臥牛山の峰のひとつ「小松山」を中心に築かれた備中松山城。天守は現存12天守のひとつで、天守の現存する城としては唯一の山城です。今回は駅から歩きましたが、自力で登るのはとてもキツイ。覚悟して臨めよ!
日本100名城
2015年12月登城
満足度:★★★★★
歴史
承久の乱後、相模国から着任した秋庭三郎重信が1240年に臥牛山に城を築いたのが松山城の始まりと伝えられています。その後、城主は度々替わりましたが、城の中心は大松山でした。
戦国時代には毛利氏・尼子氏・宇喜多氏の間で激しい攻防が繰り返されました。1572年に毛利氏と宇喜多氏が和睦すると、松山城主・三村元親は織田信長と結び、毛利氏に反旗を翻しました。父・家親が宇喜多直家により暗殺されており、宇喜多家が許せなかったのでしょうね。
1574年に毛利・宇喜多連合軍が備中に侵攻し、次々に諸城が落とされました。元親は松山城に籠城したものの、翌年には内通により天神の丸が陥落。ほどなく松山城は落城し、元親は松連寺で自刃しました。この一連の戦いを備中兵乱と呼び、三村氏は滅亡しました。
三村氏滅亡後の松山城は毛利氏の番城となります。宇喜多直家が織田信長と結び毛利氏と争うと、松山城は毛利氏の前線基地となりました。このとき小松山(現在の備中松山城)の前身が出来上がりました。
関ヶ原合戦後には備中代官が置かれ、小堀正次・遠州父子が赴任し、松山城の修築を進めました。その後、1642年に水谷勝隆が備中松山藩の初代藩主となり、1681年から子の勝宗が大改修し、現在の備中松山城が完成しました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
駅から少し離れていること、山城ということから、自家用車かタクシー利用じゃないとかなり厳しいです。市のHPが詳しいので参考にしてください。
備中松山城へのアクセス - 高梁市公式ホームページ
・自家用車の場合は、「城見橋公園駐車場(5合目)」に車を停めて、そこから「ふいご峠駐車場(8合目)」まで登城整理バス(シャトルバス)を利用。6~10月・12~3月の平日は登城整理バスが運行されていないので、「ふいご峠駐車場(8合目)」まで車で行くことが可能。
・タクシーの場合は、JR高梁駅から「ふいご峠駐車場(8合目)」まで行くことが出来ます。また、お得な観光乗合タクシーが1日4往復運行されていますので、少人数の場合はぜひ利用ください。ただし、前日までの予約が必要になります。(当日予約は出来ませんでした)
・路線バスもありますが、「松山城登山口」までなのと、土日祝は運行本数がかなり減るので利用しにくいです。
・今回私はJR高梁駅から徒歩で向かいました。(少し後悔している)
城への道のり
高梁栄町商店街
備中松山城には学生の頃に一度来たことがあります。その時はタクシーを利用しましたが、町並みも見たかったので、JR高梁駅から歩きました。高梁栄町商店街のアーケードは立派でしたが、人が少ない・・・。私の地元もそうですが、地方都市は厳しいな。
紺屋川筋
かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていた紺屋川。「日本の道100選」にも選ばれています。それより空が曇ってきたぞ。
頼久寺
高梁市内には石垣のしっかりしたゴツい寺が多い。ここ頼久寺の庭園は、備中国奉行を務めた小堀遠州の作庭です。
城歩き
備中松山城入口
駅から歩くこと約30分、備中松山城入口にようやく着きました。場所は小高下谷川沿い、高梁高校と中洲公園の間です。迷わず遊歩道へと進みます。
遊歩道(登山道?)
やっちまった!意外と整備されていますが、結構急な遊歩道が続きます。途中には階段もあり、息を切らせながら黙々と歩きます。
大石良雄腰掛岩
「大石良雄って誰?」って思う人もいると思いますが、忠臣蔵の大石内蔵助の本名です。備中松山城藩主であった水谷家断絶に伴い、浅野内匠頭が収城を行い、家老の大石内蔵助が水谷家家老の鶴見内蔵助と会見したとのことです。本当にこの岩に腰掛けたかは分かりませんが、この遊歩道は当時登城道だったんですね。
城歩き
備中松山城全体図
遊歩道入口から40分ほどで鞴峠(8合目)に到着。看板に「小松山城跡」と記載されいるのが目的の備中松山城です。タクシーだったらここまで寝てても着いてるんだよな。ちくしょう、もうひと踏ん張りや。
中太鼓櫓跡
鞴峠から10分ほどで初めて石垣が見えてきましたよ。 中太鼓櫓跡ですね。
中太鼓の丸の説明
下に見える「下太鼓の丸」とこれから向かう大手門の間にある曲輪とのこと。それにしてもよくここまで登ってきたな。
「見ろ! 人がゴミのようだ!」 by ムスカ
大手門跡
ようやく大手門跡まで着きました。この石垣には気持ちが昂ぶります。普通に登ってくるだけでもこんなに疲れるのに、ここまで石を運んできた苦労を考えると頭が下がります。
大手門虎口
二の平櫓跡付近から見る大手門虎口方面の石垣が素晴らしい。奥の方は自然の岩盤を上手に利用しています。
三の丸方面
三の丸に沿って土塀が建てられています。
本丸入口
土塀・五の平櫓・六の平櫓が木造で復元されています。
天守
登山口から休憩や写真を撮りながら1時間半かかりました。天守は2重2階で唐破風出窓がアクセントになっています。備中松山藩は小藩ですし、山城に高層天守は必要無いですからね。
2重櫓と天守
後曲輪からの二重櫓と天守の姿。 二重櫓も天守と同じく重要文化財です。
天神の丸跡と大松山城跡への看板
今まで見てきた備中松山城跡は小松山にありますが、中世は大松山城が中心でした。時間が無くなってきたのでパスしましたが、大池という石垣プールは見ておけばよかった。
感想
登城途中は泣きたくなりましたが、山頂の石垣は見応えがあり満足しました。また、高梁市は城の整備に力を入れていて、要所に案内看板が設置しており参考になりました。JR利用の方はぜひ乗り合いタクシーを利用しましょう。私は絶対利用します!
おまけ
松連寺
備中松山藩主の水谷勝隆により、備中松山城の砦の役割を兼ねて創建されました。拝観は出来ませんが、要塞のような石垣がすごすぎる。