私が今まで見てきた中でも屈指の石垣を持つ津山城。学生の頃、偶然立ち寄ったときの衝撃は忘れられません。その姿はまさに石の要塞。石垣好きには堪えられない城郭です。
2021年2月登城
満足度:★★★★★
歴史
1603年、関ケ原の合戦の功績により川中島藩主・森忠政(森蘭丸の弟)に美作が与えられました。その居城として新たに築かれたのが津山城です。1604年から築城に取りかかり、完成までに13年の歳月を要しました。
森家が4代続いた後、1698年には松平長矩が津山藩主となりました。以降、松平家が9代続き明治維新を迎えました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
岡山からJR津山線の快速で津山駅まで70分、普通で90分。姫路からだとJR姫新線で2時間半。JR津山駅からは歩いて15分。
城歩き
正保城絵図から
鶴山を2段,3段の石垣が囲んでおり、典型的な一二三段の縄張です。往時は5重5階の天守と60の櫓が立ち並ぶ、日本屈指の平山城でした。残念ながら、天守以下の建物は明治に入り取り壊されましたが、2005年に備中櫓が復元されました。
三の丸石垣
津山城は鶴山公園として親しまれており、桜の名所としても知られています。石垣沿いに、三の丸の入口である冠木門に向かいます。
冠木門跡
料金所を抜けてすぐ、広大な枡形が待ち構えています。正面の石段は後世に造られたもので、左に180度ぐるっと曲がるのが正規の通路です。
三の丸
一二三段の縄張の宿命か、津山城の三の丸はそれほど広くないです。二の丸の石垣越しに備中櫓が見えますね。
表中門・四足門
表中門跡
とんでもない広さの石段。今は石垣を残すのみですが、ここには日本有数の大きさを誇った表中門がありました。
四足門跡
表中門跡から石段を上り、突き当りをぐるっと左方向に曲がると、四足門跡に出ます。四足門は大手二の丸入口にあった門で、なんと扉がついていませんでした。廃城後に中山神社(津山市)に移築され、現在でも神門として残っています。
備中櫓(復元)
二の丸からは、復元された備中櫓を見上げることが出来ます。備中櫓は城内の櫓の中でも最大級の大きさで、本丸御殿の一部のように見做されていました。2005年に木造で復元され、中に入ることも出来ます。
切手門・表鉄門
切手門跡
本丸石垣に沿って東に進むと、本丸表鉄門へ至る道を仕切る切手門跡に着きます。切手門は櫓門であり、2階部分が南側(写真右側)にある弓櫓につながっていました。
石段の幅
この城はスケールが大きすぎるせいか、切手門奥の石段は段差が70~80センチもある巨人向け仕様でした。現在は高低差を無くすため、部分的に新たな石段を付け加えています。赤いラインが本来の石段になります。
表鉄門跡
本丸への最後の関門になる表鉄門。2階部分は櫓になっており、本丸御殿への入口も兼ねていました。本丸の面積を少しでも稼ぐため、このような工夫をしたと考えられています。
本丸
本丸は逆L字型をしており、かつては天守や御殿が建ち並んでいました。現在ある建物は、2005年に復元された備中櫓のみです。
合雁木石段
本丸東面には、石垣の内側にも更に石壁を築いていました。津山城東側には川を挟んで小高い丘があるため、そこからの砲撃から本丸を守るためと思われます。この日は二の丸石垣の修理工事のため、立入禁止で残念。
天守曲輪
南西隅には天守曲輪がありました。天守を周りを4メートルほどの高さの石垣で囲んでおりました。厳重すぎる囲いです。
天守曲輪入口(八幡門跡)
天守曲輪への入口は2つありますが、長櫓横の八幡門跡から曲輪に入ってみます。
七番門跡
天守曲輪の北西隅には虎口があり、七番門が建てられていました。二の丸から本丸への最短ルートが七番門ですが、下の段とは3メートルの段差があるため、普通は上り下りは出来ません。どうやら梯子を架けていたらしいのですが、殿様が梯子で上り下りって笑えますよね。
多門櫓跡
天守曲輪の西側の多門櫓跡。現在は跡地が舗装されるのみですが、西面の長さ43メートル、南面15.5メートル、北面10メートルという堂々とした多門櫓でした。
天守台
天守台の高さは5.5メートル、東西20メートル、南北24メートル。入口には鉄の扉が設けられていました。
天守台内部
天守台内部は穴蔵になっていました。当時は天守内の階段で上り下りしていましたが、現在は石段が設けられています。ハート型の石がありますが、「愛の奇石」ってちょっと・・・
天守台内部
津山城には、5重5階地下1階の層塔型天守が建っていました。破風のないシンプルな外観でしたが、細川家の小倉城天守を手本にしたとの言い伝えがあります。また、江戸幕府に遠慮して、4重目の屋根瓦を壊して4重4階に見せたとも言われています。
土塀と五番門
天守曲輪から備中櫓には、五番門を通り抜けます。五番門南側の土塀は、内部を空洞にして小石を詰めた太鼓塀でした。
裏切手門・裏鉄門
裏切手門・裏鉄門
本丸から搦手側には、裏切手門・裏鉄門が設けられていました。“裏”というのが格好いいよね。
本丸御殿下段石垣
裏鉄門の内側突き当りの石垣は2段になっています。これは本丸御殿の広さを稼ぐため、下段石垣を追加して地下室とし、御殿の一部としたからです。
腰巻櫓石垣
裏鉄門の横には腰巻櫓が建っていましたが、廃城令後に撤去され、1890年(明治23年)には櫓が載っていた石垣が大規模に崩落しました。その後石垣は積み直されましたが、本来よりも低くなり、出っ張り部分も無くなりました。
裏中門跡
表中門ほどではありませんが、かなり立派な虎口です。枡形内部には排水口を巡らせており、本丸からの水を三の丸に排出する工夫がされていました。
裏下門方面(通行禁止)
城下の厩堀に出る裏下門跡を通りたかったのですが、通行止めであえなく断念。工事中という訳でもなさそうなので、入場料徴収の関係かな?
多門櫓石垣
しょうがないので、二の丸をぐるっと回って出口に向かったのですが、途中の多門櫓の石垣が素晴らしい。津山城の石垣は直線的なものが多いのですが、扇の勾配が絶品です。いいもん見せてもらったよ。
感想
石垣好きには本当に堪らない城跡です。幾重にも重なる高石垣、やたら立派な枡形の連続。櫓の数で広島城、姫路城に次いで日本3位という大城郭だったのも納得です。城好き以外の知名度はもう少しですが、もっと世間に知られてほしい。超おすすめです。