り(備中松山城展望台の先ですね)の自動車回転場から、徒歩25分ほど。大松山城だけを目指すなら、このルートが最短です。

 

城歩き

備中松山城天守

備中松山城

まずは備中松山城を見学をしましょう。その後、二の丸帯曲輪を通って、本丸の裏側に向かいます。

 

水の手門跡

水の手門跡

水の手門跡から大松山城を目指します。大松山城まで580メートル。

石段

いきなり下りが始まります。備中松山城から大松山城に向かう道では、この下りが一番キツかったです。

 

土橋と堀切

土橋

堀切

途中には堀切があり、「土橋」と呼ばれる木橋が架かっていました。堀切の橋が掛かる箇所が石垣で補強されているところを見ると、中世は土橋だったものが、江戸時代に架け替えられたんでしょうね。

 

番所

番所跡

橋を渡った左手には番所跡がありました。ここに番所を置いたのは近くに井戸があるからかもしれません。

 

車井戸

車井戸

コンクリートブロックに囲まれていますが、ここに貴重な井戸があります。松山城内には井戸がなく、車井戸が一番近い井戸でした。現在も防災用等に利用されています。

 

相畑城戸の石積

相畑城戸石積

7つの平坦面と腰曲輪状の小平坦面からなり、各曲輪の側面には石垣が築かれています。土崩れ防止の役目もあるかもしれません。

 

相畑城戸跡

相畑城戸跡

相畑城戸の頂上部の平坦地。奥に見えるのは土塁ですかね。

 

野ザルにご注意!

山中のあちこちで見かけるこの看板。この日は見かけませんでしたが、野生の猿軍団は危険です。

 

せいろうが壇

せいろうが壇

天神の丸の出丸の南側にある「せいろうが壇」。

 

天神の丸の分岐点

右に進むと、天神の丸にある天神社。左に進むと大松山城

 

天神社方面

いかにも険しそうだったので、天神社は華麗にスルー。臥牛山の最高峰(標高480メートル)に天神の丸はありましたが、備中兵乱では内通により一番最初に落ちました。

 

天神の丸の堀切

堀切

天神の丸の本丸と出丸の間の大堀切。堀切の底を歩いて大松山城を目指します。

 

切り倒されたアベマキ

切り倒されたアベマキ

林野庁の「森の巨人たち百選」にも選ばれていましたが、残念ながら安全のため切り倒されていました。

 

分岐路

分岐路

左に曲がると大松山城、右手には待ちに待った謎の大池があります。

 

大池

大池

大池

大池は25メートルプールほどの大きさの総石垣造りで、全国の城の中で最大の貯水池です。かつては屋根が架けられ、清掃用の船が浮かべられていました。

 

大池の石段

大池の石段

大池の石段

大池の東面と南面には、石段が付けられています。

 

大池の北面

北面下部に埋められた木樋を通して、谷へと排水していました。普通に考えると飲水のためですが、なぜここまで大掛かりな貯水池を造る必要があったのか謎ですね。

 

松山城縄張図

再び分岐路まで戻り、大松山城を目指します。中世臥牛山の中心は現在の備中松山城のある小松山ではなく、大松山でした。

 

松山城井戸

大松山城 井戸

本丸への途中には井戸がありました。井戸の向こうにある曲輪は二の丸です。

 

松山城 本丸

大松山城 本丸

大松山の山頂にあり、臥牛山で最初に城が築かれたところです。特に遺構は残っていませんが、松山城はここから始まったんだよな。

 

感想

道が整備されているので、ハイキング気分で楽しめました。中世山城の遺構もよく残っており、そして何より大池のミステリアスさがいいですね。長い間見てみたかったので、今回訪問できてスッキリしました。 

備中松山城(岡山県高梁市) 2020年9月 登城

山城で唯一の現存天守が残る備中松山城。5年ぶりに訪問したら、いろいろと変わっていてビックリしました。前回は駅から徒歩で登城しましたが、今回は乗り合いタクシーを利用してみました。また、猫城主にも挨拶してきましたよ。

