蜂須賀家25万石の居城であった徳島城。天守等の建物は残っていませんが、野面積みの青みを帯びた石垣が特徴です。堀ではクラゲがのんびり浮かんでいました。
「阿波の殿様蜂須賀公が 今に残せし阿波おどり 」
2018年6月登城
満足度:★★★★★
歴史
南北朝時代に細川頼之が渭山に渭山城、麓の寺島城を築いたのが始めです。
1585年、豊臣秀吉の四国平定により、蜂須賀家政が一宮城に入城したが手狭なため、翌年から渭山城と寺島城を合わせた徳島城を築きました。築城を記念して、城下の人々に城内での無礼講を許した際に踊られたものが阿波おどりの始まりと唄われています。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR徳島駅から城入口の下馬橋まで徒歩8分。築城時は城南に寺島川が流れており堀として利用されていましたが、今では埋め立てられて線路が走っていますね。
城歩き
徳島は吉野川河口の本当に島でした。江戸時代に描かれた「正保城絵図」を見ると、徳島城は浮島のようで、攻めにくい縄張でした。
鷲の門(復元)
城南に三木曲輪を拡張したときに建てられた門。幕府に曲輪で鷲を飼うので、その通用門として届けを出したとか。平成元年に復元されました。
江戸時代の地形
渭山に本丸・二の丸・三の丸があり、山麓には御殿と西の丸がありました。
大手門跡と下乗橋
大手口は枡形になっています。右側の石垣は野面積み、左側は積み直し切込接ぎ。やはり青みを帯びた野面積みの方が好みだな。
また、下乗橋の名の由来は殿様以外は籠から下りたから。往時は木製の太鼓橋でした。
舌石
かつて寺島川沿いの石垣にはⅤ字に突き出た折れ曲がり塀が設けられており、舌石はこの塀を支えていました。他では見たことのない珍しい遺構です。
登山口
本丸は渭山上にあります。東坂口から上りました。
石垣には阿波の青石(緑泥片岩)が使われており、鈍い光沢の青がきれいです。和歌山城でも同じ石が使われており、海で離れていても地層は繋がっているようです。ロマンだ。
東二の丸跡
徳島城は東二の丸に3重3階の代用天守が建っていました。天守台もなく、本丸より低い二の丸に天守を建てた理由は不明です。
本丸石垣
このあたりの石垣は野趣あふれる野面積み。
本丸
サッカーが出来そうなくらいの広さ。本丸には御座敷や詰番所、各種櫓が設けられていましたが、藩主は山麓の御殿で暮らしていました。詰の城だったんですね。
本丸弓櫓跡
帰りは西側から下りました。弓櫓跡の石垣は壮大だ。
感想
青緑色の阿波青石の石垣の美しさが印象的でした。雨の日はより引き立つんでしょうね。あと、堀の水には海水が混じっているようで、チヌやクラゲが見られたのも良かったです。なんだか癒やされる城跡でした。