日本三大山城まとめ
一般に日本三大山城として、高取城(奈良)、岩村城(岐阜)、備中松山城(岡山)が挙げられています。ようやくこれらの山城を制覇したので、その印象をまとめさせていただきます。
三大山城の定義
城の規模で比べたら、戦国大名の居城だった上杉家の春日山城,毛利家の吉田郡山城が上回っています。ただ、いずれも江戸初期に廃城となっていますので、江戸時代にも存在した城が対象なのでしょうね。
ちなみに昭和58~59年に発行された書籍「城郭と城下町(小学館)」には、岩村城のみ「日本三大山城」という語句が見受けられました。「三大山城」という定義自体、比較的新しいのかもしれません。
三大山城の特徴
- 高取城の比高は390メートルで日本一(半端じゃない!)
- 岩村城の高さは海抜717メートルで日本一(海抜だと諏訪の高島城、伊那の高遠城の方が高いが・・・)
- 備中松山城は建物が現存する城の中で高さ日本一(少し苦しいか?)
城の規模について
城の広さで比較したら、高取城が一番広く、 次いで岩村城、 備中松山城となります。ただ、備中松山城は隣接する大松山城も含めたら城域は一番広いかもしれません。
大手門跡(高取城)
城の規模としては、高取城がずば抜けています。その広さは、小藩であった高取藩が管理できる範囲を超えており、現在でも管理が大変そうです。私の訪問時にも、所々で石垣が崩落しており、荒廃した曲輪が見受けられました。奈良県頑張れ!
畳橋跡(岩村城)
岩村城は江戸時代では一番高い所にあった城であり、城下から本丸まで延々と上りが続く山城です。道沿いに曲輪が設けられており、千人は収容できるかな?
大手前の石垣(備中松山城)
高取城や岩村城に比べると、備中松山城の曲輪自体の広さはさほどでもありません。ただ、本来の松山城は臥牛山全体を縄張りとしており、隣接する大松山城を足すと一番かもしれません。
各城の見どころ
備中松山城には日本で12しか残っていない現存天守が建っています。保存していたのではなく、取り壊すのが大変なので放置していたのが真相のようですが、結果オーライ。
山城とは思えない石垣が特徴ですが、特に本丸の高石垣が圧倒的です。よくここにわざわざ石垣を築いたなと、当時の苦労が忍ばれます。
路である尾根筋をV字状に切断するのが堀切です。山城ではよく見られる防御方法ですが、高取城の堀切は石垣で補強してあります。珍しいというか、金がかかってますね。
本丸北東面の6段石垣(岩村城)
段々畑のように築かれた石垣です。当初は最上部のみ石垣が積まれていましたが、前に前にと補強されたとのことです。日本は地震や大雨が多いからね・・・
各城のミステリー
城には伝説が付きものですが、各城には興味深い遺構が残っています。
猿石(高取城)
二の門の外にある猿石。実は高取町は、石舞台古墳で有名な明日香村の南にあるんです。そこから運んで来たと考えられていますが、理由や由来は不明です。個人的には魔除けとして置かれたのだと思います。
霧ケ井(岩村城)
戦時に蛇骨を投げ込むと霧が直ちに立ち込めると云う霧ケ井。そもそも山城は霧が発生しやすいので、このような言い伝えがよく残っています。蛇骨というのが、雰囲気がありますね。
大池(大松山城)
備中松山城(小松山城)に離接する大松山城にある大池。わざわざ山中に石垣造りの貯水池を設けておりました。江戸時代も大切に管理されていましたが、その目的は不明です。
どの城も立派な石垣があり、登り応え十分。日本三大山城の名に恥じない堅城ですぞ。