石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

城好きサラリーマンが公共交通機関でお城を巡ります

中城城(沖縄県中頭郡) 2020年12月 登城

悲運の忠臣、護佐丸の居城だった中城城。幕末に来航したペリー調査隊も称賛し、その姿をスケッチに残しました。沖縄有数の規模の城郭であり、戦争の被害も少ないことからオススメの城郭です。

日本100名城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

2019年の一の郭北西の城壁修理の際に内側から新たな石垣が見つかったことから、14世紀中頃に築かれたと推定されています。

先中城按司 (さちなかぐすくあじ)の居城であり、数代にわたり、南の郭・西の郭・一の郭・二の郭を築きました。

1440年に座喜味城から移ってきた護佐丸は北の郭と三の郭を増築し、現在残る中城城の原型が完成しました。1458年に勝連城主・阿麻和利の急襲を受け、護佐丸は滅ぼされ、その阿麻和利も王府軍に攻められ滅びます。(護佐丸・阿麻和利の乱)

その後の中城城は王府の直轄となり、江戸時代には中城間切番所が置かれました。1853年には黒船・ペリー提督が琉球に来航した際には、ペリー調査隊が中城城にも訪れました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

公共交通機関派泣かせの城です。最寄りにバス停が無く、どのように行ったらいいのか頭を悩ませました。結論から言うと、どのバス停からも城まで30分以上坂道を上ることになります。

 

国道329号方面からのルート

ネットでよく見かけるのは、海沿いの国道329号方面からのルートです。那覇バスターミナルから、東陽バス30番 泡瀬東線で「添石」「久場」停留所まで約60分。バス停から中城城入口まで、坂道を上って35分弱かかります。「添石」から県道146号線を通るルートの方が多少上りが緩やかです。

「添石」「久場」の間にある「泊」停留所からも中城城を目指すことも出来ます。グーグルマップでは途中で道が無くなっていますが(略図の赤破線のところ)、実際には道がありました。ただ、かなり荒れているのでお勧めしかねます。こちらのルートだと徒歩30分弱。

 

県道81号方面からのルート

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勝連城とはしごする場合は、県道81号方面からのルートが便利です。那覇バスターミナルから、沖縄バス52番 与勝線で「喜舎場」「仲順」停留所まで55分。勝連城跡前からなら35分。バス停から坂道を上り、途中ゴルフ場を横目に30分かかります。

 

城への道

最短距離と思われる「泊」停留所から中城城を目指しましたが、ルート選択を少し失敗しました。

 

泊の大クワディサー

泊の大クワディサー

泊バス停から国道329号を少し歩いたところにある大クワディサー(モモタマナ)。

 

坂道

沖縄の城は小高い丘にあることが多く、バス停は平地にあることが多い。つまり、必然的に上りになるということですな。ただひたすら上るのみ。

 

坂道

途中から傾斜がきつくなっていきます。30度はあるんじゃないの。泊からのルートは最短距離の分だけ上りがキツイです。

 

幻の道

ゼハゼハ言いながら辿り着いたのが、グーグルマップには載っていない道です。入口から既に荒れ果てており、不安でいっぱい。

 

道か?

途中からまさかの草むら&水溜りゾーンに突入。12月でこの様子では、他の季節は立ち入れないでしょう。短い距離ですが、はぶに警戒しながら進みました。

 

あと少し

階段を上って、県道146号線に合流します。中城城までもうひと頑張り。

 

中城城料金所

ようやく着きました。結局、泊停留所から30分弱かかりました。坂が急だったせいもありますが、途中の草むらで時間を取られました。国道329号方面からだったら、「添石」バス停から県道146号線を上るルートがお勧めかな。

 

城歩き

縄張図

三の郭・二の郭・一の郭・南の郭が一直線に並び、北西側を北の郭と西の郭が防御する縄張りになっています。三の郭と北の郭は護佐丸が増築したと伝えられています。

 

中城城遠景

中城城

まるで古代遺跡のような雰囲気。手前に広場が広がっていますが、城とは関係なく、戦後に遊園地があったとのこと。今からでは想像出来ませんね。

 

三の郭城壁

中城城

護佐丸が増築した三の郭は、城壁が相方積みという当時最新の技法で築かれており、新城(ミーグスク)とも呼ばれています。門があるわけでもないので、中央部分をわざわざ凹ませる意味は無いように思えますが・・・

 

裏門

中城城 三の郭アーチ門

中城城 三の郭アーチ門

護佐丸の代名詞であるアーチ門。当時はこちらが搦手でした。弓型の2枚の石板で屋根が造られています。門の前には石段を作り、敵が攻め難くしています。

 

北の郭とウフガー(大井戸)

北の郭はウフガー(大井戸)を城内に取り込むために、護佐丸が増築しました。井戸を確保するということは、居住や籠城を強く意識したからに他なりません。井戸は現在も静かに水をたたえていました。

