伊東氏5万1千石の飫肥城。城下町は「九州の小京都」とも言われ、武家屋敷の石垣が残っています。NHKの連続テレビ小説「わかば」のロケ地にもなりました。
2023年1月登城
満足度:★★★★★
歴史
飫肥は日向と大隅の境目に位置しており、戦国時代には島津氏と伊東氏との間で100年にも渡る争いの場となりました。
1568年、日向国の戦国大名・伊東義祐は島津忠親が守る飫肥城を攻め、飫肥を手に入れました。飫肥城には義祐の次男・祐兵が入り、伊東氏は全盛期を迎えることになります。
しかし、栄華は長く続かず、1572年の島津義弘との木崎原の戦いで大敗を喫し、祐兵も飫肥城から逃げ出さざるを得ませんでした。飫肥城は再び島津氏の手に戻りました。
だがだがしかし、豊臣秀吉による九州征伐で状況が一変します。祐兵は、秀吉勢の先導役として活躍した結果、旧領地を回復し、1588年には飫肥城に入りました。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に付き、徳川家康に所領5万 7000石を安堵されました。以降、明治維新まで伊東氏が藩主を務めました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR駅はありますが、鹿児島を除く他県から鉄道のみで訪問するのはなかなか大変な城跡であります。
・JR日南線で、宮崎駅から飫肥駅まで、快速60分、普通70~80分。飫肥駅から城入口まで徒歩20分弱。
・宮崎交通バスで、JR宮崎駅から飫肥まで129分、宮崎空港からだと100分。バス停から城入口まで徒歩6分。
縄張図
江戸時代中期(地震後)の縄張り
元々の飫肥城の縄張りは、シラス台地の各曲輪を空堀で区切った南九州特有の中世的な縄張りで、石垣も本丸と門入口の一部分にしか築かれておりませんでした。
しかし、1662年、1680年、1684年と度重なる地震で大きな被害を受けたことから、1686年から改修を開始し、中ノ丸全体と松尾丸と今城の一部を合わせて、新たな本丸としました。この工事により、飫肥城は中世と近世の特徴が融合した城郭へと生まれ変わりました。
城下町
大手門通り
飫肥城下町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、景観に配慮した街づくりが行われています。大手門へと続くこの大通りにも、電柱が無いですよね。
小村寿太郎生誕地碑
大手門通り入口近くに建てられている小村寿太郎生誕地碑。
小村寿太郎は飫肥藩の下級武士の子として生まれましたが、その後、明治政府の外交官として活躍しました。日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」を締結したこと、幕末以来の米英独仏との不平等条約を改正したことで有名です。
武家屋敷
通り沿いには武家屋敷が建ち並んでおり、隙間なく積まれた石垣が立派です。鹿児島各地に残っている、麓(ふもと)と同じ様な雰囲気を感じます。
水路の鯉
後町通り沿いの水路では、悠々と鯉が泳いでいました。
城歩き
大手門
城入口にそびえ立つ大手門。飫肥城の建物は明治の廃城令で撤去されましたが、1978年(昭和53年)に飫肥杉を使用して復興再建されました。
大手門横空堀
大手門の両脇には空堀が掘られています。飫肥城の縄張りはシラス台地の地形を利用したものでしたが、南側(大手門側)にのみ直線の堀が掘られています。
大手枡形
大手門を通ると、立派な枡形が待ち構えています。石垣がきれいな布積みなところをみると、地震後に修復されたのかもしれません。
本丸石垣
虎口を出ると本丸石垣に突き当たり、左右どちらかに進むことになります。と思ったら、本丸への入口がありました。古絵図にも残っていることから、本丸造成時に設けられたようです。防御的にはどうかと思いますが、江戸の平和な時代ですからね。
本丸東側の石垣
本丸石垣に沿って右側(東側)に進むと櫓台があり、そこを左折すると校舎が見えます。本丸東側と今城曲輪が削平されており、現在は小学校が建てられているんですね。
本丸西側の石垣
来た道を戻って、本丸石垣沿いに西側(左側)に進みます。こちらが観光の正式ルートになります。
大手門西側土塁
大手門西側の土塁を裏から見ることが出来ます。内側の高さは4メートルですが、空堀底からの高さは16メートルもあったとのことでした。
本丸西側通路
本丸西側と松尾丸の間の道を進みます。松尾丸は小島のように独立しており、元々の飫肥城はこのような曲輪の集合体でした。
本丸西側枡形
本丸西側入口は枡形になっており、当時は門が設けられていました。
本丸跡
現在、飫肥城の本丸跡は小学校のグランドになっています。
松尾丸と復元御殿
松尾丸への階段があり、曲輪上には書院造りの御殿が再建されています。本当は本丸に建てたかったのでしょうが、小学校の校庭ですからね。
旧本丸への道
本丸と旧本丸の間の道を通って、旧本丸へと向かいます。
旧本丸入口
旧本丸入口は枡形となっています。地震後に積み直したのでしょうが、きっちりと積まれた石垣がきれいです。
旧本丸
旧本丸には杉の木が立ち並んでいます。静かな雰囲気がとても良い。
NHKの連続テレビ小説「わかば」にも、主人公が元気を取り戻すシーンで登場しています。
謎の岩
北門前には謎の直方体の岩がありました。ミステリーですね。
旧本丸北門
旧本丸の北側には門がありました。特に案内板はなく、当時の門ではなさそうです。
北門からのグランド
北門からはグランドを見渡すことが出来ました。現在は削平されておりますが、当時は旧本丸のような小山の曲輪でした。間を通る道路が空堀を兼ねた通路でした。
感想
大手の立派な門や石垣からは想像できない、中世城郭の気配が残っている城でした。特に旧本丸の雰囲気が最高です。島津氏と伊東氏がこの城の争奪を繰り返したと思うと、ますます感慨深かったです。