元海賊の平戸藩松浦家の居城だった平戸城。一度は炎上しましたが、松浦家の悲願で再建されました。2021年3月には天守の改修工事が完了し、展示内容が一新されました。
2022年4月登城
満足度:★★★★★
歴史
平安時代から肥前松浦を中心に割拠した武士集団は、松浦(まつら)党と呼ばれ、水軍や海賊として活躍しました。
平戸藩初代藩主・松浦鎮信は、1599年に現在の平戸城がある場所に日之嶽城を築きました。豪華な城だったのは間違いないでしょうが、オランダの宣教師のスケッチでは何処の国の城?ってくらい立派に描かれています。
しかし、1613年に鎮信自ら城に火を放ちました。幕府による改易を恐れたためと推測されています。以降、松浦家は御館で過ごします。
1702年に第5代藩主・松浦棟が幕府に築城の願いを申し出て、特別に許可されます。1718年に松浦家悲願の城は再建され、以降、明治の廃城令まで続きました。
平戸について
今は鄙びた港町の平戸ですが(失礼!)、戦国時代から江戸時代初期にかけては、南蛮貿易で大いに栄えた国際都市でした。
1550年にポルトガル船が平戸に入港し、ポルトガルとの交易が始まります。しかし、1561年のポルトガル商人と日本人との暴動(宮ノ前事件)を契機に、ポルトガルとの貿易が終了します。
1600年にオランダのリーフデ号が豊後臼杵に漂着する事件が起こりました。1605年に船長と乗組員が帰国しますが、このときマレー半島のパタニまで彼らを送り届けたのが、平戸藩初代藩主・松浦鎮信でした。
恩義に感じたオランダは1609年に平戸へ入港し、平戸は日本唯一のオランダ貿易港となります。しかし、1641年に幕府の命令でオランダ商館は長崎に移り、オランダとの貿易も終了しました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
交通が不便な地をよく「陸の孤島」と言いますが、平戸は本当に島でした。1977年(昭和52年)に平戸大橋が開通しましたが、やはり遠いですね。
・佐世保から西肥バス(平戸桟橋行き)に乗り、平戸市役所前で下車。1時間30分かかります。
・佐世保から松浦鉄道に乗って80分、たびら平戸口駅で下車。たびら平戸口からバスに乗って20分、平戸市役所前で下車。もしくは、タクシーで10分。
・博多から唐津経由で平戸桟橋まで、高速バスで2時間30分。ただ、1日2便しかなく、発車時刻の都合上、日帰りは出来ません。
縄張り
平戸城は三方が海に面しており、西は幸橋で城下町と結ばれていました。亀岡山の山頂に本丸が築かれ、一段低くして二の丸、山腹には三の丸が配されました。海城らしく、舟入が設けられていたのが特徴です。
城歩き
城下からだと幸橋経由が近いのですが、南の大手口から登城しました。
平戸城遠景
平戸桟橋から平戸城遠景。平戸城の天守は模擬(元々は無かった)とはいえ、あるとやっぱり写真映えしますね。
幸橋
当初は城下から城へ向かうには、船を使うか、遠回りするしかありませんでした。
1669年に平戸4代藩主・松浦鎮信が木橋を架け、幸橋と呼ばれるようになりました。1702年には5代藩主・松浦棟が石橋へと架けかえ、オランダ橋とも呼ばれています。
亀岡神社入口
城跡には亀岡神社が建てられていますので、383号沿いの神社入口から登城します。
大手門跡
参道を少し歩くと、立派な石組みの大手門跡に着きました。内部は枡形になっており、当時は櫓門が設けられていました。
鏡石
大手門だけあって、枡形正面には見栄を張り用の鏡石もありました。
二の大手門跡
大手門跡から50メートル歩くと、二ノ大手門跡に着きました。通路正面には城壁があり、門に入るには左に90度折れ曲がる必要があります。しかも、枡形を抜けるまでずっと二ノ大手櫓からの攻撃に晒されるという、よく考えられた縄張りです。
二の丸跡
南北に細長い二の丸。当時二の丸には藩主の御殿がありました。
方啓門跡
二の丸西にある方啓門跡。枡形内を二度曲がってから、三の丸への階段を下りていきます。ちなみに現在二の丸下には、城内通りという名称の道路が走っています。
二の丸の北奥にある亀岡神社。松浦藩主を祀っており、明治に建てられました。江戸時代はここから本丸への道があったようです。
乾櫓(復興)
二の丸北西にある乾櫓。残念ながら内部補修中で入れませんでした。二の丸側からだと窓ガラスが目立って微妙ですが、三の丸側から見上げるとなかなか格好良い。
謎の石室
乾櫓から本丸に向かう通路の斜面にある謎の石室。江戸時代から現存のものですが、用途は分かっておりません。火薬庫かなとも思いましたが、二の丸御殿の近くに保管するかと言われると、確かにそれは危険です。南蛮貿易の宝物でも保管したのかな?