 

三の郭入口と二の郭城壁

石段の右側には二の郭が迫り出しており、横矢がかけられるようになっています。二の郭の城壁隅部には「隅頭石」と呼ばれる尖りがありますが、昭和に修復された際に取り付けられたようです。

 

旧裏門と二の郭への石段

三の郭から二の郭には直接行けないため、一度北の郭に下りてから、西の郭経由で石段を上ります。途中に通る門跡は、護佐丸が北の郭を増築する前の裏門にあたります。

 

二の郭の御イベ

二の郭は先中城按司によって築かれており、城主の家族や女中が住んでいたと考えられています。郭内には「シライ冨ノ御イベ」と呼ばれる拝所もあり、この郭が初期から在ったことが分かります。

 

二の郭城壁

中城城

うねるような曲線を描く城壁。城壁上には胸壁が設けられ、敵の攻撃から身を守れるようになっています。それにしても絶景ですね。

 

三の郭内

中城城 三の郭

二の郭城壁上から三の郭を見下ろしてみました。護佐丸が勝連側に三の郭をわざわざ増築したのは、勝連按司を仮想敵としたからでしょう。出入口が一箇所しかなく、逃げ道のない(連携が悪い)郭なのは、後から増築したからでしょう。

 

一の郭アーチ門

中城城 一の郭城壁

中城城 一の郭アーチ門

一の郭にはアーチ門をくぐって入ります。一の郭を築いたのは先中城按司なので、このアーチ門は護佐丸が改修したと考えられています。座喜味城といい、どんだけアーチ門が好きやねん。

 

一の郭内

一の郭は城内で最も広い郭であり、正殿が建てられ政務が執り行われていました。江戸時代には中城間切番所が置かれ、第二次世界大戦で焼失するまで村役場として存続したというのが驚きです。また、グスクの守り神を祀った中森ノ御イベ(着替御嶽)もありました。

 

一の郭アーチ門

中城城

アーチ門を通って、南の郭に入ります。このアーチ門も護佐丸が改修したと考えられています。

 

南の郭

南の郭は今までの郭とは雰囲気が異なります。ゴツゴツとした岩が露出し、木や花が生い茂っています。石垣も積み方も野面積みで、この郭が中城城で一番最初に築かれたと考えられています。

 

拝所

雨乞いの御嶽、小城ノ御イ(久高遥拝所)、御當蔵火神(首里遥拝所)。南の郭が城中で最も神聖な場所とされていたのが分かります。

 

城壁の狭間 

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南の郭には沖縄の城には珍しい狭間が設けられています。監視用なのか、射撃用なのかは不明ですが、先中城按司の築城術も護佐丸に負けず優れていることが分かります。

 

西の郭への下り

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南の郭から西の郭には坂を下りて向かいます。坂の正面には一の郭の石垣が出丸のようにそびえ立っています。

 

西の郭

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西の郭は細長く、兵が訓練した場所と考えられています。大手門を破った敵はこの郭に突入することから、戦時の重要地点でした。

 

一の郭の石垣

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西の郭から見上げる一の郭の石垣。石垣は二段に積まれており、なんと10メートル以上の高さがあります。現在修復工事が行われていますが、大発見がありました。

 

14世紀中頃の城壁発見!

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2016年から一の郭の石垣を補修のため解体した際に、下段城壁の内側から、なんと14世紀中頃の城壁が現れました。図らずもペリー調査隊のスケッチが正しいことが証明されました。いかにも古そうな野面積みの下段城壁は明治以降に積まれたものだってさ。

 

14世紀中頃の城壁(隅部分)

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城壁保護のため元の状態に戻されていますが、隅部分のみ見学できるように露出してあります。意外なことに石垣の積み方は技術を要する布積みで築かれています。また、ここが隅部ということは、上段城壁を築く際に一の郭を拡張したんでしょうね。

正門

中城城 正門

正門は櫓門であり、門前は枡形になっています。正面左の城壁は前に迫り出しており、一箇所狭間が設けられています。かなり堅固な縄張りです。

中城高原ホテル跡と現在

中城高原ホテル

初めて中城城を訪問した時、正門の先に見える廃墟がとても気になりました。廃墟の正体は中城高原ホテルで、1972年の開業からすぐに廃業が決まり、以後48年に渡り廃墟として存在しました。2019年に取り壊しが決まり、今回の訪問時には更地になっていました。一つの歴史が終わりました。

 

感想

巧みな縄張りに壮大な石垣、間違いなく沖縄を代表する城跡です。この城が阿麻和利に攻め落とされたのが信じられません。阿麻和利が首里王府軍の旗を掲げていたことから、王への忠誠心の厚い護佐丸は抵抗しなかったと伝えられていますが・・・

その真偽はともかく、城好きなら訪問して絶対後悔しませんよ。お薦めです。