日本三大山城の一つである岩村城。また、女城主の城としても知られています。標高713メートルの城山に本丸を始めとした曲輪郡が築かれており、特に本丸北東の6段石垣は見応えがあります。
2020年10月登城
満足度:★★★★★
歴史
岩村城を築いたのは、鎌倉幕府の功臣・加藤景廉の子の景朝であり、遠山氏を称しました。以来、岩村遠山氏は東美濃を支配していましたが、戦国末期には武田氏が侵攻し、しばしば織田信長との争いの舞台になります。
1572年に遠山景任が病死し、妻のおつやの方が岩村城主となります。おつやの方は信長の叔母でもありましたが、圧力の強まりから武田側に帰属します。1573年に武田の重臣・秋山虎繁が岩村に入城すると、おつやの方を妻としました。
しかし、1575年に長篠の戦いで武田軍が大敗すると情勢が急変します。信長は岩村城への攻勢を強め、虎繁は籠城するも援軍なく降伏します。信長は虎繁とおつやの方を決して許さず、磔で処刑しました。
その後城主が目まぐるしく替わりますが、1702年に入城した大給松平家が明治維新を迎えました。現在の縄張りは、小牧・長久手の戦い後の森忠政の入封後、重臣・各務元正が整備しました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR名古屋駅から恵那駅まで快速で1時間。明知鉄道で恵那駅から岩村駅まで30分。岩村駅から登城口まで歩いて25分少々。明知鉄道は電車の本数が多いとは言えないので、注意する必要があります。
城歩き
太鼓櫓
岩村駅からぶらぶら町中を歩いて23分少々。登城口手前には太鼓櫓をはじめとした表御門などの建物が復原されています。ご多分に漏れず、江戸時代には山の麓に藩主邸が建てられていました。
登城口
太鼓櫓を通り過ぎてすぐ、そこが岩村城の登城口。ここは未だ入口で、この先には下田歌子勉学所や菖蒲園といった見所もあります。
藤坂
藤坂と呼ばれる、藩主邸から一の門まで続く長い急坂です。この坂を見て、山城に来たと強く実感しました。やれやれ、本丸まで600メートル。
初門
坂道の鉤の手のように曲がった箇所が初門です。当時も門は無かったようですが、いざという時はここに門を構える要所でした。
続く坂道
ひたすらに坂道を上っていきます。石段はきちんと整備されているのですが、なかなかキツイね。私以外にも上り下りする観光客がおり、高取城や備中松山城に比べると未だ楽かも。
一の門跡
山城らしからぬ立派な石垣。かつてここには一の門と呼ばれる2階建ての櫓門がありました。実質ここからが城内になります。
土岐門跡
岩村城の第二の門、土岐門がここにありました。石垣が切込接できれいに積まれており、内部が馬出状の曲輪になっています。
追手門跡と復元CG
追手門と三重櫓跡。当時は畳橋を渡って左の棟門をくぐり、更に右に曲がって櫓門に入る枡形造りとなっており、天守相当の三重櫓がそびえ立っていました。現在は橋がありませんので、空堀の底を通るコースになっています。
イメージしにくいかと思いますので、復元CGムービーのキャプチャ画像も貼っておきます。城内の看板のQRコードを読み取ると、スマホで復元CGが見れて親切です。
登城道
追手門跡を過ぎ、両脇の曲輪を横目に更に坂を上っていきます。苔むした打込接の石垣に風情がありますね。
霧ヶ井
坂の途中にある霧ヶ井。敵が攻めてきたとき、蛇骨を投じると霧が生じたという伝説の残っています。真相はともかく、城内のあちこちに井戸があり、水には困らなかったようです。堅城の条件ですね。
八幡曲輪
霧ヶ井から道を挟んで斜向かいには八幡曲輪が広がっており、更に石段を上ると八幡さまが祀られていました。
二の丸菱櫓跡
二の丸東側の石垣は山の形に沿って積まれたため、角度が鈍角になっています。この石垣上には変形の菱櫓が建てられていました。石垣と櫓を地形に合わせたわけですね。
六段壁
圧巻の本丸北東面の六段壁。急な地形に石垣を築くため、一段毎に犬走りが設けられています。この石垣は本当に見応えがあります。
北門跡から本丸石垣
六段壁脇の北門跡から石段を上って本丸に向かいます。石垣6段分の高さがあるので、そりゃ高低差があるわな。
長局埋門跡
石垣の間に門を設けた長局埋門跡。当時は石垣の上に櫓の乗った櫓門でした。
東口門跡
長局埋門跡を入って左手の本丸入口は東門で、本丸への正門でした。ちなみに右に行っても本丸に入ることが出来ます。
本丸
ついに本丸まで辿り着きました。石垣上には2重櫓2棟と多門櫓2棟が建てられていましたが、内部に御殿等の建物はありませんでした。つまり、平常時には人が住んでいなかったわけですね。
本丸からの眺め
山並みが続いています。武田討伐後に織田信長が滞在したそうですが、同じ風景を眺めていたのでしょうか。叔母のおつやの方を処刑した信長はその7年後、本能寺の変で明智光秀に討たれました。
出丸跡
本丸の南西にある出丸跡。切り立った崖をよじ登るのは困難でしょう。現在は駐車場があり、ここまで車で上って来ることが出来ます。今までの苦労は・・・ぎゃふん。
感想
日本三大山城だけあって、一の門から続く石垣が立派でした。 特に六段壁の石垣は必見です(以前登城した時に見た記憶が残っていない・・・)。登城道はよく整備されていますが、追手門の畳橋が復元されていたら、より楽しめるだろうに。 少し残念。