日本5大山城の七尾城。能登・畠山氏の居城であり、上杉謙信が攻め落とすまでに1年もかかった堅城でした。そんな山城を真夏に電動自転車で登ってみました。
満足度:★★★★★
歴史
七尾城は、能登国守護の畠山氏が16世紀前半に築きました。その縄張りは、七尾湾を一望できる標高305メートルの山に、山上から山麓までの尾根筋に多くの曲輪を配した大規模なものでした。7代義総の時代には京風の畠山文化が花開き、最盛期を迎えました。
加賀平定を目指す織田信長、越中を平定した上杉謙信。畠山家中では親上杉派と親織田派で激しい対立がありましたが、織田側につくことを決断しました。1576年に上杉謙信が七尾に侵攻し、畠山家は七尾城に籠城しました。
籠城は1年にも渡りましたが、織田の援軍はなかなか来ず、重臣・遊佐続光,温井景隆らの裏切りもあり落城しました。ただ、翌年の1578年に上杉謙信が死去し、七尾城は織田の勢力下になりました。
1581年に能登に封じられた前田利家は七尾城に入城しますが、翌年1582年に港近くの小丸山城に移り、七尾城は廃城となりました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR七尾駅まで金沢駅から普通電車で1時間30分。七尾駅から城の麓にある七尾城史資料館まで徒歩40分。市内循環バス「まりん号」を利用すれば13分。
七尾城史資料館から徒歩で登ると約1時間かかりますが、県道177号が本丸下の駐車場まで通っているので、大半の観光客は車で登城していますね。
城への道のり
七尾駅前
駅から徒歩で向かうには辛すぎる七尾城。駅構内のこぢんまりとした観光案内所で電動自転車を借りて、本丸まで目指すことにしました。
七尾城史資料館
国道159号、県道177号を通り、15分ほどで七尾城史資料館に着きました。35度を超える暑さのカンカン照りに早くもグロッキー気味。
登城口への道
七尾城への徒歩での登城口は、資料館から更に10分ほど先にあります。元気があったら徒歩で登ろうと思っていますたが、速攻でギブアップ。
七尾城登城口
車(自転車)はここから向かいます。正面左の山にあるのが七尾城。城跡までの距離3.7キロ。
能登湾
道路は県道だけあって、狭いながらも整備されています。途中で能登湾も眺められました。
城跡まで2.2キロ
木陰がほとんど無くて、直射日光がガンガンあたります。それにしても暑すぎるだろ。
城跡まで1.1キロ
途中には傾斜10%の坂道もあり、電動自転車とはいえ辛かった。何もしなくても汗が流れます。残り1.1キロ。
七尾城駐車場
登城口から登ること20分。駐車場に着いたときには嬉しさよりもホッとしました。真夏だったので地獄でしたが、涼しい季節なら電動自転車もありだと思います。
城歩き
登城路
駐車場から本丸へは歩いて向かいます。道にはウッドチップが敷いてあって歩きやすい。
調度丸跡
本曲輪の北側にあり、武具をととのえた場所とあります。曲輪内には区分け用の石垣がありました。
桜馬場北面石垣
七尾城の最大の見所はこれでしょ。調度丸から見上げる桜馬場北面石垣。2メートルの野面積みの石垣を5段重ねています。昭和に積み直されたようですが、この段々畑石垣は本当にすごい。
案内板
石垣横の階段を上ると桜の馬場に到着です。左に行くと遊佐屋敷・本丸、右に行くと九尺石。
桜馬場跡
軍馬の訓練を行ったという桜馬場跡。現在は杉が立ち並び、馬という雰囲気じゃないね。
遊佐屋敷跡
本丸下の遊佐屋敷跡。遊佐続光は畠山家の重臣でしたが、籠城戦では上杉に寝返ったため、七尾城は落城しました。なお、謙信の死後には織田に寝返りましたが、許されずに処刑されました。
本丸石垣
本丸北面の3段石垣。先程の桜馬場北面の石垣と比べて積み方が新しいので、畠山家にではなく、織田支配下時に築かれた模様です。
本丸
ようやくたどり着いた本丸。空の青さと芝生の緑がとてもキレイ。昔ここで血みどろの争いがあったとは信じられません。
城山神社
本丸の南側には小さな神社がありました。元は櫓台で、東の長屋敷曲輪を監視するための櫓が建っていました。
能登湾
本丸からは能登湾が一望できます。本当に美しい。暑いけど。
感想
なんと言っても、桜馬場北面石垣と本丸からの能登湾の眺めが素晴らしい。城址もよく整備されていて、七尾市の力の入れ具合が伝わってきます。ただ、真夏に電動とはいえ自転車で登るのは無理があり、本丸に着いたときはグロッキー状態でした。今度は涼しいときに登って、二の丸や三の丸もみたいですね。