日本100名城

満足度:★★★★★

 

備中松山城に続く、大松山城はこちら

castlewalk.hatenablog.jp

 

交通アクセス

城まちステーション(5合目)まで車で行って、そこから登城整理バス(往復400円)でふいご峠(8合目)まで上ります。ふいご峠から天守まで徒歩20分。これが普通のルートだと思います。(車がないとつらい)

ただ、電車利用の観光客のために、市が乗り合いタクシーを運行してくれていますので、今回はそれを利用してみました。

ちなみに駅から歩いて天守を目指すと1時間30分はかかります。

 

前回の徒歩での登城の苦難の記録

 

乗り合いタクシー

高梁市図書館

改札を出てすぐに洒落た図書館を発見。市から委託を受けたカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営しており、TSUTAYAスターバックスも入っています。観光協会もこの中にありますので、乗り合いタクシーの受付を行います。詳細な松山城の地図もありますので忘れずゲット。

 

確認表

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観光協会で受付を済ませます。乗り合いタクシーの予約は前日5時までに済ませる必要があり、帰りに武家屋敷で途中下車することも選べます。

 

備中松山城遠景

臥牛山山頂に小さく見える天守。なんで前回あそこまで歩いたんだろ?

 

乗り合いタクシー(?)

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出発時間の5分前に運転手さんが迎えに来てくれます。この時の利用者は5名だったので、バンで出発です。ちなみに帰りは3名利用で、普通のタクシーでした。

 

ふいご峠駐車場

ふいご峠駐車場

あっという間に10分ほどでふいご峠駐車場に着きました。徒歩だと1時間はかかるんだよね。前日予約が必要ですが、とても便利なのでぜひ利用してください。

 

ふいご峠駐車場への道

ふいご峠駐車場への道はかなり狭く、すれ違いは非常に困難です。運転に自信のない方は無理しちゃいかん。

 

城歩き

ふいご峠駐車場から松山城天守まで歩いて向かいます。ここまでタクシーで来たんだから、楽勝かと思いきや・・・

 

いきなり山道

いきなり結構な山道から始まります。天守まで20分とのこと。

 

登城心得

所々に登城心得が立ててあります。あわてずゆっくり上らせていただきます。

 

中太鼓櫓跡

備中松山城 中太鼓櫓跡

山道を上ること約6分。唐突に現れた中太鼓櫓の立派な石垣。太鼓の音の中継基地として利用されました。

 

大手門前の石段

備中松山城 大手門前

更に中太鼓櫓跡から歩くこと5分。奥に見えるは大手門入口の石垣。ようやくここまで辿り着きました。

大手門脇の岩盤と石垣

備中松山城 大手門脇の岩盤

大手門脇には巨大な岩盤があり、その上には石垣が築かれています。大河ドラマ真田丸」のオープニングにもこの岩盤が登場しています。(CGで滝が流れていました)

大手門跡

備中松山城 大手門跡

山城とは思えない立派な枡形で、かつては櫓門が建っていました。ここも「真田丸」のオープニングに登場しています。(なぜか水が流れてた)

 

大手門枡形の石垣

備中松山城 石垣

正面の石垣前には、足軽番所が設けられていました。山麓から本丸に向かうには必ず大手門を通る必要があるので、やたらと厳重な構えです。

 

三の平櫓東土塀

備中松山城 三の平櫓東土塀

観光客のほとんどは気づきませんが、枡形を出て正面の土塀は現存で重要文化財に指定されています。。

 

三の丸

備中松山城 三の丸

大手門を抜けた先は三の丸。普通は本丸→二の丸→三の丸と広くなるのですが、山城故にそれほど広くはないですね。

 

