石垣好きの城歩き

縄張りマニアの城巡り

縄張りマニアが城の見どころを解説します

松代城(長野県長野市) 水害に苦しんだ真田家の城

古くは「海津城」と呼ばれ、川中島の戦いでは武田軍の拠点となった松代城。江戸時代には真田家の居城にもなりました。近年整備が進んでおり、太鼓門や北不明門が復元されれています。

日本100名城

2024年4月登城

満足度:★★★★

 

 歴史

武田氏の北信濃侵攻と海津城

戦国時代に武田氏の北信濃侵攻の前線基地として築かれた海津城が松代城の前身です。第4回の川中島の合戦では、武田信玄がこの城から出撃しました。

城名の変遷

武田氏滅亡後は城主が目まぐるしく入れ替わり、1622年に真田信之が上田から転入しました。城の名称も、森忠政によって「待城」、松平忠輝には「松城」、最終的に真田3代藩主・真田幸道に「松代城」と改められました。

真田家の居城

真田家の城というと、関ヶ原に向かう徳川秀忠を足止めした上田城が有名ですが、実は明治維新まで居城となった松代城の方が歴史は長いです。

  

交通アクセス

行きやすさ:★★★

JR長野駅から松代行きバスに30分乗車。バス停「松代駅」で降車後すぐ。

昔は長野電鉄屋代線で電車で行くこともできましたが、2012年(平成24年)に配線になりました。当時の駅舎は今も残っています。

 

 

縄張図

松代城縄張図

松代城 縄張図

松代城の縄張りは、千曲川を背にして梯郭式に本丸、二の丸、三の丸が配置されていました。特徴的なのは二の丸の東と南に設けられた丸馬出で、武田氏の築いた城郭によくみられます。

松代城は千曲川に近いため水害に遭うことが多く、1742年(寛保2年)の水害では本丸を始めとした城内全てが水没しました。そのため、千曲川の流れを本丸より700メートル北に変えており、本丸に在った御殿を本丸西南の花の丸に移しています。

 

出典:国土地理院撮影の空中写真(1976年撮影)

松代城は廃城後に払い下げられ、敷地の多くが畑や宅地になりました。堀は埋められ、二の丸には電車が通り、プールや野球場も作られました。城の遺構は本丸石垣くらいしか残っていませんでした。

ただ、1981年(昭和56年)には本丸とその一部が国史跡に指定され、2015年(平成27年)には二の丸南東部や三日月堀等が追加指定されました。現在では太鼓門や北不明門が復元され、少しずつ過去の姿を取り戻しています。

 

城歩き

旧松代駅舎

旧松代駅舎

かつて松代には長野電鉄屋代線が通っていました。駅でレンタサイクルした記憶があり、とても懐かしいです。

三日月堀跡

松代城 三日月堀跡

松代城の二の丸や馬出しには堀がありましたが、埋められて長野電鉄が通っていました。廃線後に発掘調査したところ三日月堀の痕跡を見つけることができ、復元する計画もあるようです。

 

二の丸南門跡

松代城 二の丸南門跡

二の丸南門前には丸馬出が設けられ、内部は枡形になっていましたが、現在は入口のみが残っています。

太鼓門前橋

松代城 太鼓門前橋

太鼓門表門には木橋が架かっています。2024年(令和6年)に架け替えられたばかりでピカピカです。

 

本丸石垣

松代城 本丸石垣

松代城 本丸石垣

松代城は基本的に土塁で囲まれた城ですが、本丸は方形の石垣造りです。

 

太鼓門

松代城 太鼓門

本丸大手は枡形になっており、奥には櫓門(太鼓門)が設けられています。2004年(平成16年)に絵図を元に復元されました。

 

本丸

松代城 本丸

江戸時代中期まで御殿がありましたが、度重なる水害により1770年に南西の花の丸に移されました。現在は石垣に囲まれた公園といった趣です。

東不明門跡

松代城 東不明門跡

松代城本丸には入口が3つあり、東側には東不明門が設けられていました。この入口のみ枡形になっておらず、非常用で普段は閉じられていました。

戌亥の櫓台

松代城 戌亥の櫓台

松代城 戌亥の櫓台

天守台かと思ったら、戌亥の櫓台でした。松代城に天守は建てられず、戌亥の櫓台には2重の櫓が建てられていました。この櫓台の大きさからして、櫓は隅にぽつんと建っていたようです。

 

本丸北側

松代城 本丸北側

戌亥の櫓台から本丸北側を見下ろしたところ、北不明門の奥にも大きな櫓台が見えました。ただ、北東(丑寅)は鬼門のため櫓は建てられませんでした。

 

戸隠山

遠くに見えるギザギザの屏風型の山が戸隠山です。

 

北不明門

松代城 北不明門

北不明門を通って本丸から出ます。千曲川改修前は河川敷に面していたこともあり、「水之手御門」とも呼ばれていました。

櫓部分が両脇の石垣に渡っておらず、独立した造りの櫓門です。弘前城の櫓門もこのような感じでした。

 

枡形門

松代城 枡形門

枡形門の石垣は民家並みに低いですね。元は千曲川沿いにそびえ立つ石垣でしたが、千曲川改修の際に3メートルほど埋められています。現在は平らですが、枡形門から北不明門へも急勾配の上り坂でした。

 

新堀

松代城 新堀

城の北裏にある新堀は、改修前の千曲川の名残です。廃城後にほとんどの堀が埋め立てられた松代城で、この新堀は当時から残る数少ない遺構です。

 

戌亥の櫓台

松代城 戌亥の櫓台

外側から見た戌亥の櫓台。やはり天守台と言っても良い迫力。

 

埋門

松代城 埋門

かつて松代城の二の丸土塁には埋門が3ヶ所あり、現在西側1ヶ所のみ復元されています。土塁と石垣のハイブリッドな造りで、古墳みたいな雰囲気ですね。

 

感想

こぢんまりとした印象の城でした。かなり昔に訪問した際は何も無かった印象でしたが、色々復元を頑張っています。今後、馬出しと三日月堀が復元されるのが楽しみです。

真田館や松代象山地下壕とセットで観光するといい感じ。松代温泉もお薦めですよ。