石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

大阪城(大阪府大阪市) 玉造口からの壮大な石垣

壮大な石垣に圧倒される大阪城。以前大手口からと京橋口からの登城ルートを記しましたが、今回は玉造口からのルートになります。大阪城三部作の最終章になります。

日本100名城

2021年3月登城

満足度:★★★★★

 

大阪城の歴史と交通アクセスは、過去の記事をご参照願います。以下は大手門から天守を目指すコースの紹介です。 

 

京橋口からの登城の紹介です。所々に太平洋戦争の傷跡が垣間見えました。

 

城歩き

登城ルート

城南から出発し、玉造口経由で青屋門に向かいました。今回は本丸をスルーして、隠れた日本一(!?)も紹介します。

城南の桜

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大阪城は桜の名所であり、大手門からの南外堀沿いにも桜が咲き誇っていました。

 

六番櫓

大坂城 六番櫓

南外堀に面する六番櫓。かつては一番櫓から七番櫓まで建ち並んでいましたが、現在は一番櫓と六番櫓が残るのみです。また、南外堀面の石垣は堀底から30メートルもあり、日本第2位の高さを誇っています。ちょっとした豆知識。

 

六番櫓西側石垣の抜け穴?

六番櫓西側の南面の石垣にポコっと穴が空いた箇所があります。穴の大きさは1メートル角で、奥にも通路が掘ってあった模様です。旧陸軍の仕業みたいですが、目的は何だったんでしょうね。

 

一番櫓

大阪城 南外堀石垣

大阪城 一番櫓

東外堀に沿って北に曲がると、見えてくるのが一番櫓。当時の二の丸南側には7基の隅櫓が建っていましたが、一番東端にあるのがこの一番櫓になります。

 

玉造口

玉造口の坂を上っていきます。ご覧の通り、現在でも道路として使用できるほどの幅があります。

玉造門跡

大阪城 玉造門跡

大阪城の東南に設けられた玉造門跡。枡形とその上に多聞櫓が建てられていましたが、多聞櫓は明治維新の動乱の際に焼失し、枡形は旧陸軍によって撤去されました。大手口や京橋口に比べるとかなり寂しい。

笠石銃眼(石狭間)

大阪城 笠石銃眼(石狭間)

大坂城 笠石銃眼(石狭間)

大阪城には全国でも珍しい笠石銃眼(石狭間)が設けられていました。笠石銃眼は石垣の一番上の石を加工して作られた鉄砲狭間です。特に玉造門付近の笠石銃眼は見つけやすいですね。

玉造口から本丸へ

玉造口から本丸へ向かう一直線の道。奥に天守が垣間見えますね。

 

蓮如上人袈裟懸けの松

蓮如上人袈裟懸けの松

蓮如上人袈裟懸けの松

かつて豊臣大坂城以前には石山本願寺が置かれており、この地に最初に御坊を築いた第8代蓮如が袈裟をかけたと伝えられる松の根です。
実は石山本願寺の正確な場所は確定されておらず、袈裟懸けの松自体も本丸東にあったらしいです(松についてはそもそも言い伝えですが)

 

空堀と水堀の境目

大坂城 空堀と水堀の境目

袈裟懸けの松を過ぎると、空堀と水堀の境目を見ることができます。なぜ南内堀が空堀になっているかは、大阪城上町台地の端に築かれたことに因ります。地形が南高北低のため、南側では湧水層まで更に10メートルほど堀を深くする必要があり、技術的にも金銭的にも大変だったからでしょう。

 

空堀南東と西側にある石組み

空堀の境目近くには、謎の石組みが設けられています。石組みは高さ1.5メートルほどあり、内部は人一人が通れるほどの空洞になっています。ちなみに空堀の反対側でも、同様の石組みを見ることができました。

 

雁木坂

水堀に沿って北に向かうと、急な下り坂があります。雁木坂とよばれ、江戸時代にはここに石段(雁木)がありました。

 

日本一の高さの石垣

大阪城 本丸東面石垣

大阪城 本丸東面石垣

雁木坂を過ぎ、堀越しに眺める本丸東面の石垣。実は日本一高い石垣で、その高さは堀底から32メートルもあります。そんな凄い石垣なのに案内板等も無く、ほとんどの人が素通りしています。本当にもったいないな。

 

青屋門

大阪城 青屋門

二の丸北にある青屋門。明治維新の大火で焼け、明治に旧陸軍によって門のみ再建されるも太平洋戦争の空襲で焼けた不運な門でです。江戸時代には上部の櫓部分が更に北西(写真の赤色部分)に伸びていました。

 

天守と本丸石垣

大阪城 天守と本丸石垣

大阪城 天守と本丸石垣

青屋門脇の石垣上から撮った天守と本丸石垣。本当に絵になりますよね。

 

感想

桜の季節の大阪城はきれいですね。また、本丸南面の石垣も本当に素晴らしかったです。石垣マニアは必見ですな。