段々石垣

備中松山城 段々石垣

三の丸から見上げた段々石垣。曲輪が上に重なっているので、下から見上げると段々畑みたい。

 

二の丸への石段

三の丸からは帯曲輪と二の丸の石垣を横目に上っています。

鉄門(二の門)跡

備中松山城 鉄門跡

鉄門跡を通って二の丸に入ります。かつては櫓門が建っており、ここから城下が一望できます。

 

二の丸

備中松山城 二の丸

備中松山城で一番広い曲輪である二の丸。ようやく天守が見えてきました。

 

雪隠跡

備中松山城 雪隠跡

二の丸の南東隅にある雪隠(せっちん)跡。古絵図にも描かれており、5つに仕切られていました。近くにもう一つ雪隠跡がありますが、増築したのかな?

 

本丸平櫓と天守

備中松山城 本丸平櫓と天守右奥に見えるのが目指す本丸天守。平櫓の間にある南御門から本丸に入ります。

 

猫城主さんじゅーろー

猫城主 さんじゅーろー

本丸には猫城主のさんじゅーろーが寛いでいました。その正体は2018年(平成30年)に松山城に迷い込んだ飼い猫ですが、今ではすっかり人気者。観光客から逃げるわけでもなく、堂々としてらっしゃいました。

 

天守

備中松山城 天守

ようやくたどり着いた本丸天守。国内で山城に残っている唯一の天守です。2層2階とこぢんまりとしており、高さは現存天守中で一番低いです(1階面積では丸亀城が最小です)。

 

天守内部1階 

備中松山城 天守内部

意外と広い天守内部。 天守の外壁と内壁の間に空洞があることから(銃弾に脆い)、実戦は想定されていなかったとのこと。

 

囲炉裏

備中松山城 天守内囲炉裏

籠城時に暖を取るための囲炉裏です。妙に生活感を感じるな。

 

天守内部2階 

備中松山城 天守内部

2階では御社壇を設けて、三振の宝剣を始めとした神々を祀っていました。

 

二の丸帯曲輪

備中松山城

天守を見学した後は、一旦本丸から下りて、本丸の裏側に向かいます。この辺りからのアングルも「真田丸」のオープニングに登場しています。

 

東御門

備中松山城 東御門

二の丸帯曲輪から本丸に入る東御門。残念ながら閉じられています。(本丸は有料区域だしね)

 

搦手門跡

備中松山城 搦手門跡

かつては搦手門から大手門方面と土橋方面へと犬走りが続いていましたが、現在は崩れて通れません。残念。

 

二重櫓

備中松山城 二重櫓

岩盤の上に建つ二重櫓。城内唯一の2階建て櫓で、天守とともに現存の建物になります。

 

九の平櫓跡

備中松山城 九の平櫓跡

二重櫓北側の石段を登ると、後曲輪に出ます。端には九の平櫓跡があり、そこが現在の備中松山城の最北端となります。

 

水の手門跡

備中松山城 水手門跡

後曲輪を下りて、北にあるのが水の手門跡。ここまでが現在の松山城となります。ここから先は大松山城方面となりますが、行っちゃおうか?(行っちゃいました)

感想

とにかく山上の石垣が素晴らしかったです。岩盤上の石垣は迫力満点で、「真田丸」のオープニングロケ地に選んだスタッフはお目が高い。貴重な現存天守も見どころがありました。また、乗り合いタクシーを運行したり、猫城主で話題作りしたり、高梁市も頑張っていますね。城内も整備されていて、気持ちよく城歩きできました。

 

 

 

