謎に包まれた古代山城である鬼ノ城。鬼城山を鉢巻状にぐるりと巡る石垣と土塁は壮大の一言です。駅から徒歩で向かいましたが、死兆星が見えたよ・・・。
2020年9月登城
満足度:★★★★★
歴史
鬼ノ城は歴史書に記録が残っておらず、その歴史は謎に包まれています。ただ、その造りや発掘調査から、7世紀後半に築かれた古代山城と推定されています。
飛鳥時代に朝鮮半島の百済復興のために出兵した倭軍は、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗しました。逆に攻め込まれることを怖れた天智天皇は九州北部や瀬戸内沿岸に城を築き、鬼ノ城もそのうちの一つと考えられています。その後、唐との緊張関係も薄れ、ほどなく鬼ノ城は廃城となりました。
長らく忘れられていましたが、1971年(昭和46年)に遺構が発見され、古代山城であることが確認されました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
駅から離れている上に山城なので上りが続き、徒歩だとかなり行き難い城になります。
・JR吉備線(桃太郎線)の服部駅から砂川公園管理事務所まで1.9キロ(25分)。そこから鬼城山ビジターセンターまで坂道を延々と上って3.6キロ(1時間)。鬼城山ビジターセンターから鬼ノ城西門まで約10分。なんと合計で1時間半もかかります。車だと鬼城山ビジターセンターまで行くことが出来るので恨めしい(笑)
・もう一つ山道を登るルートもあります。JR吉備線の足助駅から奥坂休憩所まで4.4キロ(1時間)。奥坂休憩所から鬼ノ城東門まで山道を登って30分。このルートは岩山ハイクを楽しめる人じゃないと厳しそう。私にはちょっと無理だな。
城への道のり
最寄り(5キロは離れているけど)の服部駅は無人駅。鬼ノ城へのバスは無いので、歩きで向かうことになります。タクシーを利用する場合は総社駅から乗るか、服部駅まで来てもらう必要があります。
鬼ノ城遠景
奥の鬼城山に白く見えるのが鬼ノ城西門。あそこまで歩くかと思うと、軽くめまいがします。
鬼ノ城への道
こんな道をテクテク歩いていきました。
道の途中(まだ序盤)
砂川公園までの道はほぼ平坦なので、軽いウォーキング気分です。ただ、あと5キロか・・・
砂川公園管理事務所
キャンプ場もある砂川公園。バーベーキューのいい匂いが漂ってくるのに、私はひたすら歩くのみ。この辺りから徐々に上りになってきます。
道の途中(ようやく中盤)
途中から道がかなり狭くなってきます。車のすれ違いが出来ないので、片方が待機するところをしばしば見ました。私も端に寄って歩きます。
道の途中(まだまだ)
体感で傾斜20度を超える坂が延々と続いて本当に参った。また、途中から携帯の電波(ドコモ)が入らなくなり、ビジターセンターでも繋がりませんでした。
経山城との分岐点
経山城は戦国時代の山城です。立ち寄る気力は全く残っておらず。
鬼の釜
残り500メートルになると、民家を見かけました。この鬼の釜は鎌倉時代に作られた湯釜と推定されています。
鬼城山ビジターセンター
ようやく鬼城山ビジターセンターが見えてきました。駅からここまで1時間22分かかり、登城前に既に疲れました。歩きの人は他に誰もいなかったな。
鬼城山ビジターセンター
鬼城山ビジターセンターは無料の休憩所です。鬼ノ城の資料を分かりやすく展示してあるので、登城前に訪問してください。また、自販機がありますので、飲料はここで補給することが出来ます。
城歩き
鬼ノ城の模型
資料館に展示されていた鬼ノ城の模型です。すり鉢をふせたような鬼城山の8合目から9合目を土塁や石垣が2.8キロにわたり巡っています。まるで万里の長城のようですね。尾根沿いにいくつもの曲輪を構える中世日本の山城とは思想が違います。
