石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

素人の城好きが気合で城を巡ります。

勝連城(沖縄県うるま市)

勝連城(沖縄県うるま市) 2018年12月訪問

満足度:★★★★

反逆の阿麻和利(あまわり)の居城として有名です。細長い縄張で、一の曲輪がある北西側が整備されています。丘の上の城はまるで神殿のようであり、見晴らしが最高です。

続100名城

 

歴史

12~13世紀頃に築城されましたが、歴史の舞台に出てくるのは阿麻和利の居城になってからです。

15世紀に現れた阿麻和利は勝連城主の茂知附按司を倒し、10代目城主となりました。阿麻和利は貿易で国力を付け、1458年にライバルの護佐丸を倒し、王都首里を攻めましたが破れ、勝連城にて滅亡しました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

那覇バスターミナルから、沖縄バス [52番]与勝線に乗って、「勝連城跡前」下車。だいたい1時間30~40分かかります。本数が1時間に1,2本あり、城がバス停近くなのがせめてもの救いか・・・

 

城歩き

勝連城図

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勝連城は北西から南東に細長い縄張で、間の凹んだ四の曲輪には西原御門と南風原御門がありました。西原御門跡から城跡に入ります。

 

防御田地

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西原御門跡前には芝生が貼られていますが、昔は底なし沼と言われるほどの湿地帯だったとのこと。

四の曲輪の石垣

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万里の長城のように伸びる石垣。一の曲輪の方はともかく、東の曲輪の方は森が茂っていてちょっと行けそうにないね。西原御門跡は分かりませんでした。(発掘中?)

 

北西の一の曲輪方面

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まさに丘の上の天空の城。ぐるっと右に旋回しながら上っていくので、渦巻状の城に見えます。

 

ウタミシガー

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「ガー」は泉のことざんす。「ウタミシ」は「お試し」を意味していて、旧暦元旦の初拝みの際に水の量で吉凶を占った泉とのことです。勝連城にはこのような泉や井戸が多く、籠城もバッチコイってわけですな。

 

三の曲輪の入り口

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ぐるっと右曲がりの階段を登ると辿り着くのは三の曲輪の入り口。昔は四脚門(薬医門)が建っていました。

 

三の曲輪

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三の曲輪には広場が広がっていました。意外にも建物は建っていなかったようです。

三の曲輪の石垣

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石垣の向こうは険しい斜面で、こちらから攻めるのは難しそう。防御力の高い曲輪です。

 

二の曲輪

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三の曲輪から少し高い段にあります。かつては正面17m、奥行き14.5mの正殿に相当する建物がありました。目の前には三の曲輪の広場があり、二と三で一つの曲輪と見てもいいかも。

 

ウミチムン(火の神)

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ここでは火の神が祀られていました。こういうのが沖縄らしいな。

 

ウシヌジガマ

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この洞穴は一の曲輪の洞穴と繋がっており、阿麻和利はここから脱出したとの伝説があります。まあ太めの人は無理かな(笑)

 

一の曲輪を望む

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一の曲輪は一段と高いところにあります。石段は右に旋回しながら城壁沿いに続いています。勝連城は右曲がりの美学だな。


一の曲輪

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この城で一番高いところにある一の曲輪。広さはそれほどないけど見晴らし抜群。

 

中城方面

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湾を挟んで中城城の護佐丸と牽制し合ったのでしょう。曇り空で私の目では中城城は分かりませんでした。


感想

とにかく城跡からの見晴らしが抜群でした。渦を巻いたような城壁もメッチャ格好いい。ここから首里に攻め上がった阿麻和利の気分に浸るのも悪くなかったです。中城城とせっとでぜひどうぞ。

 

首里城(沖縄県那覇市)

首里城沖縄県那覇市) 2018年12月訪問

満足度:★★★★☆

琉球王の居城であった首里城。太平洋戦争で尽く破壊されましたが、戦後復元され、2000年に世界遺産にも指定されました。観光客の多くが訪れている、那覇のシンボル的な遺構です。

2019年10月31日の火災で正殿を始めに北殿や南殿等が全焼しました。

 

歴史

14世紀の琉球では按司と呼ばれる領主が争っており、首里城はその頃には存在していたと考えられています。

1429年に尚巴志が南山・中山・北山に分かれていた三国を統一し、琉球王国が誕生しました。その居城が首里城で、以後琉球王国の王府となりました。本土における江戸幕府江戸城のようなものですね。

琉球王国の時代から、度重なる火災によって焼失・再建を繰り返して来ましたが、第二次世界大戦中の沖縄戦の際に完全に消失してしまいました。

戦後に逐次復元され、2000年には「琉球王国のグスク(城)および関連遺産群」が世界遺産登録されました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

