大村藩二万七千石の居城だった玖島城。大村湾に突き出した玖島に築かれた海城でした。現在は大村公園となっていますが、大空堀があったり、船蔵跡があったりと見どころ十分の城でした。
2022年6月登城
満足度:★★★★★
歴史
キリシタン大名であった大村純忠は三城城を居城としていましたが、息子・喜前は朝鮮出兵時の経験から、1598年に三方が海に囲まれた玖島に新たに城を築きました。これが現在残る玖島城(大村城)であり、喜前は大村藩初代藩主となりました。
1614年には2代藩主純頼が大改修を行い、大手口を南側に移し、大手門周辺には打込み接ぎの石垣を築きました。以降、明治維新まで大村家12代の居城となりました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
大村と言ってもピンとこないかもしれませんが、長崎県の中央に位置し、長崎空港があるのが大村湾です。
博多駅からリレーかもめと西九州新幹線を乗り継いで、新大村駅まで1時間15分。新大村駅から大村駅まで普通電車で4分。大村駅から徒歩25分。
長崎空港からだと、諫早駅前行のバスに乗って20分、公園入口で下車。公園入口から徒歩4分。
城歩き
日本古城絵図より
玖島というだけあって、本当に島ですね。方形の本丸は石垣で囲まれており、その南西に二の丸、空堀を挟んだ向こう側に三の丸がありました。普通、海城は本丸が海寄りにあることが多いのですが、玖島城は陸側にあります。大村湾沿岸を領地とした大村藩は、海側から攻められることを想定していたようです。
大手入口門跡
この場所から大手門まで南西に道が走っていました。なぜ鳥居が建っているかというと、現在本丸には歴代藩主を祀る大村神社が鎮座するからです。
桜田の堀
道の右手には池が広がっています。元は海であり、築城に堀として造られました。
菖蒲園
城跡を囲むように、L字型に菖蒲園が設けられております。もちろんこれは内堀跡を利用したもので、6月初旬に花菖蒲まつりが開かれるんですよ。
大手門跡
菖蒲を眺めながら歩いていると、大手門の石垣が見えてきました。このまま入城しても良いのですが、この先の板敷櫓を見学することとします。
板敷櫓(復元)
1992年(平成4年)に建てられた板敷櫓。実は櫓は存在しなかった可能性が高いようです。注目すべきは櫓台の石垣で、ここだけ石の大きさや積み方が異なります(石垣上部は櫓を乗せるために近年積み見直された感じですが)。
櫓台脇の石垣
櫓台とその脇の石垣とでは、石の大きさや積み方が違いますね。大手門から板敷櫓台に延びる石垣は、2代藩主・大村純頼の大改修時に築かれました。櫓台は後から付け足されたのではないかと想像してみます。
大手門跡
城への入口に見事な鳥居が建っています。当然ですが、当時は櫓門が設けられていました。
埋門
大手門跡を過ぎると右手に隠れるように埋門がありました。長石を屋根のように渡しており、古代遺跡みたいで面白いですね。
大手虎口から本丸へ
大手虎口から本丸へは、4回も折れ曲がる必要があります。近世城郭らしい技巧的な縄張りです。
梅ヶ枝荘と梅ヶ枝焼
途中に店を構える梅ヶ枝荘さん。大村寿司や梅ヶ枝焼が食べられます。お店のホームページによると、大村藩の台所番として仕えていた方が明治に創業されたとのこと。
台所口門跡
本丸には3つの入口があります。階段を上がって右手にあるのが台所口門。藩主の住居の出入り口の門です。
二の丸へのルート
階段を上がって左に曲がると、二の丸か虎口門に向かうルートになります。ちなみに正面に見えるのはトイレです(笑)。玖島城ってトイレが多くて複雑な気分。
二の丸
本丸の南側には二の丸が置かれており、空堀で三の丸と区切られています。
板敷櫓(裏側)