地蔵坂櫓(復興)
通路の途中の西側斜面上に櫓がチラッと見えました。上ってみると地蔵坂櫓がありました。中途半端な位置にある櫓だと思いましたが、後になってここに建てられた意味がわかりました。
北虎口門
通路の突き当たりにある北虎口門。平戸城で唯一の現存する櫓門なのですが、なぜか窓ガラスが嵌めてあります。
北虎口門(外から)
一旦門を出て、外から北虎口門を見ました。右には先程の地蔵坂櫓、左には狸櫓があり、門に殺到する敵を横からも攻撃できるんですね。
狸櫓
再び門に入って左にあるのが狸櫓(多門櫓)で、こちらは唯一現存する櫓となります。櫓修理の際に狸が小姓に化けて、このまま住まわせて欲しいと嘆願したとの名の由来とな。
石狭間
珍しい石狭間。白壁ではなく、石垣に狭間が設けてあります。ちなみに狭間の向こうは草ぼうぼうで、こりゃ撃てないわ。
本丸門(模擬)
本丸門を通り過ぎ、枡形の石段を上れば本丸です。現在は立派な櫓門が建っていますが、当時は櫓門では無く、右側に櫓が建っていた模様です。
天守(模擬)
3重5階の天守。実は平戸城には天守は建てられず、この場所には沖見櫓がありました。2階櫓の代わりに5階建ての天守を建てたので、なんだか縦に長く、天守台もはみ出ています。ちょっと無理あり。
見奏櫓と懐柔櫓
2021年3月に改修工事が終わり、天守内の展示内容もリニューアルされました。ミニシアターのように平戸城の歴史が映像で流れ、歴史クイズコーナーもありました。
また、最上階からの眺めも素晴らしかったです。平戸海峡の青い海、赤い平戸大橋、平戸藩の御館だった松浦史料博物館。
見奏櫓(復興)
天守から下りて、二の丸北部に建てられた見奏櫓に向かいます。本来なら本丸から直接行けないのですが、石垣を壊して通路が造られていますね。見奏櫓から眺めた平戸海峡の海もきれいでした。
懐柔櫓(復興)
見奏櫓から坂道を下って懐柔櫓に向かいます。懐柔櫓は二の丸東の守りの要ですが、現在ではホテル(城泊)として利用されています。興味が無いわけでは無いのですが、宿泊料が高すぎませんか、平戸市さん。
このあたりの地形にはかなり手が入っていて、正直言ってかなり残念。ただ、この角度からの天守は国宝・姫路城ぽくて良いですね。
感想
松浦家悲願のだけあって、きちんと築かれた城でした。18世紀に築かれたにしては、古風な縄張りですが、前身の日之嶽城をベースにしたのかもしれません。
ただ、城跡が結構改変されているのが残念です。模擬天守は諦めるとしても、本丸の門や石垣はちょっとやり過ぎかも。これも昭和という時代でしょうか・・・