石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

座喜味城(沖縄県読谷村) 護佐丸が築いた戦闘特化の城

悲劇の功臣・護佐丸が築いた座喜味城。沖縄では珍しい戦闘特化型の城郭です。青空に白亜のアーチ門が美しく映え、沖縄世界遺産にも選ばれています。

日本100名城

2020年12月登城

満足度:★★★★

 

歴史

1416年に読谷山按司護佐丸は中山・尚巴志今帰仁城攻めに参戦し、北山滅亡後に北山守護職につきました。同時に、尚巴志は護佐丸に築城を命じ、1420年に完成したのが座喜味城です。築城にあたっては、4キロ離れた元居城・山田グスクから石材を運んだとも伝えられています。

約20年間、護佐丸はこの地を治めましたが、勢力を伸ばす勝連按司の牽制のため、1440年に中城に移り、座喜味城は廃城となりました。

その後、太平洋戦争中は日本軍の高射砲陣地、戦後は米軍のミサイルのレーダー基地が置かれ、その際に城郭の一部が破壊されました。沖縄返還後に発掘調査と復元が行われ、2000年に世界文化遺産に登録されました。

 

交通アクセス

行きやすさ:

那覇バスターミナルから、沖縄バス29番 読谷線(喜名)に乗って、「座喜味」下車。乗車時間75分、バス停から城入口まで徒歩10分。 ただ、本数が1日5,6本しかないので、往復とも乗るのは困難です。

沖縄バス28番 読谷線(楚辺)だと「座喜味」は通らないので、「高志保入口」で下車、徒歩20分。こちらは1時間に1~3本はあるので、バスの本数的には便利です。

 

城への道

座喜味バス停

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最寄りのバス停は「座喜味」ですが、バスの本数が少ないのが難点です。歩く距離は伸びますが、「高志保入口」のバス停も使わざるを得ないですね。

 

坂道

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500メートルほど坂道を上っていきます。以前来た時は車で来たので気づきませんでしたが、こうやって歩くと山城ですね。

石敢當

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沖縄らしいね。石敢當とシーサーは実際よく見かけます。

 

世界遺産の碑

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琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、2000年に世界文化遺産に登録されました。

 

城入口

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ここまでバス停から10分。いい運動になりました。ここから100メートル歩けば座喜味城に到着します。沿道には、沖縄では珍しい松の木が植えてありました。

 

城歩き

縄張図

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城内はさほど広くなく、一の郭の南側に二の郭が取り付くシンプルな縄張りです。ただ、城壁が連続的に張り出されており、防御を強く意識している(横矢をかける)のが見て取れます。

二の郭の石垣とアーチ門

座喜味城 二の郭

丘の上に唐突に現れる座喜味城。うねるような曲線の城壁とアーチ門が沖縄に来たことを感じさせてくれます。

 

二の郭城壁

向かって右側の城壁が迫り出しており、門へ攻め込む敵に横矢をかけられる縄張りとなっています。

 

二の郭アーチ門

座喜味城 二の郭アーチ門

座喜味城 二の郭アーチ門
座喜味城のアーチ門は、2枚の天板の中央に楔岩が打ち込まれているのが特徴です。二の郭アーチ門は現存のものであり、沖縄最古のアーチ門と言われています。このような形が突如登場しているのが不思議です。護佐丸は貿易を盛んに行っており、その影響でしょうか?

 

一の郭の石垣とアーチ門

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二の郭内はさほど広くなく、一の郭の石垣とアーチ門すぐ見えます。今度は向かって左側の城壁が張り出しており、横矢をかけられるようになっています。

 

二の郭左手奥

二の郭の左手奥へも道があるので進んでみましょう。先は見通せませんが、緩やかな下りになっています。

 

二の郭の奥

なんと行き止まりでした。これは巧妙な罠であり、この道を進んだ敵は袋小路に追い込まれ全滅あるのみ。技巧的な縄張りです。

 

一の郭アーチ門

座喜味城 一の郭アーチ門

再び戻って、アーチ門から一の郭に入ります。こちらの門は復元されており、階段は日本軍が埋めてスロープに、門は米軍のレーダー基地設置の際に取り壊されました。そのためか、上半分が布積み、下半分が野面積みと石垣の積み方が違いますね。

 

二の郭

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一の郭の東には建物跡があり、瓦が出土しないことから板葺きの建物だったと推定されています。城内に木が生えておらず、芝生が貼られているので、明るい公園のような印象を受けます。

 

城壁への階段

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階段を使って城壁に上ることが出来ます。登り口に柵があるのは、強風時(台風)に鍵をかけて立入禁止にするため。実際この日も風が強かったです。

 

城壁

座喜味城 城壁

城壁の上は歩くことができ、守備側は効率よく兵を移動させることが出来ます。現在は残っていませんが、城壁上には兵が身を守る胸壁もありました。

一の郭内部

座喜味城 一の郭内

座喜味城には生活に不可欠な井戸や御嶽が無いことから、護佐丸は通常はこの城に住んでいなかったと考えられます。戦闘に特化した非常用の砦であり、聖域としても祀られることの多い他のグスクとは毛色が違うように感じられます。

 

古写真(沖縄県公文書館所蔵)と現在

1957年に撮影された写真と現在の姿を並べてみました。当時はめっちゃ荒れていますね。常日頃、城を整備をしてくれている方々に感謝!

 

感想

本当に日本離れした西洋の遺跡のような城跡でした。城内もきちんと整備されていて、とても見学しやすかったです。最大の問題は交通アクセスの不便さかな。帰りのバスは渋滞に巻き込まれて2時間かかりました。ぎゃふん。