空堀に架かった橋を渡って、板敷櫓へと進みます。現在玖島城のシンボル的な板敷櫓ですが、案内板には「二層の櫓が築かれていたものと思われる」と書かれています。また、大改修にあたっては肥後の加藤清正に意見を求めたともありますが、微妙に年が合わないんだよな(大改修は1614年、清正が亡くなったのは1611年)。
土橋
土橋を通って三の丸に入ります。注目すべきはここから北(上記写真だと右側)に200メートル延びる空堀で、その広さ深さは半端じゃないです。
三の丸
三の丸は、丘陵地の狭い部分(左右反転させたL字形)と海に接した平地部分で構成されています。左(西)に進むと海側へ出て、右(北)だと空堀沿いの道になります。間の平地には長崎県教育センターがデデーンと建っています(あらら)。
左(西)に進み、樹木の隙間から眺めた大村湾。大村藩の領地は湾を囲むように広がっていたので、船での移動は必須でした。そのため全国でも珍しい遺構が残っています。
御船蔵跡
玖島城では三の丸の海に面した箇所に船蔵を築いていました。当時は屋根で覆われていて、そのための柱穴の跡も残っていますね。
再び三の丸に戻りますが、二の丸との間に設けられた空堀が本当にすごいです。幅25メートル、深さは5メートルほどあり、海側からの攻撃をここで食い止めようという強い意志を感じます。
玖島城は豊臣秀吉が亡くなった年に築城された新しい城にも関わらず、中世山城のような空堀を防御の要にしているのが面白い。
虎口門跡
再び二の丸に戻って、本丸西の虎口門跡から本丸に入ります。虎口門は正門だけあって、枡形の石垣も立派です(結構積み直されていますが)。
大村神社
藤原鎌足、藤原純友、歴代の大村領主・藩主を祀る大村神社。本丸には政庁や藩主居館が構えられ、天守や櫓は建てられませんでした。
稲荷神社とたぬき
本丸北東隅にある稲荷神社にも参拝したところ、奥でたぬきと目が会いました。稲荷神社なのに、狐ではなくてたぬきなのが可笑しい。
搦手門跡
本丸北に設けられた搦手門跡。裏口のためか、単純な平虎口です。
本丸北石垣
搦手門跡を出て左に曲がり、石垣を眺めながら西に進みます。立派な石垣ですが、上部は最近積み直されていますね。
古い石垣
城郭北側で野面積みの古い石垣が目に入りました。ここにはかつて門が構えられており、石段が海岸に通じていました。玖島城に残る石垣の多くは大改修後のものですが、これは間違いなく築城当時のものです。
いろは段
城と海岸を結ぶ石段です。築城当初は北側が大手だったと伝えられていますので、ここが大手道だったかもしれません。
野球場
現在は野球場がありますが、当時は遠浅の海でした。やはり海城だったんですね。
街歩き
玖島城の東には5つの武家屋敷街が形成され、五小路(本小路、上小路、小姓小路、上小路、草場小路)がありました。
小姓小路
初め小姓たちが住んだ通りである小姓小路。家の石垣が分厚く重厚です。
中尾元締役旧宅
大村藩の元締役の中尾静摩が建てた住宅です。切込み接ぎの石垣の上に特徴的な塀が建っています。ちなみに民家なので当然非公開です。
五色塀
草場小路にある五色塀です。様々な色の石の石積みを漆喰で塗り固めた美しい塀です。大村以外では見かけたことはありません。
旧円融寺庭園
えらい石段を上ったら、斜面を利用した見事な枯山水の石庭がありました。
3代藩主・大村純信には子供がいませんでしたが、末期養子を取ることでお家断絶を免れました。その徳川家の恩義に報いるために、家光の位牌を祀って創建したのが円融寺です。
戊辰の役戦没者の碑
知らなかったのですが、幕末に大村藩は尊皇倒幕側にいち早くつき、倒幕から戊辰戦争まで従軍して活躍したとのことです。徳川家の恩から円融寺を創建したにもかかわらず、幕末には倒幕派につくなど、運命は複雑ですな。
感想
こぢんまりとしていますが、いろいろ見どころのある城でした。本丸と三の丸の違いが面白く、中世と近世城郭が混じっているようなところが興味深かったです。旧城下の五色塀や旧円融寺庭園も良かったので、興味のある方はぜひどうぞ。