石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

八代城(熊本県八代市) 肥後加藤家が築いた城

一国一城令の特例だった八代城。支城とは思えない立派な石垣と堀が印象に残りました。流石は熊本の加藤家が築いただけありますね。

「八代に過ぎたるものが二つあり 天守の屋根に乞食の松」細川忠興

日本100名城

2021年12月登城

満足度:★★★★★

 

歴史

元々八代にはキリシタン大名小西行長が築いた麦島城があり、一国一城令後も存続を許されていました。しかし、1619年の大地震で倒壊したため、熊本藩主・加藤忠広が新たに築いた城が八代城です。球磨川河口北側の松江村に築かれたので、松江城とも呼ばれました。

1632年の加藤家改易後、代わりに熊本城主となった細川忠利の父・忠興が八代に入城します。忠興の没後は家老・松井家が代々城代となり明治維新を迎えました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

新幹線が停車する新八代駅の西口から、九州産交バスゆめタウン→八代産交行きに乗車24分、八代宮前下車。または、八代市役所前行きに乗車15分、八代市役所前下車。

新八代駅の隣駅であるJR八代駅からもバスが出ています。

 

縄張図

「正保城絵図」より

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八代城は、一国一城令後に築かれただけあり、非常に洗練された縄張りです。本丸を中心に、東南に二の丸、西南に三の丸、北に北の丸が配置されました。

  • 櫓が建てられているのは本丸と二の丸のみ
  • 石垣が築かれているのは、本丸・二の丸・三の丸(南半分)
  • 三の丸(北半分)は土塁が築かれ、北の丸には土塁すらない

費用の問題や幕府への遠慮もあったのでしょうが、100%完成ではなかったようです。ただ、明らかに南側が強化されており、薩摩の島津藩を意識しているのが分かります。

 

城歩き

新幹線が通って、(費用は別として)行きやすくなった八代城。現在石垣と堀が残っている本丸を中心に廻りました。

 

本丸神橋

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明治の廃城後、1884年明治17年)に懐良親王を祀る八代宮が本丸に建てられ、南側の石垣を壊して神橋が架けられました。本丸に入るにはこの道が最短ルートですが、本来の大手口であった本丸東へ向かいます。

 

本丸南東隅

八代城 本丸石垣

八代城 本丸南東隅石垣

石垣の高さは水面から9メートルほどで、丁寧に積まれた石垣がとてもきれいです。手前側には横櫓、隅には宝形櫓が建てられ、櫓間は多門櫓で結ばれていました。

 

欄干橋

八代城 本丸東石垣

八代城 欄干橋

二の丸から本丸東面に架かる欄干橋。当時はもちろん木造でしたが、現在はコンクリート造りです。入口には高麗門、左手には側面からも攻撃できるよう磨櫓が建てられていました。

 

本丸東枡形

八代城 枡形

八代城 枡形

枡形内部はかなり広く、奥右には頬当御門(櫓門)が設けられていました。頬当御門とは珍しい名称ですが、加藤家の熊本城でも本丸正門を頬当御門と呼んでいました。

 

土俵

南東隅になぜか土俵がありました。そんなことよりも興味深いのは、本丸内側がチーズケーキのように窪んでいること。八代城は平地に盛土して築かれたので、内側の土盛りを少な目にすることで、時間と労力を省いたのでしょう。

 

石垣と枡形

八代城

八代城

八代城は石垣に上って、ぐるりと歩くことが出来ます。先程通ってきた枡形もご覧の通り。これは素晴らしい!


宝形櫓跡

八代城

本丸南東隅に建てられた宝形櫓跡。屋根の頂上に露盤宝珠が取り付けられ、2階部分は仏殿だったらしいです。

 

内堀への出っ張り

八代城

八代城

石垣上から堀を見下ろして気づいたのは、二の丸から内堀への出っ張りです。本丸からならまだ分かるのですが、どうしてわざわざ築いたのか分かりませんでした。

 

本丸縄張図

八代城

家に帰って縄張図を見て理解しました。当時はそれぞれ二の丸への門があり、敵が堀を回り込んで侵入しにくいように出っ張りを設けたようです。よく考えられた縄張りだと感心しました。

 

八代宮

八代宮

一旦石垣から降りて向かったのは、本丸中央に位置する八代宮。後醍醐天皇の皇子である懐良親王主祭神として祀る神社です。明治維新の廃城跡に建てられた神社の多くが旧藩主を祀ることが多いのですが、八代宮では南朝の功労者が祀られています。

 

天守

八代城 天守台

北西隅にある大天守台。八代城の最大の見所であり、これにはぜひ登ってみたい。だが登り口が分かりません。

 

天守

八代城

八代城

天守台に隣接する小天守台。ここから登れると思いましたが、内部は石蔵になっており行き止まり。当時は小天守内の階段から登れたのかもしれません。

 

合坂と武者走

八代城

八代城 武者走

ならば大天守台横の武者走からと思い、合坂の石段を上ってみましたが、見ての通り行き止まり。途方に暮れてしまいました。

 

天守台横の登り口

八代城

直接天守台に登れないなら、一旦石垣に上ってからなら行けるかもと気づきました。小天守台の横に石段を発見。

 

天守

八代城

八代城

天守台への石段がありました。「足元に注意してお登りください」の看板があったので、慎重に行かせていただきます。先ほど登れなかった小天守の石蔵もこの通り。

 

天守台内部

八代城 大天守台

八代城 大天守台

天守台から大天守台の石蔵へと繋がっています。

八代城には4層5階(地下一階)の大天守が建てられましたが、1672年の落雷で焼失し、その後再建されませんでした。

 

天守

八代城 天守台

八代城

ようやくたどり着いた大天守跡。眺望抜群とまでは言いませんが、柵や手すりが無いので見晴らしがいいです。足元には要注意。

 

枡形

八代城

天守台から見下ろした本丸北の出枡形。あそこから出ましょうか。

埋み門

八代城 埋み門

本丸北にある埋み門跡。当時は両脇の石垣間に平櫓を渡し、その下に門を設けていました。奥に見えるのが大天守台です。

廊下橋跡

八代城

当時は北の丸(現在の松井神社)に繋がる廊下橋が架けられていました。北の丸には庭園がありましたので、城主がプライベートで通っていたのでしょうね。

 

廊下橋門跡

八代城

廊下橋から本丸を振り返って見たところ。搦め手とは思えないきっちりした枡形です。枡形入口には廊下橋門が設けられていました。

 

天守

八代城

八代城

堀外から眺めた天守台。ここに天守が建っていれば、そりゃ存在感がありますわ。

感想

きっちり積まれた石垣が印象的な城跡でした。本丸の石垣がよく残っており、登り放題なのも好印象。石垣好きならお勧めですぞ。