石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

久留米城(福岡県久留米市) 久留米藩主だった有馬家の居城

久留米21万石、有馬家の居城であった久留米城。二の丸、三の丸はブリヂストンの敷地になってしまっていますが、本丸南面に高石垣が残っています。ちなみに競馬の有馬記念は、有馬家末裔である有馬頼寧氏の名が由来となっています。

日本100名城

2021年12月登城

満足度:★★★ 

 

歴史

久留米城の始まりは戦国時代と伝えられていますが、記録に残っているのは豊臣秀吉の九州平定後からです。毛利元就の九男である毛利秀包が入城しましたが、関ケ原の戦い後、西軍についた秀包は長州に去りました。

石田三成を捕縛した功績で、筑後32万石に封ぜられた田中吉政は柳川を本城、久留米を支城としました。その際に久留米城を整備しましたが、一国一城令で廃城にしたようです。また、その後田中家は跡継ぎなく断絶しました。

田中家の代わり、1621年に福知山から有馬豊氏が久留米21万石に入封しましたが、城は廃墟同然になっていました。豊氏は東向きだった城を南向きに変え、城を整備しました。工事は幕府に遠慮したこともあり、主要部分の完成まで10年かかりました。現在の本丸の遺構はこの時のものです。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR博多駅からJR久留米駅まで、新幹線で15分、快速で35分。久留米駅から徒歩15分。 

 

縄張り図

西海道之部 筑後久留米城図」から

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筑後川に面した丘陵に本丸を置き、南に二の丸・三の丸・外郭を配した縄張りです。川を挟んで西側は佐賀藩であり、国境に主城があるというのも珍しいです。元は柳川城の支城だったからかもしれません。

基本的に堀と土塁で築かれており、石垣は本丸にのみ見られます。天守は建てられませんでしたが、本丸に3重櫓を7基も配し、それらを多門櫓で連結する堂々たる構えでした。

 

城歩き

久留米はブリヂストンの創業者・石橋正二郎の出身地であり、国内初のタイヤ工場が現在も操業しています。工場は久留米城の二の丸・三の丸跡にあり、城好きとしては少し複雑な思いです。

 

久留米駅前の大タイヤ

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ブリヂストンの創業地ということもあり、JR久留米駅前には大タイヤのモニュメントがあります。ただ、繁華街は西鉄久留米側にあるので、少し寂しいかも。

 

ブリヂストン通り

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久留米城にはブリヂストンの工場沿いの道を通って向かいます。二の丸・三の丸は工場の敷地になっているからですね。

 

本丸入口

久留米城 本丸入口

現在本丸には篠山神社が鎮座しています。すぐ入るのも勿体ないので、ぐるっと時計回りに城を廻ってみます。

 

本丸南面石垣

久留米城 本丸石垣

久留米城 本丸石垣

久留米城というと、この石垣が有名ですね。片方の石垣には反りがあり、もう片方は直線的なのは、石垣を築いた時期にずれがあるからと思います。

 

本丸東面

本丸東に曲輪がありましたが、現在は家が立ち並んでいます。石垣を見上げながら歩くのは無理みたい。

 

川堤

川堤を乗り越えて城の北側に向かいます。久留米城筑後川を天然の堀として利用していますが、確かにこちらから攻めるのは難しそうです。

 

本丸北側

城北側の小道を通りましたが、右手の本丸方面は藪になっていました。久留米城の本丸は総石垣だと思っていましたが、どうやら北面は違うようです。

 

艮櫓跡

久留米城 艮櫓台

久留米城 艮櫓台

雑木林から突然現れた艮櫓の石垣。本丸の北東隅には三重三階の艮櫓が建っていました。

 

本丸東側

艮櫓台を過ぎ、本丸東側を南に進みます。左手には久留米大学のグラウンドが広がっていますが、江戸時代には堀がありました。

 

本丸東面石垣

久留米城 本丸東面石垣

立派な石垣です。石垣の下には堀がなく、蜜柑丸という帯曲輪がありました。

 

蜜柑丸

蜜柑丸

本丸東には蜜柑丸という腰曲輪がありました。名の由来は蜜柑が植えられていたから(そのままやん!)。果物の名前のついた曲輪は初めてです。

 

本丸南東隅

久留米城 本丸南東隅

本丸を一周してみると、大手にあたる南側には高石垣を築き、人目に触れにくい北側は土塁で済ますという、節約志向も垣間見えました。

 

冠木御門跡

久留米城 冠木御門跡

久留米城 枡形

大手入口には冠木御門があり、内部は枡形になっていました。

 

巽櫓跡

久留米城 巽櫓跡

久留米城 巽櫓跡

先程枡形と言いましたが、右方には石垣沿いに進むことが出来ます。かつて本丸南東隅には三重三階の巽櫓が建っており、この城で最も大きな櫓でした。やはり城下側に威光を示したかったのでしょう。

 

篠山神社

久留米藩祖・有馬豊氏を祀る篠山神社は1877年(明治10年)に建てられました。また、本丸内には、有馬家ゆかりの資料を展示する有馬記念館もあります。

 

乾櫓跡

久留米城 乾櫓跡

本丸北西隅に建てられていた乾櫓跡。奥に乾櫓(西北)と艮櫓(北東)を結ぶ多聞櫓が建っていた土塁が残されていたので進んでみます。

本丸北土塁

多聞櫓が建っていたのが信じられないような普通の土塁でした。北側は竹藪になっていて、残念ながら見通しも良くないです。

 

艮櫓跡

久留米城 艮櫓跡

先ほど外からも見た艮櫓跡。本丸北面でこの櫓台のみ石垣で築かれています。櫓台端の石が崩れかけていて、下に停めてある車に落ちないか心配です。



本丸御殿跡

本丸には御殿が置かれ、政務が行われていました。今は篠山神社の本殿・拝殿と平地が広がっています。

 

水天宮

水天宮

城から南西1キロメートルほど離れた先に、久留米藩2代藩主有馬忠頼が祀った水天宮があります。東京日本橋にある水天宮は第9代藩主有馬頼徳が遷座したものです。

 

感想

有馬21万石の居城だけあり、本丸南面と東面の石垣は見応えがありました。平和な時代に大修築された城なので、城下(南側)によりよく見せようとした見栄っ張りな城なのかもしれません。個人的にツボだったのは蜜柑丸です(笑)