戊辰戦争の舞台になった会津若松城。2019年に登城しましたが、天気が今一つだったのが心残りでした。「晴れた空をバックに天守を撮りたい!」という野望を持って、再訪しました。
2023年5月再登城
満足度:★★★★★
前回の訪問記はこちらです。
保科・松平家について
会津藩は幕末の戊辰戦争で悲劇的な敗北を迎えました。なぜ会津松平家は最後まで徳川家に忠節を尽くしたのでしょうか?
会津藩の初代藩主は保科正之といい、2代将軍・徳川秀忠の隠し子でした。しかし、秀忠からは認知されず、信州高遠藩主・保科家に養子として迎えられます。
正之の運命を変えたのは、異母兄である3代将軍・徳川家光でした。正之は人柄と能力を高く評価され、高遠3万石から山形20万石、そして会津23万石へと破格の出世を果たします。
正之は会津藩主時代に家訓15カ条を制定し、「徳川家に忠勤、忠義を尽くさなければならない」と定めています。きっと家光への感謝があったに違いません。
城歩き
高速バスで郡山駅前から鶴ヶ城・合同庁舎前まで移動しました。北出丸近くで降りられるので、城巡りには都合がいいですね。
北出丸
本丸北側に築かれた出丸を眺めながら、本丸天守を目指します。
北出丸入口
北出丸入口には直方体の巨石で石垣が組まれています。
1627年に松山から加藤嘉明が入封し、子の明成がこの北出丸を築きました。その際に大手が北側に変更されています。
太鼓門跡
北出丸からゆるい椿坂を上ると枡形が設けてあり、奥には太鼓門と呼ばれる多聞櫓が建てられていました。大手だけあって、石垣には巨石が使われています。
本丸縄張り
会津若松城の本丸は、御殿のある中心部(赤線)、その北西側を囲む帯曲輪(黄線)で構成されています。出丸や二の丸からは、直接中心部に入れない巧みな縄張りです。
帯曲輪からの天守
太鼓門の枡形を抜けると、そこは本丸帯曲輪。見下ろすように天守がそびえ立っています。攻め込んできた敵はたまらんね。
鉄門
鉄門(くろがねもん)は最奥にある重要な門であり、藩主専用の門でもありました。
本丸からの天守
この天守を見たかった。青空と赤瓦と白亜の天守のコントラストが素晴らしい。
取り壊し前の天守
戊辰戦争でボコボコにされた天守。立派すぎるがゆえに、戦争時には砲撃の目標とされてしまいました。
天守からの眺め
会津若松城の天守はちょうどリニューアルオープンしたばかりで、私も含めた観光客で混み合っていました。展示内容を観ると、会津藩の苦難の歴史に胸が痛みます。
走長屋・鉄門・南走長屋・干飯櫓
天守と鉄門は走長屋で繋がっており、走長屋内には土産物売り場があります。また、鉄門と干飯櫓は南走長屋で繋がっており、中を通ることができます。
南走長屋
南走長屋は2000年(平成12年)に木造で復元されました。天守入場券を係員さんに見せて、靴を脱いで上がります。釘は使わず、組木細工で造られています。
干飯櫓
干飯櫓は会津若松城で一番大きな櫓であり、食糧の貯蔵庫として使用されていました。南走長屋と同時期に木造復元されていますが、2階には上がれないようで残念。
櫓内の人形
狭間から鉄砲を撃つ人形や石落としから石を落とす人形が展示されていました。泥人形みたいで少し不気味。
本丸広場に展示されていた巨大あかべこ。
本丸埋門跡
天守北東にある埋門。先程の鉄門が正門にあたるのに対し、こちらは裏門になります。当初の大手が東側だった時は、この門が正門でした。
本丸石垣
本丸石垣に沿って、帯曲輪を東へと進みます。
本丸東枡形
二の丸へと通じる本丸東入口には、頑強な枡形が設けてあります。築城当時はこちらが大手口だっただけあって、頑強な造りです。
廊下橋門跡
現在は朱色の欄干の橋がかかっていますが、当時は屋根付きの橋が架かっていたのでしょう。
廊下橋両脇の高石垣
個人的に会津若松城の最大の見所だと思っている、廊下橋両脇の高石垣。水面から20メートル以上の高さがあります。石垣マニアの方はぜひご覧になってください。
街歩き
会津若松城の建物のほとんどが明治以降に取り壊されていますが、唯一三階櫓が市内の阿弥陀寺に移築されています。街歩きがてら伺ってみましょう。
酒屋
福島は酒処であり、会津若松にも多数の酒蔵があります。末廣酒造では酒蔵見学することもできます。
なぜか会津若松ではソースカツ丼が名物です。とんかつに濃厚なソースの組み合わせが最高!
城から北西に1.5キロメートル先に目指す阿弥陀寺があります。
御三階
1870年(明治3年)に会津若松城の本丸から移されました。3重4階で、3階へ上る梯子は上から引き上げられる構造になっているとか。元々あった場所も本丸内側であり、密議所として使われていました。
斎藤一の墓
新選組の斎藤一の墓がありました。斎藤は戊辰戦争で戦死したわけではなく、戦後は会津藩が再興を許された斗南藩領の五戸に移住し、後に東京に移って警視庁に入り、西南戦争にも参戦しています。
感想
何と言っても青空をバックにした白亜の天守が美しかったです。あと、この城の石垣の積み方がいいですよね。本丸東側の高石垣もお見逃しなく。