石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

白河小峰城(福島県白河市) 戊辰戦争と震災に翻弄された城

戊辰戦争の舞台となった白河に建つ小峰城。平成に入り三重櫓と前御門が木造復元されています。2011年(平成23年)の東日本大震災では石垣が崩れるなどの大きな被害を受けましたが、力強く復興しています。

日本100名城

2023年5月登城

満足度:★★★★★ 

 

 

歴史

白河は奥州の玄関口であり、南北朝時代結城親朝がこの地に城を築いたのが小峰城の始まりと言われています。しかし結城氏は豊臣秀吉の奥州征伐の際に滅び、白河は会津領の一部となりました。

江戸幕府が創立されると、白河は関東の背後を守る要衝として重要視されます。1627年に陸奥棚倉から丹羽長重白河藩10万石の初代藩主として入封し、本格的に築城を開始します。長重は築城の名手として知られ、1632年に小峰城を完成しました。現在残る遺構の多くが長重に依るものです。

1643年に2代藩主・丹羽光重は二本松に転封し、代わりに村上から本多忠義が入封します。その後も徳川譜代・親藩が置かれ、寛政の改革を行った老中・松平定信白河藩主でした。

幕末には阿部家が白河を治めていましたが、7代藩主・阿部正外が老中として失脚し、8代藩主・正静のときに棚倉に転封させられます。そのため白河は二本松藩の預りとなりました。

戊辰戦争が始まると、東北の入口である白河は藩主不在にも関わらず、新政府軍と奥羽列藩との戦いに巻き込まれます。この白河口で惨敗した奥羽列藩側は退却し、小峰城も新政府軍の手に落ちました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

東北本線 JR白河駅から徒歩5分。東北本線白河小峰城を南北に分断する形で開通しているので、白河駅は旧三の丸に建てられています。

 

縄張図

正保城絵図より

 

現地案内図より

白河は東北の玄関口にあたり、古くから交通の要所でした。小峰城阿武隈川谷津田川に挟まれた丘陵の西端に本丸を設け、南側に二の丸、南東側に三の丸を配置しています。

小峰城の特徴は、東北では珍しい石垣造りであることです。本丸・二の丸は総石垣造りで、三の丸や主要部でも石垣が用いられました。ただ現在は本丸と三の丸北東部の石垣を除き、ほとんど残っていないようです。

 

城歩き

清水門跡

ホームからの白河小峰城

ホームからの白河小峰城

白河駅は城内に建てられているので、ホームから北側に三重櫓を望むことができます。駅の出口は南側なので、城へはグルっと回り込む必要があります。

 

太鼓門跡

白河小峰城 太鼓門跡

二の丸南入口には枡形が設けられ、太鼓門と呼ばれる櫓門が建てられていました。残念ながら、現在遺構は残っていません。

 

二の丸跡

白河小峰城 二の丸跡

現在は芝生公園になっていますが、1987年(昭和62年)に撤去されるまで市営球場がありました。プロ野球の公式戦も行われたとか。

 

清水門跡

白河小峰城 清水門跡

本丸南入口には、正門として清水門が建てられていました。縄張り的に不思議なのですが、枡形は設けられていません。清水門を復元する計画があるようで楽しみです。

清水門両脇の石垣

白河小峰城 本丸石垣

白河小峰城 本丸石垣

先程、かつて市営球場があったと書きましたが、当時は内堀が埋め立てられ、驚いたことにこの石垣がバックスクリーン代わりだったとのことです。

 

半同心円状に積まれた石垣

白河小峰城 本丸南面石垣

白河小峰城 半同心円状の石垣

清水門正面の石垣の積み方が面白いんです。半分に切ったバームクーヘンのように半同心円状に石垣が積まれています。まるでゴッホの「星月夜」で描かれた雲のようで、目と頭がクラクラします。
2011年(平成23年)に発生した東日本大震災でこの石垣も崩落しましたが、2015年(平成17年)に見事修復されました。

 

前御門経由で三重櫓まで

本丸への入口は、前御門と桜之門の二門がありました。まずは正門の前御門を目指します。

竹之丸

白河小峰城

白河小峰城 竹の丸

本丸の東に位置する竹の丸。北東に平櫓、南東には二重櫓がありました。

 

