かつて伊勢神宮の宿場町として賑わった玉城町には、南北朝時代に築かれた田丸城がありました。大手門から本丸までにいくつもの虎口が残っています。現在三の丸には中学校があり、部活中の学生が元気に挨拶してくれました。
2019年6月登城
満足度:★★★★★
歴史
南北朝時代に南朝軍の拠点として北畠親房に築かれたのが始まりです。
田丸城が近代的な城郭になるのは、織田信長による伊勢攻めの際、次男信雄を北畠氏の養子にして伊勢支配を任せたときでした。このときに3重の天守が建てられましたが、1580年に焼失し、信雄は松ヶ島城に移りました。
その後、稲葉道通が入城し、改修するも亡くなりました。江戸時代には紀州藩支配となり、付家老久野氏が城主を務めました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR参宮線の田丸駅から徒歩6分ほど。ただ、電車の本数が少ないので注意してください。
城歩き
大手門跡
田丸駅から途中堀沿いの道を歩いて大手門跡に着きました。現在は正面の石垣が撤去され、直線の道路になっています。
田丸城の模型
大手門先にある村山龍平記念館に展示されていた田丸城の模型。丘の頂部に二の丸・本丸・北の丸が直線上に並び、一段低いところに三の丸、そして丘の周りを堀が囲んでいるのが分かります。ちなみに続100名城のスタンプもこの記念館にありました。
二の門跡
二の門跡は左折れの喰違虎口になっています。現在三の丸には中学校が建っているので、学校をぐるっと廻りながら坂道を上っていきます。
富士見門(移築)
富士見門は三の丸から二の丸富士見台に向かう門でした。明治初年に入札で私邸に払い下げられたものを1984年(昭和59年)に現在地に移築復元されました。
山頂部の虎口
大手門,二の門に続いて、また虎口。奥に見えるのは本丸と天守台。
本丸石垣
本丸と北の丸の間に出ました。左折して本丸に向かいます。
本丸虎口
正真正銘、やっと最後の虎口です。本丸にはこの虎口からと二の丸からの入口がありました。
天守台
ぽつんと残る天守台。田丸城にはかつて3重の天守が建てられていました。今残る天守台は稲葉道通が築いたと考えられています。
天守台からの眺め
丘陵の天守台からなので見晴らしが抜群。 一面に広がる空と山と田んぼ。城の南から西にかけて鉄道が通っています。
二の丸
本丸南には二の丸があるので、折角ですから向かってみましょうか。
本丸と二の丸間の空堀
本丸と二の丸は土橋で繋がっています。本丸との間には広い空堀あり。
搦手道
二の丸からは城下南に抜ける搦手道がありました。
本丸石垣と空堀
先程の空堀は本丸下の帯曲輪に繋がっています。帯曲輪に降りて、本丸を下から見上げてみましょう。
本丸石垣
田丸城の石垣はほとんどが野面積みです。転用石(石塔等の流用)もありました。ごつごつした自然石ばかりの中で少し浮いてますね(笑)。
北の丸
最後に本丸北にある北の丸。稲荷神社が祀られていました。土塁がグルっと曲輪を囲んでいます。
感想
あまり有名ではない城ですが(失礼)、野面積みの石垣の見応えがありました。城を整備している努力が感じられ、とても見学しやすかったです。そう言えば、大手門から本丸まで階段がなく、良くも悪くもバリアフリーになっていました。
伊勢神宮にもほど近く、続日本100名城にも選ばれたことから、観光客が増えたらいいですね。応援しています。