石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

観音寺城(滋賀県近江八幡市) 信長と争った佐々木六角氏の居城

近江守護佐々木六角氏の居城だった観音寺城。信長の安土城の近くにあり、石垣造りを取り入れた城としても知られています。ただ、この城を自力で登るのはとても大変です。気合を入れて挑むべし!

日本100名城

2015年10月登城

満足度:★★ 

 

歴史

近江守護佐々木六角氏が繖(きぬがさ)山に築いた山城です。正確な時期は不明ですが、1471年にはほぼ完成されていたと推測されています。観音寺城の名称は、城の中心にある観音寺(現在の観音正寺)に由来します。

1568年の織田信長の上洛の際には六角承禎・義治父子が立ちふさがりましたが、支城の箕作城が1日で攻め落とされると観音寺城を放棄して甲賀に逃亡。その後まもなく廃城となりました。

 

観音寺城について

観音寺城は戦いだけの城ではなく、六角氏の生活の場所でもありました。連歌師・谷宗牧を招いたり、優雅に暮らしていたようです。

戦国の城には珍しく、空堀や竪堀はなく、石垣を多用しているのが特徴です。棚田のように曲輪が沢山あるのは、主従の結束が強くなく、家臣団が各々屋敷を構えたためと考えられています。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

※2022年7月加筆しました

車で観音寺城を目指す場合、必然的に観音正寺を目指すことになります。表参道(林道繖山線)と裏参道(林道観音寺線)がありますが、楽なのは断然裏参道の方です。両林道とも通行料がかかり、観音正寺でも拝観料を払うのがなんだかな、て感じです。

・車で裏参道(林道観音寺線)を通って、「観音正寺裏参道山上駐車場」に駐車。駐車場から10分程歩くと観音正寺。本堂横の登城道から10分で観音寺城本丸に到着。これが一番楽なルートになります。

・車で表参道(林道繖山線)を通って、突き当りの「観音正寺表参道駐車場」に駐車。駐車場からは400段(!?)の石段を上って観音正寺まで。400段の石段って何よと思われるかもしれませんが、麓からだと更に800段もあるのよ。

 

安土駅から徒歩またはレンタサイクルを利用した場合、代表的なのは下記ルートになります。どちらも石段を上ることになるで覚悟しておいてください。

安土駅から石寺楽市まで徒歩45分。そこから日吉神社経由で1,200段の階段を観音正寺までひたすら登ります。このルートは観音正寺への表参道にあたり、石段もしっかりしていますが、ひたすらキツイ。 

安土駅から桑實寺(くわのみでら)の登口まで徒歩25分。そこから桑實寺まで石段を上ること20分、更に30分ほど山登りすると本丸に到着。とにかくキツイ。

 

城への道のり

桑實寺への登り口

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安土駅から桑實寺への登り口まで徒歩で25分弱。私は近江八幡駅からレンタサイクルで30分かかりました。分かり難いですが、駐車場があります。

 

山門

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山門まではすぐ着きましたが、ここからが長かった。ちなみに山門を通るとセンサーが感知しチャイムがなります。桑實寺は有料なので、それでチェックしているみたい。

 

石段

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こんな立派な石段を15分ほど登ることになりました。でも、今から思うと観音寺城より立派な石段だったな。

 

桑實寺の本堂

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信長の「竹生島事件」の舞台になった寺です。信長が竹生島参詣に出かけた際、女房衆は留守の合間に羽根を伸ばしてました。ところが急に信長が戻ってきたため、桑實寺に参詣に訪れていた女房衆は処刑されました。

 

観音寺城への登城

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桑實寺を出てからが本番でした。途中で木が倒れていたり、石段が崩れていたりと、険しい山道を延々と登ります。途中に人気は全く無く、女性には全くお薦めできないルートです。帰りには滑って尻もちをついてしまいました。

 

城歩き

井戸跡

最初に目に入ったのは井戸跡です。今でも水が湧いていました。山城に井戸があると、生活や籠城を考慮していることが分かります。

 

伝本丸裏虎口

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桑實寺ルートだと本丸にいきなり着きますね。戦国時代の山城には珍しい石垣が築かれ、虎口が喰い違いになっています。

 

伝本丸

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「伝」と付くのは、本当に本丸だったか分からないから。ここより高い位置にある曲輪があること、観音寺城の曲輪の分布の西端にあることから、城の中核としてよいか疑問が持たれています。連歌師を招く余裕があるなら、ちゃんと記録を残せよと言いたい。

 

伝本丸の石垣

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伝本丸はそこそこ広く、周囲を石垣で囲われています。ただ、所々崩れていますね。木々に囲まれて見晴らしも望めません。残念。

 

大石段

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伝本丸跡へ登る大石段。この大石段がメインの登城ルートと考えられていましたが、2008年(平成20年)からの発掘調査にて、石段下に隣接する伝三ノ丸と繋がっていないことが判明しました。大石段下方から繋がるルートが他にも見つからず、謎は深まるばかりです。

 

伝平井丸の虎口

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観音寺城で一番の見所である伝平井丸の虎口。石垣の高さは4m弱あり、戦国時代の山城とは思えない立派さです。ただ、縄張りとしては単純な平虎口であり、シンプルなものになります。

 

伝平井丸屋敷跡

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曲輪の内の広さもなかなかのもの。この曲輪が本丸と言われても納得の広さです。

伝池田丸

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伝平井丸の先の伝池田丸。伝本丸や伝平井丸と比べると、周囲の石垣の石はやや小振りな印象。

 

感想

山城だからと覚悟していましたが、とにかくキツイ登城でした。桑實寺経由の山道はかなり荒れていて、それなりの覚悟が必要です。トイレも途中の寺で済ませておいてください。

城内は所々整備されている感じで、特に伝平井丸の虎口は圧巻です。ただ、城内に案内板を設置する等、もう少し整備してもらえると、100名城ということで訪問した観光客も楽しめると思います。今のままだと上級者向けの城ですね。