三重櫓と前御門

白河小峰城 三重櫓と前御門

小峰城の写真と言ったら、三重櫓と前御門が一緒の写ったこのアングルが有名ではないでしょうか。

 

前御門

白河小峰城 前御門

前御門は本丸の正門にあたり、1994年(平成6年)に木造復元されました。小峰城には「白河城御櫓絵図」という城内建物を網羅した絵図が残っているので、当時と同じ姿での復元が可能となっています。

 

本丸御殿跡

白河小峰城 本丸御殿跡

前御門を抜けると本丸です。面白いと思ったのは、本丸の北側と西側にのみ土手のような土塁が周っていることです。三重櫓は土塁の上、平坦地には本丸御殿が建てられていました。

三重櫓

白河小峰城 三重櫓

幕府への配慮から天守とは呼ばれていませんでしたが、この三重櫓は間違いなく天守クラスです。残念ながら戊辰戦争で焼失しましたが、1991年(平成3年)に木造復元されました。

 

三重櫓内部

白河小峰城 三重櫓内部

白河小峰城 三重櫓内部

白河小峰城 三重櫓内部

三重櫓は建絵図が存在したおかげで、木造で復元されています。全国各地の城建物の木造復元の先駆けですね。構造的には、3階部分が1,2階と比べて著しく狭いのが印象的です。縄張り的には、前御門に押し寄せる敵に横矢をかけるのは難しそう。
ここで一旦清水門まで戻って、別ルートで本丸に向かってみます。

 

桜之門跡経由で本丸土塁まで

 

本丸桜之門への通路

白河小峰城

清水門跡まで戻り、西に入って直ぐの本丸南側にある桜之門を目指します。

 

桜之門跡

白河小峰城 桜之門跡

白河小峰城 桜之門跡

白河小峰城 桜之門跡

桜之門は裏門にあたり、本丸御殿の庭に通じています。通路を石垣で固めた埋門で、当時は石垣上に櫓が渡っていました。

 

三重櫓と前御門

白河小峰城 三重櫓と前御門

当時は本丸御殿が建っていたので、前御門は見えなかったでしょうね。

富士見櫓跡

白河小峰城 本丸土塁

白河小峰城 本丸土塁

白河小峰城 富士見櫓跡

桜之門跡を出て左側に本丸土塁への登り口があります。流石に福島から富士山を見るのは厳しいと思いますが、富士見櫓とはこれ如何?

 

雪見櫓跡

白河小峰城 雪見櫓跡

白河小峰城

雪見櫓という名称が珍しいですね。本丸北側に土塁が築かれているのは、風雪を防ぐ意味があったのかもしれません。

 

本丸帯曲輪から三の丸まで

小峰城は本丸下に帯曲輪が廻っています。ただ、帯曲輪と言うには広さが十分にあり、本丸が二段になっていると考えた方が正確かもしれません。

帯曲輪門跡

白河小峰城 帯曲輪門跡

白河小峰城 帯曲輪門跡

白河小峰城 帯曲輪門跡

帯曲輪から本丸へ攻め込んでくる敵を迎え撃つ帯曲輪門。櫓台のような石垣もあり、これでもかと石垣が迫ってきます。

 

本丸西側帯曲輪

白河小峰城 本丸帯曲輪

白河小峰城の本丸下には帯曲輪が配置されています。1960年(昭和35年)にバラ園が開園し、長らく親しまれていましたが、東日本震災後に閉園されました。

本丸西側石垣

白河小峰城 本丸石垣

白河小峰城 本丸石垣

東日本震災後で大きな被害が出ましたが、2018年(平成30年)に修復完了しました。何となく積み直し箇所が分かりますね。

本丸北側帯曲輪

白河小峰城 本丸帯曲輪

本丸北側にも帯曲輪が配置されています。手前の雪見櫓台も地震で被害を受けましたが、無事修復されております。

 

