城下かれいで有名な大分・日出にも城跡があり、日本唯一の鬼門櫓が残っています。作曲家・滝廉太郎の父は元日出藩士であり、祖父は家老を務めていました。
「日出の殿様 木下様は 城の下まで船が着く」
2021年7月登城
満足度:★★★★★
歴史
豊臣秀吉の義理の甥である木下延俊は、関ケ原の合戦で東軍につき、その戦功により日出3万石を与えられました。延俊は日出に入封すると城を築き始め、1602年に日出城が完成しました。築城にあたっては、義兄・細川忠興(中津藩主)の支援を受けました。
日出藩木下家は豊臣家絡みの外様大名でしたが、幕末まで16代続きました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR日豊本線の暘谷(ようこく)駅から徒歩10分。別府から小倉方面に4つ先の駅になります。隣駅に日出駅がありますが、城へは遠くなりますので間違わないように。
縄張図
縄張図(正保城絵図から)
海に面した南端に本丸を配し、本丸外側を二の丸が囲み、その東に三の丸、北側に総構えが巡らせてありました。石垣が築かれたのは本丸と各虎口のみでした。
城巡りルート
本丸には日出小学校が建っており、ある意味最強の小学校です。二の丸には中学校が建っており、こちらにはほとんど遺構が残っていません。日出城を堪能するためには、小学校周辺を不審者のように巡る必要があります。
城歩き
暘谷駅から日出城を目指して歩いていると、まず最初に目に入るのが鬼門櫓です。特徴的なのは、鬼門を封じるため、櫓の鬼門(北東)方向の隅が無いことです。石垣で鬼門隅を無くす例はありますが、櫓では非常に珍しいです。
実は鬼門櫓は廃城後に民間に払い下げられ、ボロボロの状態でしたが、2008年(平成20年)に町に寄付されて、無事修復されました(よかった!)。
日出城 本丸北東隅
鬼門櫓は本丸の北東(鬼門)に建っていましたが、現在は本丸北西の外側に移築されています。当時の北東隅部分はわざわざ凹ませてあり、二重で鬼門封じされていたのかもしれません。
本丸北西石垣と空堀
本丸は総石垣で築かれており、かなり大規模な空堀に驚かされます。当時は北西隅に月見櫓が建っていましたが、現在は体育館がどど~んと建っています。
大手門跡
本丸には小学校が建っています。当時ここには枡形が設けられ、大手門が建っていましたが、現在は校門すら無いですね。
かまぼこ塀
土橋の両側には、かまぼこ塀が設けられていました。岡城でも見かけた独特の意匠です。
本丸北東石垣と空堀
大手土橋から本丸北東の石垣と空掘を見たところ。堀底の花壇みたいのはなんやろ?
滝廉太郎像
滝廉太郎本人は東京生まれですが、祖先は日出藩の上級武士でした。日出の龍泉寺には廉太郎を含む滝家のお墓があります。
裏門櫓
滝廉太郎像の正面にある裏門櫓。観光案内所の入口にあるので、なんちゃってかと思ったら、2000年(平成12年)に町が譲り受けた本物でした。鬼門櫓といい、この裏門櫓といい、小学校があるので本来の位置には戻せないみたい。残念。
城下公園への道
二の丸に建つ中学校の脇を通って海に向かいます。右側には小学校のプールがありますが、当時は水堀がありました。
裏門後
本丸の東に設けられた裏門跡です。当時は枡形が設けられていましたが、今では直進すると校庭です。
時鐘
裏門櫓跡に設置された時鐘。現在も児童が毎朝突いてくれています。先程の裏門櫓はここに建てられていたわけですね。
本丸東石垣と空堀
小学校(本丸)と中学校(二の丸)の間には大きな空堀が設けられています。本丸石垣は二段に築かれており、犬走りを通って奥に見える天守台に向かいます。
天守台
天守台がやたら巨大です。あまりに立派すぎたため、三階天守を建てたとき、2階部分に対して1階部分がやたら広い、アンバランスな天守になってしまいました。
望海楼跡
本丸南側に虎口があると思いきや、望海楼と名付けられた櫓の跡でした。櫓の一階は海岸側の城門としても機能しており、櫓と門を兼ねていました。天守台にも上りたかったのですが、この先は小学校のグランドなので断念しました。
海側への階段
階段を下りて海岸に向かいます。日出は別府湾に面しており、城下かれいでも有名ですね。ちなみに釣り禁止でした。
海側の石垣
現在は遊歩道が造られていますが、当時は海に面して石垣が築かれており、波が石垣を洗っていました。ただ、この石垣は明らかに新し過ぎるので、近年築かれたものですね。
空堀跡
今は普通の道に見えますが、当時は本丸と二の丸を隔てる空堀でした。
人柱祠
1960年(昭和35年)に海岸遊歩道の工事中に早桶が発掘されました。早桶は岩盤をくり抜いた穴に収められ、上には大石が載せられていました。中には老武士と思われる人骨と陶製の翁像が、大石の上からは兜の金具が見つかりました。築城当時の人柱と推定されています。
空堀底
空堀の底を北に歩いていきます。奥に見える櫓は鬼門櫓です。ぐるっと本丸周辺を一周してきました。
本丸北西隅の石垣
高さ15メートル以上はある見事な石垣です。義兄である細川忠興が協力したというのは本当でしょうね。小藩主の初築城なのに石垣が立派です。
大手土橋
気になっていた土橋に空いたトンネルを探検してみます。果たして秘密の抜け穴か、防空壕跡か。
土橋のトンネル
予想していましたが、やはり近年造られた普通のトンネルでした。空堀の間を繋いだほうが、掃除等で移動しやすいしね。
おまけ
滝廉太郎の墓
「荒城の月」を作曲した滝廉太郎の家は、代々日出藩の要職を務めてきました。滝廉太郎の墓は大分市の万寿寺にありましたが、遺族の遺構により2011年(平成23年)に日出の龍泉寺に移されました。
感想
思っていたよりも立派な石垣と空掘でした。珍しい鬼門櫓も無事修復されて、中に入れるのもうれしいです。ただ残念なのは、小学校があるため本丸に入ることが出来ないこと。天守台から別府湾を眺めてみたかったな。