東日本唯一の現存天守がある弘前城。現在石垣修復のため、天守は世にも珍しい引っ越し中です。江戸時代からそのまま残る縄張りを堪能することができました。
2020年11月登城
満足度:★★★★★
歴史
大浦城主・大浦為信は南部家に反旗を翻し、1585年に津軽統一を成し遂げました。一方で時の権力者である豊臣秀吉に接近し、1590年の秀吉の小田原攻めに馳せ参じて所領を安堵されました。このとき、わずかに遅れて謁見した南部家は悔しがったとされます。
その後、為信は津軽姓を名乗るようになり、弘前城の築城を計画しました。1607年に為信は亡くなりますが、1611年に二代藩主・津軽信枚によって完成しました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR新青森駅からJR弘前駅まで30~40分。JR弘前駅から徒歩25分。駅からは近いのですが、青森は少し遠いですね。
城歩き
縄張りと土塁
江戸時代の絵図(正保絵図)と比べてみると、当時の縄張りがよく残っているのが分かると思います。一見平城に見えますが、城の西側は崖になっており、西濠には樋ノ口川が流れていました。
土塁と濠
弘前城の石垣は本丸のみで、基本的に土塁と濠の城です。晩秋に訪れたので赤と緑のコントラストがきれいですね。
水戸違い
城の南北に傾斜があるため、東側の三の丸の堀にはダムのような段差が見受けられます。このように土居で区切り、水位に高低差を付けることを水戸違いと言います。
大手門から本丸
まずは王道の追手門(大手門)から本丸を目指してみました。
追手門
枡形の前面に高麗門を設けておらず、1層目の屋根が高い古風な造りの櫓門です。なんだか寺社の山門のような雰囲気が漂っています。また、寒冷地のため、木製の瓦に銅板を貼った銅瓦になっているのも特徴です。
三の丸
現在の三の丸には市民会館が建っており、あとは広場や植物園になっています。曲輪内には石垣や堀がなく、平坦なのも弘前城の特徴です。
辰巳櫓
二の丸の南東隅に建つ辰巳櫓。堀側は普通(?)の外観なのに、内側はいたってシンプルです。また、屋根は銅板葺となっています。
未申櫓
二の丸の南西隅に建つ未申櫓。こちらも内側はシンプルです。
杉の大橋
二の丸と三の丸に架かる杉の大橋。架けられた当初は杉材だったので、杉の大橋と呼ばれています。ちなみに1821年に架け替えられた時に檜材に替わりました。前日降った雪が固まってしまい、橋桁を確認するどころか、つるつる滑って危険でした(笑)
二の丸南門
追手門との違いが全然分からん(笑)。二の丸には南と東に櫓門があり、どちらも現存しています。
下乗橋越しの天守
下乗橋越しに天守が見えてきました。本来の天守は赤円内に建てられていましたが、石垣修理のため曳家(ひきや)で内部に70メートル移動しています。
石垣工事
本丸の石垣に「はらみ」が見られたため、2014年から修復工事に取り掛かっており、2025年以降までかかるそうです。実際に見ると、こりゃ大変そうだ。
本丸南馬出
下乗橋を渡って入るは本丸南馬出。本来は奥に見える券売所から先は有料ですが、冬季は無料で入れます(天守には入れんけど)。
本丸枡形
枡形を通って本丸に入ります。正面に天守が見えますが、本来はここにはありません。幻と思ってください。
築城当初は本丸西南隅に5重天守が建てられていましたが、1627年に落雷で焼失。幕末近くの1810年に本丸辰巳櫓を改修し、現在の天守となりました。実は幕府には「天守」としては届けておらず、あくまで櫓の再建でした。
天守裏側
裏側は切妻破風がなくすっきり。今まで見てきた3重櫓もそうでしたが、ここまで割り切った天守は珍しい。通常の瓦ではない銅瓦を使用しているため、落ち着いた青緑色。