水懸口

白河小峰城 水懸口

帯曲輪北西の隅に、堀へと下りる水懸口がひっそりとありました。通常使用される門ではなく、ごみ処理時に使用されたと考えられています。

 

本丸北側石垣

白河小峰城 本丸北側石垣

白河小峰城 本丸北側石垣

本丸北側石垣も地震で被害を受けました。築城前、本丸の中央南北部分は谷だったため、旧地形の影響が大きかったようです。

 

三重櫓北面

白河小峰城 三重櫓北面

白河小峰城 三重櫓台北面石垣

三重櫓台の北面石垣は、丹羽長重が白河に入封するより前に築かれたものと考えられています。確かに石の大きさが不規則で、横目が通っていません。

 

矢之門跡

白河小峰城 矢之門跡

白河小峰城 矢之門跡

帯曲輪の北東入口には矢之門が設けられていました。2階櫓と櫓門が連結した造りは小峰城でこの門だけでした。

 

三の丸

白河小峰城

矢之門跡を通り抜けると、まるで寂れた公園のような三の丸東部に出ます。

 

三の丸石垣

白河小峰城 三の丸石垣

白河小峰城 三の丸石垣

三の丸から東に抜ける通路がありましたが、立入禁止になっていました。この道路は古絵図に描かれていませんので、近世に石垣を壊して造ったものだと思われます。

搦手門跡から会津門跡まで

搦手門跡から堀沿いをぐるりと歩いて会津門跡へと戻ります。

搦手門跡

白河小峰城 搦手門跡

白河小峰城 搦手門跡

三の丸北には枡形が設けられており、かつては搦手門(尾廻門)がありました。この付近は廃城の雰囲気が漂っていますね。

 

三重櫓

白河小峰城

白河小峰城

北側の堀越しに望む三重櫓。堀幅は50メートル近くあり、高石垣上に築かれた三重櫓はまるで天守です。この城はここからの眺めが一番良いです。

本丸・帯曲輪石垣

白河小峰城

白河小峰城小峰城の北西側から眺めると、本丸と帯曲輪の石垣がまるで石の要塞です。こちら側に来る観光者は少ないと思いますが、石垣好きはぜひ見てください。

会津門跡

白河小峰城 会津門跡

かつてここには、北西の会津町から三の丸に入る門がありました。奥に見えるのは小峰定歴史館です。小峰定歴史館は2019年(平成31年)にリニューアル開館しました。VRシアターのナレーターは噺家春風亭昇太師匠です。(最近よく見るな~)


旧太鼓櫓と蛇尾の石垣

移築されていますが、小峰城には櫓が一つだけ現存しています。城山公園から少し離れていますが、折角なので訪問してみました。

 

旧太鼓櫓

白河小峰城 旧太鼓櫓

清水門跡から歩いて6分ほど、福島地方裁判所の裏側に旧太鼓櫓はありました。元は二の丸にあった太鼓門西側の櫓であり、廃城後に民間に払い下げられたため、外観は改築されています。紆余曲折の上、2022年(令和4年)に現在の地へと移築修復されました。

 

蛇尾の石垣

白河小峰城 蛇尾の石垣

白河小峰城 蛇尾の石垣

これは圧巻です。城の東側に築かれた蛇尾の石垣。長さは200メートル近くあり、まるで万里の長城です。外郭にこのような石垣が築かれるのは異例です。

 

国土地理院撮影の空中写真に加筆

奥州から攻め込んでくる外様大名に対して、牽制と防御の意味合いが強かったと思われます。皮肉なことに、戊辰戦争では奥州列藩が攻め込まれる側でしたが・・・

 

氷室?

白河小峰城 蛇尾の石垣

蛇尾の石垣下の土塁の一部に岩穴が空いています。通りすがりの地元の方が言うには、昔は冬に積もった雪を保管するのに使われていたとのことですが、真偽は不明です。

 

感想

東北では珍しい石垣造りの城ですが、その壮大さに驚きました。三重櫓と前御門に続いて、今度は清水門が復元されると言うことで楽しみです。石垣好き的には、半同心円状に積まれた石垣と蛇尾の石垣が刺さりました。見どころ満載の名城ですよ。