鬼ノ城(岡山県総社市) 2020年9月 登城

謎に包まれた古代山城である鬼ノ城。鬼城山を鉢巻状にぐるりと巡る石垣と土塁は壮大の一言です。駅から徒歩で向かいましたが、死兆星が見えたよ・・・。

日本100名城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

鬼ノ城は歴史書に記録が残っておらず、その歴史は謎に包まれています。ただ、その造りや発掘調査から、7世紀後半に築かれた古代山城と推定されています。

飛鳥時代朝鮮半島百済復興のために出兵した倭軍は、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗しました。逆に攻め込まれることを怖れた天智天皇は九州北部や瀬戸内沿岸に城を築き、鬼ノ城もそのうちの一つと考えられています。その後、唐との緊張関係も薄れ、ほどなく鬼ノ城は廃城となりました。

長らく忘れられていましたが、1971年(昭和46年)に遺構が発見され、古代山城であることが確認されました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

駅から離れている上に山城なので上りが続き、徒歩だとかなり行き難い城になります。

・JR吉備線(桃太郎線)の服部駅から砂川公園管理事務所まで1.9キロ(25分)。そこから鬼城山ビジターセンターまで坂道を延々と上って3.6キロ(1時間)。鬼城山ビジターセンターから鬼ノ城西門まで約10分。なんと合計で1時間半もかかります。車だと鬼城山ビジターセンターまで行くことが出来るので恨めしい(笑)

・もう一つ山道を登るルートもあります。JR吉備線の足助駅から奥坂休憩所まで4.4キロ(1時間)。奥坂休憩所から鬼ノ城東門まで山道を登って30分。このルートは岩山ハイクを楽しめる人じゃないと厳しそう。私にはちょっと無理だな。

 

城への道のり

服部駅

服部駅

最寄り(5キロは離れているけど)の服部駅無人駅。鬼ノ城へのバスは無いので、歩きで向かうことになります。タクシーを利用する場合は総社駅から乗るか、服部駅まで来てもらう必要があります。

鬼ノ城遠景

鬼ノ城遠景

奥の鬼城山に白く見えるのが鬼ノ城西門。あそこまで歩くかと思うと、軽くめまいがします。

 

鬼ノ城への道

鬼ノ城への道

こんな道をテクテク歩いていきました。

 

道の途中(まだ序盤)

砂川公園までの道はほぼ平坦なので、軽いウォーキング気分です。ただ、あと5キロか・・・

 

砂川公園管理事務所

砂川公園管理事務所

キャンプ場もある砂川公園。バーベーキューのいい匂いが漂ってくるのに、私はひたすら歩くのみ。この辺りから徐々に上りになってきます。

 

道の途中(ようやく中盤)

鬼ノ城への道

途中から道がかなり狭くなってきます。車のすれ違いが出来ないので、片方が待機するところをしばしば見ました。私も端に寄って歩きます。
 

道の途中(まだまだ)

鬼ノ城への道

体感で傾斜20度を超える坂が延々と続いて本当に参った。また、途中から携帯の電波(ドコモ)が入らなくなり、ビジターセンターでも繋がりませんでした。

 

経山城との分岐点

経山城との分岐点

経山城は戦国時代の山城です。立ち寄る気力は全く残っておらず。

 

鬼の釜

鬼の釜

残り500メートルになると、民家を見かけました。この鬼の釜は鎌倉時代に作られた湯釜と推定されています。

 

鬼城山ビジターセンター

鬼城山ビジターセンター

ようやく鬼城山ビジターセンターが見えてきました。駅からここまで1時間22分かかり、登城前に既に疲れました。歩きの人は他に誰もいなかったな。

 

鬼城山ビジターセンター

鬼城山ビジターセンター

鬼城山ビジターセンター

鬼城山ビジターセンターは無料の休憩所です。鬼ノ城の資料を分かりやすく展示してあるので、登城前に訪問してください。また、自販機がありますので、飲料はここで補給することが出来ます。

城歩き

鬼ノ城の模型

鬼ノ城の模型

資料館に展示されていた鬼ノ城の模型です。すり鉢をふせたような鬼城山の8合目から9合目を土塁や石垣が2.8キロにわたり巡っています。まるで万里の長城のようですね。尾根沿いにいくつもの曲輪を構える中世日本の山城とは思想が違います。

