佐伯の八幡山に残る佐伯城。世の中が平安に移りゆく中で築かれた山城です。明治の文豪・国木田独歩はこの城山を舞台に小説「春の鳥」を書きました。近年4段石垣が見つかり、要注目のお城です。
2022年8月登城
満足度:★★★★★
歴史
関ケ原合戦後、豊後日田から毛利高政が佐伯に入封しました。それまでの栂牟礼城が不便であったことから、新たに八幡山に4年がかりで築城しました。以後幕末まで毛利氏の居城になりました。
ちなみに毛利高政の旧姓は「森」でしたが、秀吉の中国大返しで毛利の人質となった際、毛利輝元に気に入られ、毛利性を与えられました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR佐伯駅から登城口まで徒歩30分。駅隣りの佐伯市観光協会で電動自転車をレンタルするのもお薦めです。自転車なら10分ほどで着きます。
城歩き
登城の道
佐伯城は山頂部に本丸・二ノ丸・西出丸・北出丸があり、三の丸からは3通りの登城道があります。オレンジ部分は江戸時代から残っている道になります。
三の丸櫓門
三の丸の正門として築かれた櫓門。佐伯城唯一の現存建物になります。かつて門の背後には佐伯文化会館がありましたが、ちょうど取り壊し中でした。
登城の道入口
本丸への登城道は3つあります。昔からの急な上りの「登城の道」、近年造られた「翠明の道」と「独歩碑の道」。ここは当然「登城の道」にチャレンジでしょう。
登城の道
覚悟はしていたけど結構きついです。 山道としては整備されており、途中から石畳もありました。ただ、岩盤剥き出しのところもありますので、雨の日は止めときましょう。
二の丸下石垣
山頂に近づくと、つづら折りの道沿いに立派な石垣が現れました。この圧倒的な石垣感が素晴らしい。
本丸廊下橋
やっと本丸に辿り着きました。ここまで息を切らせながら15分。昔の殿様も大変だ。
縄張図(北出丸へ)
本丸を中心に、北に北出丸、南に二の丸と西出丸を延ばした縄張りです。山頂の限られた敷地を最大限利用するため、折れが少ないのが特徴です。
まずは廊下橋を潜って、北出丸へ向かってみます。
廊下橋と堀切
本丸と二の丸は堀切で断ち切られています。本丸に入るためには二の丸を経由する必要があり、いざというときは廊下橋を落として防御する仕組みとなっていました。
本丸西石垣
本丸西面の石垣に沿って進むます。
虎口
北出丸は本丸外曲輪より低くなっており、出入口には虎口が設けられています。
北出丸
南北に細長く伸びる北出丸。北端にはかつて二重櫓が建てられていました。正直言って狭い北出丸ですが、水場への道がある重要な曲輪でした。
若宮の道への下り口
北出丸の虎口近くには、麓の若宮八幡宮に続く「若宮の道」への下り口があります。ここから佐伯城の生活用水であった雄池・雌池に向かってみましょう。
若宮の道
若宮の道を数分下ると、雄池への看板が出ていました。この道も結構キツイな。
雄池
雄池は、谷の斜面を削った平坦地に築かれた人工池です。湧水と斜面から流れ込む雨水を貯めており、飲料水や防火用水として利用されました。
雌池
雄池の下には雌池が造られています。豪雨の際に雄池が溢れないように、雌池に水を流す仕組みが作られていました。しかし、2016年の台風による豪雨により、雄池と雌池間の斜面が崩落し、雌池は埋没してしまいました。現在は復旧しています。
縄張図(二の丸、西出丸へ)
再び廊下橋まで戻って、二の丸、西出丸へと向かいます。謎の近世遺跡があるんですよ。
二の丸入り口
廊下橋脇の石段を上って二の丸に入ります。
二の丸
本丸の南西に配置された二の丸。山頂部では一番広い曲輪で、居宅と呼ばれる建物が中央に建てられていました。
独歩文学碑
かつて二重櫓が在った場所に独歩文学碑が建てられていました。
国木田独歩は明治の作家であり、明治26年9月から翌年6月まで教師として佐伯に滞在しました。
二の丸虎口
二の丸南端には虎口があり、櫓門が建っていました。
西出丸
二の丸西に設けられた西出丸。曲輪の東には虎口があり、先程登ってきた「登城の道」につながっています。普通に考えたら、この道が正式ルートだったんでしょうね。
謎の窪み
二の丸内には井戸のような窪みがありますが、よく見るとレンガで造られています。太平洋戦争時の高射砲跡ではないかとも言われてきましたが、詳細不明とのことです。
櫓台跡
南西隅には櫓台跡がありました。では、本丸方面に向かいましょうか。
縄張図(本丸方面へ)
本丸へは廊下橋から入ります。本丸東にはコンクリート製の階段がありますが、これは昭和に造られたものです。
廊下橋
橋を渡って本丸に入ります。当時は屋根の架かった廊下橋であり、唯一の本丸への入口でした。また、本丸への階段は人ひとりが通れるぐらいの狭い幅しかありません。
天守台跡
佐伯城には三層天守があったと伝わっていますが、早々に失われました。本丸中央に天守台が残っていますが、この天守台に天守が建てられたかは不明です。
本丸東階段
本丸東の階段から外曲輪に下りました。当時は二重櫓がありましたが、戦前の毛利神社建設に伴いコンクリート製の石段が設けられました。城好きからは残念な改築です。
独歩碑
本丸外曲輪にも国木田独歩の碑がありました。独歩は城跡にもよく訪れていたようで、城山を舞台にした「春の鳥」という哀しい話を残しています。ぜひご一読あれ。
櫓台跡
本丸外曲輪には二重櫓が建てられていました。城下からも目立っていたでしょうね。
城下の風景
本丸外曲輪からは城下と佐伯湾を一望できます。釣りバカ日誌19の舞台は大分で、最後の方でここからの眺めがちらっと映っていますね。
本丸外曲輪冠木門跡
冠木門跡から麓に下りる道は「独歩碑の道」として整備されており、多数の地元の方が登城を楽しまれています。
独歩碑の道
「独歩碑の道」は「登城の道」より傾斜が緩い分、大回りになっています。特に案内はありませんが、下の写真の道を曲がらずに真っ直ぐ進むと、最近発見された階段状石垣を見ることが出来ます。
ひな壇状石垣
2017年(平成29年)の石垣調査で、本丸外曲輪の北斜面にひな壇状の4段石垣が見つかりました。調査当初は近代のものと思われていましたが、1735年(享保20年)に築かれていることが判明しました。
記録によると、1734年(享保19年)の大雨で斜面が崩落したため、翌年安芸(広島)から招いた石工により築かれました。上段石垣の裾を下段石垣が覆うことで補強する「はばき石垣」という手法が取られており、高さ13メートル、その段数は4段になります。
佐伯市はこの石垣をもっとアピールすべきです!
感想
山頂の曲輪はけして広くはありませんが、総石垣で築かれており、所々に工夫が垣間見えて面白かったです。また、ひな壇石垣や雄池・雌池のように整備された遺構もあり、続100名城に選ばれて、佐伯市のやる気が感じられました。
そしてなによりも、地元の方々が多数登城しており、愛されているのが感じられたのが嬉しかったです。いい城ですね。