鎌倉時代から相良家の居城だった人吉城。その城は広大で、平城と山城が合体したような城でした。珍しい跳ね出しの武者返しや謎の地下室と見どころも沢山。人吉名物の鰻も美味しかった。
※2020年7月の豪雨水害により大きな被害を受けました。
2018年7月登城
満足度:★★★★★
歴史
鎌倉時代に相良長頼が下向し、平頼盛の家臣 矢瀬主馬佑を討って館に入ったのが、相良家37代700年に渡る統治の始まりでした。
現在の縄張の人吉城は、天正年間(1573~1593年)の末頃から、19代義陽、20代長毎、21代頼寛の3代に渡って築かれ、1639年頃に完成しました。
明治の西南戦争時には西郷軍側につき、人吉は戦いの舞台にもなりました。1860年の城下の大火後、薩摩藩が支援してくれたことへの恩があったからと言われています。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR人吉駅から徒歩20分弱。ただ、球磨川沿いの盆地である人吉までがなかなか行きにくくて困っていました。
・JRの場合は熊本駅から人吉駅まで特急で1時間30分。普通だと八代乗り換えで2時間30分。どちらも本数が少ないので注意。
・バスの場合、 熊本駅前または熊本桜町バスターミナルから人吉ICまで高速バスで1時間40分くらい。鹿児島行きまたは宮崎行きの途中になります。人吉IC下車後、人吉駅前まで人吉周遊バスで12分。
城歩き
城の西方の大手口から歩いてみました。この日は昼まで晴れていたのに、午後からスコールのような雨と雷が止まずに困りました。当然のごとく傘なし(笑)
長塀(復元)
胸川沿いに石垣と長塀が築かれています。瓦を貼った海鼠壁が美しい。
大手門跡
多聞櫓(復元)を傍目に見ながら城内に入ります。 今は直線で入城できますが、当時は枡形の石垣に突き当たり、一旦右に折れてから大手門櫓下を通る鉤形の通路でした。
とても広くて驚きました。2万2千石の大名の城とは思えません。つい最近まで市庁舎もありましたが、熊本地震の影響で2018年に解体されました。
城模型
右側が入ってきた大手口。川に挟まれた平地には屋敷や御殿があり、左の山側には詰城が築かれているのが分かりますね。
相良清兵衛の地下室
また、歴史館内では1997年(平成9年)からの発掘調査で見つかった特殊な地下室を見学することも出来ます。石積みの壁に囲まれており、長方形の貯水池には刀が一振沈められていました。元家老の相良清兵衛の屋敷跡にあり、清兵衛の息子の屋敷跡でも同様の地下室が見つかっています。
莫大な権力を持った清兵衛は藩主の相良頼寛と対立し、幕府の呼び出しを受け江戸に出発した後、残された一族は藩と衝突し全滅しました。(お下の乱)
球磨川沿いの城壁
一旦城外に出て、球磨川に架かった水の手橋から城を眺めます。当時は橋は架かっておらず、球磨川が外堀の役目を果たしていました。
水ノ手門跡
川に面した石垣には7ヶ所の船着場が造られ、水ノ手門はその最大のものでした。年貢米が水運を利用しこの門から城内に運び込まれていました。
はね出し石垣
幕末の火災後に導入された石垣のはね出し石垣。他では五稜郭やお台場といった西洋式の城郭で見られる珍しい工法です。なぜ、この人吉の地に・・・謎だ。
堀合門(復元)
堀合門(現存)
堀合門は相良家御殿の裏門です。城跡には2007年に復元されましたが、本物(?)は城下の新宮家に移築されています。人吉城唯一の建物の遺構です。
御下門跡
三の丸に入る唯一の入口。この石垣には圧倒されますね。
石段
このような石段を登っていきます。山城ですな。
三の丸跡
初夏の田んぼのような芝生の緑がきれい。
中の御門跡
二の丸への入口です。きっちりとした枡形になっています。
本丸跡
本丸には天守は建てられず、後に護摩堂となった屋敷がありました。
感想
こんなに広い城とは思っていませんでした。川沿いに海鼠壁の塀があるかと思えば、本丸への道には豪快な石垣もあり、とても堪能できました。謎の地下室にも興味が湧きますね。雨でびしょ濡れで廻った甲斐がありました(笑)
観光
阿蘇神社の分霊を勧請して創建されました。2008年に国宝指定されました。このときは晴れていたんだよな・・・
永国寺楼門
西南戦争時に西郷軍の本営が置かれました。別名幽霊寺で幽霊の掛軸があることでも有名です。
元湯
人吉は温泉でも有名です。温泉銭湯も多数あり、城跡近くの元湯でさっぱり。
上村うなぎ屋
人通りの少ない街で(失礼)、この店だけはめっちゃ活気がありました。肉厚の鰻が美味しかったです。