駅からめっちゃ近い福山城。ホームからも5層の天守を見ることができます。2022年の築城400年を記念して、日本唯一の天守北側の鉄板貼りが復元されました。これは絶対見逃せません。
2022年12月登城
満足度:★★★★★
歴史
1619年に安芸・備後を治めていた福島正則が改易されると、備後には大和郡山から水野勝成が10万石で入封しました。この地には山城の神辺城がありましたが、西日本の外様大名に対する抑えとして、新たに福山城が築かれました。幕府からの支援もあり、10万石とは思えない規模の城でした。伏見城から櫓が移されたことからも、幕府の力の入れようがわかります。
水野氏絶縁後も、松平氏、阿部氏と譜代大名が配されました。幕末には新政府軍の標的となり、長州軍との戦場になる寸前でした。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
本丸南の内堀を埋めて福山駅が建てられたこともあり、駅からとっても近い城跡です。個人的には、城を避けて鉄道を通して欲しかったのですが・・・
縄張図
福山城は常興寺山を中心に築かれた平山城で、本丸上段に天守を始めとした櫓群、本丸下段に帯曲輪のような二の丸、内堀の外側には三の丸を巡らせていました。また、現在の姿からは想像できませんが、外堀と海が運河で繋がっていました。
さて、縄張図を見て気づくのが、城の背面である北側の守りが非常に弱いことです。しかも、城外に小山があるため、そこから本丸を砲撃されると一溜まりもありません。その対策として、天守の北側面に鉄板を貼るという方法を取っていますが・・・。
西国大名の抑えとして、幕府の支援を受けて大々的に築城されたところ、なのに背面側が無防備なところが、明石城に似ているなと思いました。幕府の権威を見せつけるための、ある意味で張りぼて的な城郭でした。
城歩き
ホームからの福山城
先にも述べましたが、内堀を埋め立てて山陽線を通したので、新幹線上りホームから福山城がよく見えます。
本丸石垣
駅南口を出てすぐ、そびえ立つ本丸石垣。結構な高石垣で、奥に見えるのは月見櫓。
城内入口の石段
本丸石垣を横目に西に歩くと、城内入口への石段があります。当時は石段横側にも曲輪が広がっており、鉄砲櫓や櫛形櫓が建てられていましたが、現在は跡形もありません。
伏見櫓
石段を上りきると、こちらを見下ろすように建てられている伏見櫓。1951年の改修工事の際、2階の梁に「松ノ丸東やく(ら)」との刻字が見つかったことから、伏見城の松ノ丸ノ東であることが判明しました。
筋鉄御門、御湯殿、月見櫓
本丸上段入口には筋鉄御門が設けられており、東に向かって御湯殿と月見櫓が見えますね。
御湯殿(再建)
石垣から飛び出た懸造のこの建物は御湯殿です。名前のとおり、藩主が使用するための風呂場でした。この湯殿も伏見城から移築されたと伝わっていますが、1945年8月の空襲で焼失しました。
月見櫓(再建)
本丸南東隅に建てられた月見櫓。城下を一望することができ、伏見城から移築されたと伝わっています。現在、会議室として貸出されていますが、今後「城泊」としての活用も考えられているようです。
筋鉄御門(現存)
本丸に入る正門である筋鉄御門。扉に十数条の筋鉄(すじがね)が打ち付けられています。空襲を免れた貴重な遺構です。
鐘櫓
ぽつんと独立しているように見えますが、当時は多聞櫓が連なっていました。いろいろ改築されて本来の姿とは異なるようですが、現存する貴重な遺構です。現在でも1日4回鐘が鳴らされています。
本丸で一番重要だった井戸「黄金水」。現在も水を湛えています
5重6階の大天守に2重3階の小天守が付属する堂々たる姿です。戦前に国宝に指定されていましたが、1945年8月8日の空襲で焼け落ちました。本当に残念。
1966年(昭和41年)に再建されたわけですが、北側に鉄板張りをしなかったり、窓枠を黒くしなかったり、最上階の回廊の華頭窓が2つだったり(元は1つ)と、焼失前とは異なる点がいくつかありました。
六角形の鉄砲狭間
しかし、2022年の築城400年リニューアル工事「令和の大普請」を経て、焼失前に近い姿を取り戻しました。細かいところでは、六角形の鉄砲狭間まで再現されています。
天守北面
鉄板が貼られたことによって真っ黒となった天守。ジキルとハイド氏のように、印象が全く変わりますね。逆光になるので写真が撮りづらいのが難点か。
今回の天守北側の鉄板張りにあたり、市民から実物の鉄板2枚の提供があり、検証に大いに役立ちました。また、地元に工場のあるJFEスチールが鋼板約2千枚を寄付しました。市民や地元企業からの支援がありがたいね。
感想
正直に言うと、本丸以外の遺構が壊滅状態で、天守はあるけどなんだか面白くないと思っていました。しかし、今回のリニューアル工事を経て、かなり面白くなりました。何と言っても、日本唯一の鉄板張りつけ天守をぜひ見てください。