当たり前ですが、本土からだと飛行機か船でしか来れません。ゆいレール首里駅から徒歩15分。首里駅へは空港からゆいレールで30分ほどなのですが、やはり那覇空港までが遠いですよね。

 

城歩き

首里城公園案内図

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首里城は丘陵に建てられており、急崖な南西部には一重、緩斜面部分には2重の城壁を巡らせてあります。首里駅から城壁に沿って、中心にある正殿にむかいました。

 

北西からの石垣

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石垣は隙間なく垂直に積まれており、滑らかなカーブを描いています。サンゴなどの死骸がもとになった琉球石灰岩は加工しやすいので、このような積み方が可能になっています。

 

隅頭石

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隅角部が突起のように丸みを帯びて上を向いています。角には悪い気が集まりやすいので、角をなくし、風当たりを良くするという説があります。ひょっとするとデザイン的なものかも知れませんね。

 

石垣新旧

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首里城沖縄戦で米軍からの艦砲射撃を受け、石垣も大きな損傷を受けました。よく見ると、昔の遺構と復元の境もありますね。

 

久慶門(復元)

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慶門はかつて通用門として使用され、主に女性が出入りしていました。


歓会門(復元)

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首里城は外郭と内郭により二重に囲まれており、歓会門は外郭に入る第一の正門です。つなみに「歓会」とは歓迎するという意味です。両脇の魔除けのシーサーが沖縄らしい。

 

瑞泉門(復元)

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瑞泉門は内郭に構えられた門になります。アーチ門ではなく、城壁が分断されたところに櫓が乗った本土風です。石段下右に湧水「龍樋」あるため、瑞泉門の名がつきました。

 

奉神門(復元)

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正殿のある「御庭(うなー)」へ入る門です。ここから先は入場料が必要で、そういう意味で最後の関門かも。

 

正殿(復元)

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とても鮮やかな朱色。正殿は琉球王国最大の木造建造物でした。過去に4度の焼失と再建を繰り返してきましたが、2019年10月に再度焼失しました。今となっては貴重な写真。

 

御差床

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正殿二階の国王が鎮座した玉座です。さまざまな儀式や祝宴が行われてきました。

正殿の遺構

正殿の遺構

見逃しそうになる地味な展示。正殿は過去に4回の焼失と再建を繰り返しており、これはその遺構です。今回の火災で5回めの焼失になりましたが・・・

 

守礼門(復元)

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首里城外にある守礼門二千円札にも描かれていますね。ただ、二千円札見かけないな(笑)

感想

琉球王国の拠点だけあって、壮大な石垣に囲まれた広大な城でした。再建とはいえ、石垣の立派さが印象的で、本土の城との違いも興味深かったです。沖縄に来るのは大変だけど、空港からのアクセスもいいのでお薦めです。

残念ながら、正殿を始めに北殿や南殿が焼失しましたが、城内の公開が再開されています。微力ながらも応援したいですね。


 

人吉城(熊本県人吉市)

人吉城熊本県人吉市) 2018年7月訪問

満足度:★★★★★

ずっと行きたかった人吉城。思っていた以上に広く、平城と山城が合体した城でした。珍しい跳ね出し石垣や謎の地下室と見どころも沢山。名物の鰻も美味しかった!

日本100名城

 

 

歴史

鎌倉時代に相良長頼が下向し、平頼盛の家臣 矢瀬主馬佑を討って館に入ったのが、相良家37代700年に渡る統治の始まりでした。

現在の縄張の人吉城は、天正年間(1573~1593年)の末頃から、19代義陽、20代長毎、21代頼寛の3代に渡って築かれ、1639年頃に完成しました。

明治の西南戦争時には西郷軍側につき、人吉は戦いの舞台にもなりました。1860年の城下の大火後、薩摩藩が支援してくれたことへの恩があったからと言われています。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

JR人吉駅から徒歩20分弱。ただ、球磨川沿いの盆地である人吉までがなかなか行きにくくて困っていました。

・JRの場合は熊本駅から人吉駅まで特急で1時間30分。普通だと八代乗り換えで2時間30分。どちらも本数が少ないので注意。

・バスの場合、 熊本駅前または熊本桜町バスターミナルから人吉ICまで高速バスで1時間40分くらい。鹿児島行きまたは宮崎行きの途中になります。人吉IC下車後、人吉駅前まで人吉周遊バスで12分。

 