鬼ノ城への道
ビジターセンターからも上りがあって、正直ガクッと来ました。あと少しと自分に言い聞かせます。
角楼と西門
途中の学習広場(展望デッキ)から眺めた角楼と西門。ついにここまで来たぞ。
角楼跡
城壁から長方形に張り出し部分が角楼にあたり、当時は石垣の上は土塁でした(現在は木材)。城壁は突き固められた版築土塁で造られており、見るからにカチカチです。
角楼からの西門
眺めがいいね。角楼は背面(北側)と西門防備のために築かれました。西門から反時計回りに鬼ノ城を一周してみましょう。
西門内側(復元)
2003年(平成15年)に復元された西門。近世城郭の櫓門に負けないくらいデカイ。鬼ノ城では4つの城門が発掘されており、西門は南門と並ぶ最大の大きさでした。2階に登れないのが少し残念。
敷石
城壁の内外には石が敷かれています。傾斜がつけられていることから、通路というよりも、雨水からの城壁保護が目的だったと推定されています。日本の古代山城では鬼ノ城にしかありません。
西門外側(復元)
外観は想像によりますが、やはり迫力抜群です。築城の思想は近世城郭とは異なるようで、虎口という概念はなかったようです。
版築土塁と石垣
山中にこんな版築土塁や石垣を築かれたら、攻め落とすのは困難でしょう。
総社平野
見晴らし抜群。かつては「吉備の穴海」と呼ばれる内海があり、海岸線は現在よりも近かったようです。
城壁外の道
西門からは城壁内外の道があったので、外の道を通ってみました。山麓側は崖なので注意が必要です。この石垣は当時のものかな?
第1水門と第2水門
古代山城の水門は想像していたものとは違い、排水機能のある城壁のことでした。鬼ノ城では6ヶ所の水門が見つかっていますが、第1と第2水門以外は実物を見てもよく分かりませんでした。難しいわ。
南門跡
柱の間隔が西門と 同じ南門。門の外が崖になっているんだけど・・・
高石垣
総社平野側にのみ、石垣が6ヶ所築かれています。眼下の敵を威嚇する目的もあるのでしょう。それにしても、こんな絶壁にどうやって積んだ?
東門
西門や南門と比べると小さい東門。ただ、この辺りは特に岩が露出していて、自然の石垣だったかもしれません。脇には奥坂休憩所へ抜ける山道もありました。
屏風折れの高石垣
鬼ノ城最大の見所である屏風折れの高石垣。血吸川に舌状に突き出た急崖に築かれており、目の眩む高さです。この石垣を築くときに、こりゃ死人出たで・・・
この石垣は西門からだとちょうど城の反対側にあるので、ここから戻る事を考えたら別の意味で目が眩みました。
温羅奮跡の石碑
近くに建てられた温羅奮跡の石碑。温羅(うら)は古代吉備を支配した鬼でしたが、大和朝廷が遣わした吉備津彦命に退治されたとの伝承があります。おとぎ話の桃太郎のモデルになったといわれています。
土塁
総社平野側は門や石垣や水門が所々にありましたが、山側は見どころが少ないです。数少ない遺構の一つである土塁。内側からだと、どうしても迫力に欠けてしまう。
北門跡
山側の唯一の門である北門。東門と同じ位の小型の門で、通路下には石組みの排水口が設けられていました。現在は岩屋に続く遊歩道に繋がっています。
鬼城山山頂
上り下りを繰り返し、ようやく西門近くまで戻ってきました。足痛い。ここから駅まで歩いて戻るかと思うと、軽い絶望感。
感想
壮大な古代山城でした。このスケールの大きさは一豪族のものではなく、間違いなく国家事業ですね。城壁からの見晴らしが素晴らしく、特に屏風折れ石垣は必見です。ただ、ルートは整備されていますが、城内のあちこちに岩が露出しており、アップダウンも結構あります。トレッキングと覚悟して臨んだ方がよろしいかと。ハイヒールは厳禁ですぞ。