近江守護佐々木六角氏の居城だった観音寺城。信長の安土城の近くにあり、石垣造りを取り入れた城としても知られています。ただ、この城を自力で登るのはとても大変です。気合を入れて望むべし!
満足度:★★★★★
歴史
近江守護佐々木六角氏が繖(きぬがさ)山に築いた山城です。正確な時期は不明ですが、1471年にはほぼ完成されていたと推測されています。1568年の織田信長の上洛の際には六角承禎・義治父子が立ちふさがりましたが、支城の箕作城が1日で攻め落とされると甲賀に逃亡。その後まもなく廃城となりました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
・車かタクシーで「観音正寺裏参道山上駐車場」まで来て、観音正寺経由で観音寺城に向かうのが一番楽チンかつ普通のルート。
・電車とバスのみだと、JR能登川駅からバスに乗り「観音寺口」で下車。結神社から途中観音正寺経由して1時間ほど山登り。キツイ!
・安土駅から桑實寺の登口まで徒歩30分。私はレンタサイクルを利用しました。そこから桑實寺経由で50分ほど山登り。とにかくキツイ!
・安土駅から石寺楽市まで徒歩45分。そこから日吉神社経由で1,200段の階段を観音正寺までひたすら登ります。桑實寺コースよりは石段がしっかりしていますが、やはりキツイ!
城への道のり
桑實寺への登り口
安土駅から桑實寺への登り口まで徒歩で30分弱。私は近江八幡駅からレンタサイクルで30分かかりました。
山門
山門まではすぐ着きましたが、ここからが長かった。ちなみに山門を通るとセンサーが感知しチャイムがなります。桑實寺は有料だからね、
石段
こんな立派な石段を15分ほど登ることになりました。でも、今から思うと観音寺城より立派な石段だったな。
桑實寺の本堂
信長の「竹生島事件」の舞台になった寺です。信長が竹生島参詣に出かけた際、女房衆は留守の合間と羽根を伸ばしてました。ところが急に信長が戻ってきたため、桑實寺に参詣に訪れていた女房たちは処刑されました。怖い。
観音寺城への登城
桑實寺を出てからが本番でした。途中で木が倒れていたり、石段が崩れていたりと、険しい山道を延々と登ります。人気が全く無く、女性お一人様にはお薦めできないルートです。帰りには滑って尻もちをついてしまいました。
城歩き
伝本丸裏虎口
桑實寺から30分ほどかかりました。桑實寺ルートだと本丸にいきなり着きますね。虎口が喰い違いになっています。
伝本丸
“伝”と付くのは、はっきりしないから。ここより高い位置にある郭があること、郭の分布する範囲の西端にあることから、城の中核として理解してよいか疑問が持たれているとのこと。なるほど一理ある。六角氏、ちゃんと記録を残せよと言いたい。
伝本丸の石垣
伝本丸はそこそこ広く、周囲を石垣で囲われています。ただ、所々崩れていますね。木々に囲まれて見晴らしも望めません。残念。
大石段
伝本丸跡へ登る大石段。この大石段がメインの登城ルートと考えられていましたが、平成 20 年度~ 22 年度の発掘調査にて、伝三ノ丸には繋がっておらず途中で途切れていることが判明。役割が謎。
伝平井丸の虎口と屋敷跡
観音寺城で番の見所の伝平井丸の虎口。石垣の高さは4m弱あります。曲輪の広さもなかなかのもの。
伝池田丸
伝平井丸の先の伝池田丸。伝本丸や伝平井丸と比べると、周囲の石垣の石はやや小振りな印象。
感想
とにかくキツイ登城でした。それは山城だから覚悟していましたが、桑實寺経由の山道は荒れていて、軽い気分だと後悔します。城内も案内板を設置する等、もう少し整備して欲しいな。100名城ということで訪問した観光客ががっかりすると思います。
また、城に入るには桑實寺か観音正寺を通り抜ける必要があり、寺に拝観料を払うのもなんだかな。その分、城を整備してくれたらいいんだけど。
観音寺城について
観音寺城は山城特有の堀切や竪堀が無いことから、戦いのための城ではなかったように思います。棚田のように曲輪が沢山あるのは、主従の結束が強くなかったからで、家臣団が各々屋敷を構えたと考えると納得できます。石垣は権威付けの一種かな。