城歩き

城の西方の大手口から歩いてみました。この日は昼まで晴れていたのに、午後からスコールのような雨と雷が止まずに困りました。当然のごとく傘なし(笑)

 

 長塀(復元)

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胸川沿いに石垣と長塀が築かれています。瓦を貼った海鼠壁が美しい。

 

大手門跡

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多聞櫓(復元)を傍目に見ながら城内に入ります。 今は直線で入城できますが、当時は枡形の石垣に突き当たり、一旦右に折れてから大手門櫓下を通る鉤形の通路でした。

 

 

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とても広くて驚きました。2万2千石の大名の城とは思えません。つい最近まで市庁舎もありましたが、熊本地震の影響で2018年に解体されました。
 

城模型

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城内にある人吉城歴史館に展示されていた人吉城の模型です。

右側が入ってきた大手口。川に挟まれた平地には屋敷や御殿があり、左の山側には詰城が築かれているのが分かりますね。

 

相良清兵衛の地下室

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また、歴史館内では1997年(平成9年)からの発掘調査で見つかった特殊な地下室を見学することも出来ます。石積みの壁に囲まれており、長方形の貯水池には刀が一振沈められていました。元家老の相良清兵衛の屋敷跡にあり、清兵衛の息子の屋敷跡でも同様の地下室が見つかっています。

莫大な権力を持った清兵衛は藩主の相良頼寛と対立し、幕府の呼び出しを受け江戸に出発した後、残された一族は藩と衝突し全滅しました。(お下の乱)
 

球磨川沿いの城壁

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一旦城外に出て、球磨川に架かった水の手橋から城を眺めます。当時は橋は架かっておらず、球磨川が外堀の役目を果たしていました。

 

水ノ手門跡

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川に面した石垣には7ヶ所の船着場が造られ、水ノ手門はその最大のものでした。年貢米が水運を利用しこの門から城内に運び込まれていました。

はね出し石垣

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幕末の火災後に導入された石垣のはね出し石垣。他では五稜郭やお台場といった西洋式の城郭で見られる珍しい工法です。なぜ、この人吉の地に・・・謎だ。

 

堀合門(復元)

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堀合門(現存)

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堀合門は相良家御殿の裏門です。城跡には2007年に復元されましたが、本物(?)は城下の新宮家に移築されています。人吉城唯一の建物の遺構です。

 

御下門跡 

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三の丸に入る唯一の入口。この石垣には圧倒されますね。

 

石段

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このような石段を登っていきます。山城ですな。

 

三の丸跡

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初夏の田んぼのような芝生の緑がきれい。

 

中の御門跡

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二の丸への入口です。きっちりとした枡形になっています。

 

本丸跡

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本丸には天守は建てられず、後に護摩堂となった屋敷がありました。

 

感想

こんなに広い城とは思っていませんでした。川沿いに海鼠壁の塀があるかと思えば、本丸への道には豪快な石垣もあり、とても堪能できました。謎の地下室にも興味が湧きますね。雨でびしょ濡れで廻った甲斐がありました(笑)

 

観光

青井阿蘇神社

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阿蘇神社の分霊を勧請して創建されました。2008年に国宝指定されました。このときは晴れていたんだよな・・・

永国寺楼門

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西南戦争時に西郷軍の本営が置かれました。別名幽霊寺で幽霊の掛軸があることでも有名です。

 

元湯 

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人吉は温泉でも有名です。温泉銭湯も多数あり、城跡近くの元湯でさっぱり。

 

上村うなぎ屋

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人通りの少ない街で(失礼)、この店だけはめっちゃ活気がありました。肉厚の鰻が美味しかったです。

熊本城(熊本県熊本市)

熊本城(熊本県熊本市) 2018年6月訪問

言わずと知れた、加藤清正が築いた金城湯池の名城です。幾重にも張り巡らされた石垣は扇の勾配で知られています。西南戦争では西郷軍の猛攻にも耐え抜きました。

しかし、2016年4月の熊本地震で甚大な被害を受け、特に石垣の崩落は激しいものでしたが、一歩ずつ復旧が進められています。

日本100名城

 

歴史

1588年に加藤清正は隈本城に入城し、その北東部の茶臼山に新たに築城を開始しました。しかし、直後の朝鮮出兵により工事は中断し、1607年にようやく完成を見ました。その石垣の曲線は「扇の勾配」と称され、清正築城の集大成でした。

1611年の清正没後に3男の忠広が相続しましたが、1632年に幕府によって改易され、以後細川家54万石の居城となりました。

1877年(明治10年)の西南戦争において西郷軍の進撃を阻止し、西郷隆盛は「わしは官軍ではなく、清正公に負けたのだ」と言い放ったと伝えられています。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR熊本駅から市電で「熊本城」・「市役所前電停」まで約10分。熊本の繁華街にあり、まさに熊本の中心にあります。