本丸南馬出しから西の郭
ちょっと寄り道して、本丸南馬出から西の郭に向かいます。
もみじ谷
南出丸から西の郭に下りる道は、通称「もみじ谷」と呼ばれています。ちょっと季節が遅かったですが、紅葉の紅が鮮やかですね。
旧天守台
築城当初は本丸西南隅に5重天守が建てられていました。落雷で焼失した天守の代わりに未申櫓を建てた際に、天守台も櫓台に縮小されました。
西の郭から見上げた本丸
こうやって見ると、弘前城が平山城というのも納得できます。地形を活かした高い土塁と幅広い池に守られており、この城で一番堅固な箇所です。
かやの木
郭の中央に思わずハッとするような黄金色がありました。その正体はかやの木の落ち葉なのですが、本当に鮮やかで何度も見てしまいます。観光客がほとんど来ないのがもったいない。
埋門跡
石垣の間に築かれた裏門で、普段は扉が閉められていました。今は普通の道路ですね。
旧西外曲輪(現 馬屋町)
築城当初は城の一郭で侍屋敷と馬場・厩がありましたが、1682年の川筋の整備に伴って郭外となりました。現在はドンと高校が建っています。
桜のトンネルと堀
堀の間の道は、「桜のトンネル」と呼ばれています。ぜひ春に来たいですね。
本丸から北門経由で東門
本丸から北の郭・四の丸経由で北門を通り、ぐるっと廻って東門を通ってみます。
本丸からは岩木山が本当によく見えます。山頂が燻ぶっているのが少し残念。
鷹丘橋
本丸から北の郭に架かる鷹丘橋。4代藩主信政によって架けられた橋であり、いざという時は壊せるように出来ています。橋名の「鷹丘」は、弘前城の旧城名から取られています。
北の郭
北の郭には明治末期に建設された武徳殿(道場)があり、現在休憩所になっています。また、郭の南東隅には館神(たてがみ)と呼ばれる稲荷社跡があり、その厨子には豊臣秀吉の木像が秘されていました。策略家と言われた為信の義理堅い一面が伺えます。
北の郭の土塁側面
北の郭から二の丸に抜ける途中の土塁側面。傾斜は40度。
丑寅櫓
二の丸北東に建てられた丑寅櫓。日本に現存する三重櫓は12しかありませんが、そのうち3つがここ弘前城にあります。素晴らしい。
三の丸への道
二の丸から三の丸への道がありますが、これは利便のため後世に造られたものですね。虎口等の防御がなく、古絵図にも描かれていません。
賀田御門跡
三の丸から四の丸には折れ曲がった枡形を通る必要があり、賀田御門(よしたごもん)が設けられていました。当初は北門が正門だったので、防御が固いですね。
二階堰(にかいぜき)
三の丸と四の丸の間は、二階堰と呼ばれる小川が流れています。堀代わりというよりも、境界線なんでしょうね。
四の丸
とにかくだだっ広い四の丸。寒い。
北門
北門は亀甲門とも呼ばれ、築城時はこちらが正門でした。柱などから多数の矢傷が見つかっており、大光寺城の門を移築したと伝えられています。間違い探しじゃないけれど、他の門と違って矢狭間がありませんね。
外堀
北門から出て、堀に沿って歩きます。堀幅は10メートルほどありますが、土塁の高さは堀面から3メートルほど。縄張りは直線的で折れがなく、櫓等も無いため防御力は高くないかも。堀沿いの散策は楽しいけどね。
東門
堀沿いにぐるりと廻って、東門から再度城内に入ります。
東内門外橋(石橋)
二の丸と三の丸の間には、弘前城で唯一の石橋が架かっています。ここは元々土橋でしたが、溝のような掘が掘られています。
東内門
これで現存5つの門の全てを制覇しました。東門と間違い探しかよっていう位、同じ構図です。
感想
縄張りがほとんど残っている貴重な城跡でした。土塁に構えられた櫓門が重厚で格好良かったです。今回は西の郭のかやの木の輝きにも目を奪われました。天守が元の位置に戻ったときにぜひ再訪させていただきます。