 

鬼ノ城への道

ビジターセンターからも上りがあって、正直ガクッと来ました。あと少しと自分に言い聞かせます。

 

角楼と西門

角楼と西門

途中の学習広場(展望デッキ)から眺めた角楼と西門。ついにここまで来たぞ。

 

角楼跡

鬼ノ城 角櫓

鬼ノ城 版築

城壁から長方形に張り出し部分が角楼にあたり、当時は石垣の上は土塁でした(現在は木材)。城壁は突き固められた版築土塁で造られており、見るからにカチカチです。

 

角楼からの西門

鬼ノ城 西門

眺めがいいね。角楼は背面(北側)と西門防備のために築かれました。西門から反時計回りに鬼ノ城を一周してみましょう。

西門内側(復元)

鬼ノ城 西門(内側)

2003年(平成15年)に復元された西門。近世城郭の櫓門に負けないくらいデカイ。鬼ノ城では4つの城門が発掘されており、西門は南門と並ぶ最大の大きさでした。2階に登れないのが少し残念。

 

敷石

鬼ノ城 敷石

城壁の内外には石が敷かれています。傾斜がつけられていることから、通路というよりも、雨水からの城壁保護が目的だったと推定されています。日本の古代山城では鬼ノ城にしかありません。

 

西門外側(復元)

鬼ノ城 西門(外側)

外観は想像によりますが、やはり迫力抜群です。築城の思想は近世城郭とは異なるようで、虎口という概念はなかったようです。

 

版築土塁と石垣

鬼ノ城 版築土塁

鬼ノ城 石垣

山中にこんな版築土塁や石垣を築かれたら、攻め落とすのは困難でしょう。

 

総社平野

総社平野見晴らし抜群。かつては「吉備の穴海」と呼ばれる内海があり、海岸線は現在よりも近かったようです。

 

城壁外の道

鬼ノ城 城壁外の道

西門からは城壁内外の道があったので、外の道を通ってみました。山麓側は崖なので注意が必要です。この石垣は当時のものかな?

 

第1水門と第2水門

鬼ノ城 第1水門

鬼ノ城 第2水門

古代山城の水門は想像していたものとは違い、排水機能のある城壁のことでした。鬼ノ城では6ヶ所の水門が見つかっていますが、第1と第2水門以外は実物を見てもよく分かりませんでした。難しいわ。

南門跡

鬼ノ城 南門跡

鬼ノ城 南門跡

柱の間隔が西門と 同じ南門。門の外が崖になっているんだけど・・・

 

高石垣

鬼ノ城 高石垣

鬼ノ城 高石垣

鬼ノ城 高石垣

鬼ノ城 高石垣

総社平野側にのみ、石垣が6ヶ所築かれています。眼下の敵を威嚇する目的もあるのでしょう。それにしても、こんな絶壁にどうやって積んだ?

 

東門

鬼ノ城 東門跡

西門や南門と比べると小さい東門。ただ、この辺りは特に岩が露出していて、自然の石垣だったかもしれません。脇には奥坂休憩所へ抜ける山道もありました。

 

屏風折れの高石垣

鬼ノ城 屏風折れの高石垣

鬼ノ城 屏風折れの高石垣

鬼ノ城 屏風折れの高石垣

鬼ノ城最大の見所である屏風折れの高石垣。血吸川に舌状に突き出た急崖に築かれており、目の眩む高さです。この石垣を築くときに、こりゃ死人出たで・・・

この石垣は西門からだとちょうど城の反対側にあるので、ここから戻る事を考えたら別の意味で目が眩みました。

 

温羅奮跡の石碑

鬼ノ城 温羅奮跡の石碑

近くに建てられた温羅奮跡の石碑。温羅(うら)は古代吉備を支配した鬼でしたが、大和朝廷が遣わした吉備津彦命に退治されたとの伝承があります。おとぎ話の桃太郎のモデルになったといわれています。