 

城歩き

2016年4月の熊本地震により、天守重要文化財13棟などが損壊し、石垣も甚大な被害を受けました。

 

未申櫓(ひつじさるやぐら)

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奉行丸の未申櫓(ひつじさるやぐら)。西側の長塀と石垣が激しく崩れています。石がまるでゴミのようだ・・・

 

西出丸の石垣

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こちらも石垣が崩落しています。小天守は、足元の崩れた石垣の解体が進み、宙に浮いたようになっていました。

 

戌亥櫓(いぬいやぐら)

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西出丸の戌亥櫓(いぬいやぐら)。櫓の崩壊を一本足で支えています。見ていて怖くなるバランス。

宇土

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隣の続櫓は倒壊したものの、倒れなかった宇土櫓。築城時の貴重な建築物なので、とりあえずは良かった。

 

長塀跡

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坪井川沿いの長塀は熊本城を代表する景観でしたが、石垣が残るのみ。

 

感想

立ち入り禁止の箇所が多く周りを廻っただけですが、地震の傷跡が生々しく残っていました。崩落した石群が被害の大きさ、逆に石垣の壮大さを物語っていました。

熊本城の復旧は着々と進められていますが、全体の復旧は20年後を目指しているとのこと。陰ながら応援しています。

 

徳島城(徳島県徳島市)

徳島城徳島県徳島市) 2018年6月訪問

満足度:★★★★

蜂須賀家25万石の居城でした。天守等の建物は残っていませんが、野面積みの青みを帯びた石垣がきれいです。堀ではクラゲがのんびり浮かんでいました。

「阿波の殿様蜂須賀公が 今に残せし阿波おどり

日本100名城

 

歴史

南北朝時代細川頼之が渭山に渭山城、麓の寺島城を築いたのが始めです。

1585年、豊臣秀吉の四国平定により、蜂須賀家政が一宮城に入城したが手狭なため、翌年から渭山城と寺島城を合わせた徳島城を築きました。築城を記念して、城下の人々に城内での無礼講を許した際に踊られたものが阿波おどりの始まりと唄われています。

 

交通アクセス

困難度:★★★★

JR徳島駅から城入口の下馬橋まで徒歩8分。築城時は城南に寺島川が流れており堀として利用されていましたが、今では埋め立てられて線路が走っていますね。

 

城歩き

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徳島は吉野川河口の本当に島でした。江戸時代に描かれた「正保城絵図」を見ると、徳島城は浮島のようで、攻めにくい縄張でした。

 

鷲の門(復元)

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城南に三木曲輪を拡張したときに建てられた門。幕府に曲輪で鷲を飼うので、その通用門として届けを出したとか。平成元年に復元されました。

 

江戸時代の地形

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渭山に本丸・二の丸・三の丸があり、山麓には御殿と西の丸がありました。

 

大手門跡と下乗橋

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大手口は枡形になっています。右側の石垣は野面積み、左側は積み直し切込接ぎ。やはり青みを帯びた野面積みの方が好みだな。

また、下乗橋の名の由来は殿様以外は籠から下りたから。往時は木製の太鼓橋でした。

 

舌石

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かつて寺島川沿いの石垣にはⅤ字に突き出た折れ曲がり塀が設けられており、舌石はこの塀を支えていました。他では見たことのない珍しい遺構です。

 

登山口

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本丸は渭山上にあります。東坂口から上りました。
石垣には阿波の青石(緑泥片岩)が使われており、鈍い光沢の青がきれいです。和歌山城でも同じ石が使われており、海で離れていても地層は繋がっているようです。ロマンだ。

 

東二の丸跡

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徳島城は東二の丸に3重3階の代用天守が建っていました。天守台もなく、本丸より低い二の丸に天守を建てた理由は不明です。

 

本丸石垣

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このあたりの石垣は野趣あふれる野面積み。

 

本丸

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サッカーが出来そうなくらいの広さ。本丸には御座敷や詰番所、各種櫓が設けられていましたが、藩主は山麓の御殿で暮らしていました。詰の城だったんですね。

 

本丸弓櫓跡

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帰りは西側から下りました。弓櫓跡の石垣は壮大だ。

 

感想

青緑色の阿波青石の石垣の美しさが印象的でした。雨の日はより引き立つんでしょうね。あと、堀の水には海水が混じっているようで、チヌやクラゲが見られたのも良かったです。なんだか癒やされる城跡でした。