昔は福沢諭吉、最近は唐揚げで有名な中津にある中津城。大河ドラマの主人公だった黒田官兵衛が築城を始め、細川忠興が完成させました。石垣に二人の協力の跡(?)が残っています。
2022年5月登城
満足度:★★★★★
歴史
豊臣秀吉の九州平定後、1587年に秀吉の部下であった黒田孝高(官兵衛)が豊前12万石に入封し、翌年から中津川の河口に中津城を築き始めました。しかし、孝高は小田原攻め、朝鮮出兵へと駆り出され、地元豪族の反乱もあり、築城に専念できません。やがて関ケ原合戦の戦功で筑前52万石へと栄転しますが、結局城は未完成のままでした。
黒田家の転封後、福知山から細川忠興が豊前・豊後二郡39万石に入封し、中津城の改修を開始します。しかし、忠興は小倉城に移り、息子・忠利を中津城主として残しますが、家督を譲った後に再び戻ります。1615年には一国一城令が布かれますが、中津城は例外として残り、忠興の隠居城として整備拡張されました。
1632年に細川忠利が肥後熊本に転封し、代わりに播磨龍野から小笠原長次が中津8万国に入封しました。長次は新田開発に注力しますが、後を継いだ二代・長勝、三代・長胤と悪政が続き、幕府により改易されました。中津の負の歴史です。
1717年に丹後宮津から奥平昌成が入封し、以降奥平家が明治維新を迎えました。
天守について
中津城天守内の展示は奥平家に関するものばかりであり、後に大大名になった黒田家、細川家について触れられていません。実は明治維新後も奥平家が中津城を所有しており、1964年(昭和39年)に現在の天守を建てたのも奥平家でした。という理由で、天守が「奥平家歴史資料館」として利用されています。
2007年(平成19年)には奥平家から中津城が売りに出され、市が買い取るかどうかで議論になりましたが、結局は埼玉の民間会社が天守と櫓を購入しました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR中津駅までJR小倉駅から特急で35分、JR大分駅から特急で55分。中津駅から徒歩15分。
縄張図
中津川を堀として利用した縄張りは、見事に直角三角形です。本丸と川沿い部分は石垣ですが、他は土塁を築いています。更に総構えとして、「おかこい山」といわれる土塁
が築かれていました。
日本三大海城と呼ばれたこともありましたが、最近は中津城から宇和島城に代わっているようです。
城歩き
合元寺
駅から城に向かって歩いて行くと寺社が纏まった区画があり、その中にある合元寺は赤壁で有名です。中津に入封した黒田孝高が地元豪族の宇都宮氏を謀殺した場所であり、その返り血を浴びた壁を赤色に塗ったという伝説が残っています。
大手門跡
南部小学校に大手門の石垣が一部残っていました。よく見ると境目があり、桝形虎口を設けるために石垣を継ぎ足したのが分かります。ただ、現在は道路が突っ切っていますね。
西門跡
三の丸の西南隅にある西門跡。三方を石垣で囲まれた搦手門でした。
本丸入口
現在の本丸への入口は明治時代に造られたものです。中津城の遺構は結構壊されていて、非常に残念なところでもあります。
本丸南石垣
この城で一番美しい本丸南の石垣です。
実はつい最近までこの堀は埋められており、石垣も半分ほどしか顔を出していませんでした。2001年からの市の整備によって、堀を掘り下げて水を通し、石垣の傷んだ部分が解体・復元されました。黒田・細川時代の石垣が蘇ったわけです。
中津市歴史博物館
2019年(令和元年)に内堀沿いに中津市歴史博物館が開館し、石垣のマニアックな説明もあるのでお薦めです。入館無料なり。
水門跡
本丸西端には水門の虎口石垣が残っていました。
椎木門跡
本丸側から見た椎木門跡。鳥居の左側に椎木門が構えられていました。面白いのが、虎口正面に石垣ではなく、練塀が建てられていました。後から門を設けたのかな?
扇形石垣の入口
古絵図をよく見ると、椎木門を出たところに扇形に石垣が築かれており、入口が2箇所ありました。現在も石垣が一部残っていますね。
中津城に天守はありませんでしたが、1964年(昭和39年)に奥平家により建てられました。モデルになったのは萩城天守で、5重5階となっています。
展示物に長篠の戦いに関するものがあるのは、そもそも奥平家は三河山間部出身であり、武田勝頼の猛攻を長篠城主だった奥平貞昌が守り抜いたことによります。
本丸から二の丸側に出て、薬研堀越しに天守と櫓を眺めます。中津城で一番有名なアングルですね。
本丸北東面石垣
本丸北東面の石垣にはY字型のラインを見ることが出来ます。これは黒田時代の石垣に、細川忠興が石垣を継ぎ足して本丸を拡張したからです。
面白いのは、古い黒田時代の石の方が方形に整えられている点で、古代山城(神籠石)である唐原山城の列石を転用したからです。
本丸北西面石垣
川沿いに遊歩道が設けられており、黒田時代の本丸北西面の石垣を間近で見ることが出来ます。やはり古代山城の列石を流用しているので、石が大きくて、きれいな方形です。
鉄門跡
鉄板貼りの鉄門は門の中の階段を上って本丸に通じていました。残念なことに現在は石で塞がれています。なぜ?
櫓台石垣
鉄門跡の隣には黒田時代の櫓台が残っており、古絵図を見ると三重櫓が立っていたようです。本来天守の役割を果たしていたのは、この櫓台の名も無き櫓だったかもしれませんね。
感想
意外と石垣に見どころの多い城でした。黒田孝高が築き、細川忠興が拡張した跡がはっきり残っているのが興味深いです。中津城がしっかり学べるので、歴史博物館にもぜひ立ち寄ってくださいね。