土塁

鬼ノ城 土塁

総社平野側は門や石垣や水門が所々にありましたが、山側は見どころが少ないです。数少ない遺構の一つである土塁。内側からだと、どうしても迫力に欠けてしまう。

 

北門跡

鬼ノ城 北門跡

山側の唯一の門である北門。東門と同じ位の小型の門で、通路下には石組みの排水口が設けられていました。現在は岩屋に続く遊歩道に繋がっています。

鬼城山山頂

鬼城山

上り下りを繰り返し、ようやく西門近くまで戻ってきました。足痛い。ここから駅まで歩いて戻るかと思うと、軽い絶望感。

 

感想

壮大な古代山城でした。このスケールの大きさは一豪族のものではなく、間違いなく国家事業ですね。城壁からの見晴らしが素晴らしく、特に屏風折れ石垣は必見です。ただ、ルートは整備されていますが、城内のあちこちに岩が露出しており、アップダウンも結構あります。トレッキングと覚悟して臨んだ方がよろしいかと。ハイヒールは厳禁ですぞ。

彦根城(滋賀県彦根市) 2020年8月 登城

井伊家30万石 の彦根城。国宝に指定されている天守を始め、櫓,石垣,堀と城全体がとてもよく残っています。珍しい登り石垣もあり、お城ファンなら行って絶対損はしません。ひこにゃんも待ってますよ。

日本100名城

満足度:★★★★★ 

 

 

歴史

徳川四天王井伊直政関ケ原の合戦の戦功により近江18万石を賜り、子の直継は1603年から新城の築城にとりかかりました。これは徳川家康の大坂の豊臣包囲網の一環であり、天下普請により築かれました。

天守は2年余りで完成しましたが、最終的な城の完成は1622年でなんと20年近くかかりました。その後も井伊家14代の居城となり明治維新を迎えました。幕末の大老井伊直弼は有名ですよね。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

JR彦根駅から徒歩15分。ほぼ直線なので迷うことはないと思います。

 

城歩き(佐和口から天守まで)

彦根城 縄張図

彦根城は、彦根山に本丸・太鼓丸・鐘の丸・西の丸を配し、山麓の平地部には二の丸や水掘を設けました。まずは佐和口から表門橋を渡り、鐘の丸・太鼓丸経由で天守を目指します。

佐和口多聞櫓

彦根城 佐和口多聞櫓

向かって左は現存の佐和口多聞櫓で、枡形に沿うように多聞櫓が折れ曲がっています。右は1960年(昭和35年)に復元されたもので、現在は開国記念館として活用されています。

 

馬屋

彦根城 馬屋

地味な建物ですが、実は全国でも珍しい現存する馬屋です。しかも重要文化財

 

表門橋

彦根城 表門橋

表門橋を渡って天守に向かうと、表御門は枡形になっています。橋の横にはひこにゃんの本日の登場時間が掲示されており親切。

 

 

登り石垣

彦根城 登り石垣

彦根城 登り石垣

登り石垣は、山麓から山上に向けて登るように縦方向に築かれた石垣です。敵の斜面の横移動を阻止するもので、竪堀と同じ役割を果たします。豊臣秀吉朝鮮出兵時の倭城で誕生し、国内では松山城米子城にも設けられています。彦根城では他にも4箇所に築かれていおり、石垣マニアは大興奮です。

 

彦根城博物館 (表御殿)

彦根城博物館1987年(昭和62年)に明治初めまで存在した表御殿が彦根城博物館として復元されました。表御殿の奥には藩主が住み、表では藩士が政務を行いました。

 

本丸への登城道

彦根城 登城道

この石段を上って本丸を目指します。暑いね。

 

天秤櫓と大堀切

彦根城 天秤櫓

彦根城 大堀切

彦根城 天秤櫓

太鼓丸と鐘の丸の間には巨大な堀切が設けられていて、山麓から上ってきた敵はその堀底を通らざるを得ません。そこを両曲輪から集中攻撃するわけですね。

 

鐘の丸入口

彦根城 鐘の丸入口

本丸には、鐘の丸経由で廊下橋を渡って太鼓丸へ進む必要があります。鐘の丸への入口はここしかなく、もちろん枡形になっています。

 

廊下橋と天秤櫓

彦根城 廊下橋と天秤櫓

彦根城 天秤櫓

当時の廊下橋には屋根と壁がついていました。また、天秤櫓は門の両脇に2階櫓がありますが、よく見ると棟の方向が異なっています。長浜城から移築されたと伝えられており、なんともロマンですな。

 

天秤櫓裏

彦根城 天秤櫓裏

彦根城 天秤櫓裏

天秤櫓を裏から見るとコの字型になっていました。櫓内にも入れるようなので入ってみましょう。

 

天秤櫓内部

彦根城 天秤櫓内部

櫓内部は広々としています。梁に使われている木材がうねってますな。

内壁

彦根城 天秤櫓内壁

大堀切側の壁の真ん中から下側は、防弾のため2重に造られています。その厚さはなんと30センチを超えるとか。すげーな。

太鼓門続櫓

彦根城 太鼓門続櫓

太鼓門の続櫓が見えてきました。まだ上りが続くのね・・・

太鼓門櫓

彦根城 太鼓門櫓

彦根城 太鼓門櫓

本丸への最後の関門の太鼓門櫓。太鼓の音を届けるためか、裏側が開けっ放しになっていますね。太鼓門は彦根寺山門からの移築と言われてきましたが、他の城の城門だったことが判明しています。

天守

彦根城 天守

彦根城 天守

1606年に造影された3層3階地下1階の望楼型天守です。関ヶ原の合戦で西軍の攻めにも落城しなかった大津城天守の材木や瓦が転用されています。縁起の良い天守です。

 

天守内部

彦根城 天守内部

彦根城 天守内部

急階段を登って最上階(3階)まで上がりました。見晴らし抜群ですが、窓に網が張ってあるので、カメラでは網目まで写ってしまいます。残念。

 

城歩き(西の丸から山崎曲輪まで)

彦根城 縄張図

西の丸三重櫓を見学した後に彦根山を下り、山麓沿いに歩いて山崎曲輪を目指します。

 

西の丸

彦根城

彦根城 西の丸

天守から下りて、北西の西の丸に向かいます。本丸とは低い石垣で区切られていますね。この先に三重櫓があるのでお見逃しなく。

 

西の丸三重櫓

彦根城 西の丸三重櫓

彦根城には三重櫓が2基ありましたが、残っているのはここ西の丸のみ。この櫓も多聞櫓ですね。

 三重櫓からの眺め

彦根城 西の丸三重櫓からの眺め

彦根城 西の丸三重櫓からの眺め

三重櫓からは琵琶湖が見渡せます。当時は入り江がもっと近かったので、船の監視も重要な役目だったんでしょう。また、西の丸の先には馬出として出曲輪が築かれており、西の丸との間に深い堀切が設けられています。

 

井戸曲輪・黒門方面

彦根城 井戸曲輪・黒門方面

彦根城 井戸曲輪・黒門方面再び本丸方面に戻り、西の丸の先から山麓の黒門へと下っていきます。正面に見えるのは井戸曲輪。

井戸曲輪

彦根城 井戸曲輪

山麓から曲がりくねった坂を登ってくる敵を迎え撃ち、籠城に不可欠な井戸を確保する重要な曲輪でした。この曲輪の下の石垣はこの城屈指の高さを誇ります。

 

井戸曲輪の高石垣

彦根城 井戸曲輪高石垣

彦根城とは思えない(?)高石垣。その高さはなんと20メートル弱もあります。奥に見えるは本丸石垣。こちら側から攻め上げられる気がしません。

 

北東の切岸

彦根城 切岸

山麓まで下りて、北端の山崎曲輪を目指して歩きます。斜面が茶色なのは、山裾を削って敵が山に登れないようしていたから。とても実戦的だ。

 

登り石垣

彦根城 登り石垣

登り石垣見っけ。この登り石垣は、西の丸端の石垣に連結しています。

 

山崎門跡

彦根城 山崎門跡

彦根城 山崎口

山崎曲輪の手前にある山崎門跡。現在は閉鎖されていて、外に出ることは出来ません。ここから入られたら入城無料になっちゃうしね。

 山崎曲輪

彦根城 山崎曲輪

筆頭家老・木俣土佐の屋敷のあった山崎曲輪。当時は琵琶湖に突き出しており、三重櫓も建てられていました。先の西の丸三重櫓も土佐に預けられており、琵琶湖方面の防御を任せられていたようです。ただし、今は草ぼうぼう。

 

城歩き(山崎曲輪から京橋口まで)

彦根城 縄張図

山岸を横目に山麓の路を歩き、大手門橋を渡って京橋口を目指します。このコースで他の人にはほとんど会わなかったな。

 

南西の切岸

彦根城 切岸

山崎曲輪から大手門に向かいます。やはり山裾が切岸になっています。

 

登り石垣

彦根城 登り石垣

先程の登り石垣とは西の丸を挟んで反対に位置します。セットで西の丸側への斜面移動を阻止するわけですね。

 

梅林

彦根城 梅林

西の丸・本丸の南西には梅林が広がっていました。かつては米蔵が立ち並んでいましたが、現在は梅が植林されています。春は梅花が見頃だろうね。

 

大切岸

彦根城 大切岸

本丸近くのせいか、この辺りの切岸は特に険しいですね。よじ登るのは不可能だわ。

 

天秤櫓・鐘の丸への石段

天秤櫓・鐘の丸への石段

梅林を抜けた左手の石段は、天秤櫓・鐘の丸へと続いています。大手門と表門からの敵をまとめて迎え撃つわけですな。

 

大手門跡

彦根城 大手門

彦根城 大手門雁木

券売所を出て少し歩くと大手門跡。元々豊臣家に睨みを利かすために築かれた城だけあって、当初は大坂方面の大手門が正門、豊臣家滅亡後は御殿のあった表門が主に利用されました。

 

大手門枡形と登り石垣

彦根城 大手門枡形と登り石垣

枡形とセットになって、本丸側への侵入を阻止する登り石垣。防衛の意図がはっきりわかるのが楽しい。

大手口

彦根城 大手口

橋上から振り返った大手口。これから二の丸の京橋口に向かってみます。

京橋口

彦根城 京橋口

彦根城 雁木

京橋口の石垣が予想以上に立派で驚きました。特に石垣に登るための階段である雁木はお見事。

 

旧西郷屋敷長屋門

彦根城 旧西郷屋敷長屋門

城内には旧西郷屋敷長屋門が建っています。彦根城下で現存する最大の長屋門です。

 

京橋口門跡

彦根城 京橋口門跡

かつては正面に冠木門、奥に櫓門が構えており、冠木門の両脇には2層櫓がそびえ立っていました。現在は門跡前の道路が「夢京橋 キャッスル口一ド」に続いています。


感想

天守と高石垣という近世城郭の特徴、堀切や切岸といった中世山城の技法、最新技術の登り石垣の導入。かなり実践的な縄張りで勉強になりました。観光客の多くが天守を見て引き返してしまうのがもったいない。井戸曲輪や山崎曲輪をもっとアピールできればなと思います。いずれにしても一級品の城郭です。

 

本日のひこにゃん

ひこにゃん

ひこにゃん

変わらぬ人気のひこにゃん。暑い中、お疲れさまでした。