旧玉城村(現南城市)の小高い丘にある玉城城。何と言っても岩をくり抜いて造られた太陽の門が写真映えします。城からの眺めも素晴らしかったです。
2022年10月登城
満足度:★★★★★
歴史
築城の年代や城主は不明ながら、琉球開闢(かいびゃく)の神「アマミキヨ」が築いたとの伝承が残っており、英祖王統の第4代目・玉城王が居城したとも伝えられています。
琉球王国時代には、国王の命を受けた役人が国家安康と五穀豊穣のため毎年祈願しており、国王も参詣したと伝えられています。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
最寄りのバス停は「玉城」または「喜良原」になり、いずれもバス停から25分ほど歩く必要があります。
・那覇バスターミナルから、「50番51番 百名線」に55分乗車し「玉城」下車。バス停から徒歩20分。
・那覇バスターミナルから、「40番 大里線/309番 大里結の街線」に45分乗車し「喜良原」下車。バス停から徒歩26分。
私は知念城からのはしごだったので、「知念」バス停からNバス 「A1 知念・佐敷一周線(右回り)」に乗車し、「仲村渠」で下車。グスクロードを17分ほど歩きました。
城への道
仲村渠(なかんだかり)バス停
知念城から向かうので、最寄りのバス停は仲村渠(なかんだかり)になります。沖縄には仲村渠という苗字の方がいらっしゃいますが、多くは中村に変わっている方も多いのだとか。
坂道
バス停から200メートルほど坂道を上ります。路の左側に「ミントングスク」がありましたが、城というより御嶽らしく、民家の私有地内にあるのでスルーしました。
グスクロード入口
南城市には城が点在しており、東の垣花城から西の糸数城を結ぶ約4キロの道路をグスクロードと呼んでいます。
グスクロード
グスクロードって城好きなら憧れるじゃないですか。でも特に何も無く、こんな道が延々と続きます。現実は厳しい。
玉城青少年の家
玉城青少年の家までくれば、玉城城はもうすぐ。先の山上に城壁を望むことができます。
玉城城
やっと到着しました。休憩所やトイレはありませんが、城の入口近くに駐車場があり、ちらほら人を見かけました。
城歩き
縄張り図
玉城城は、山頂の主郭、斜面にある二の曲輪、麓の三の曲輪で構成されています。現在は主郭にのみ城壁が残り、二の曲輪と三の曲輪の城壁は米軍基地建設の骨材用に持ち去られてしまったとのことです。残念。
主郭方面
岩をくり抜いた太陽の門がはっきり見えますね。主郭が丘に築かれているのがよく分かります。
三の曲輪
一見するとただの広場ですね。現在は入口近くが駐車場になっています。
通路
奥に設けられた仮通路を進むと、主郭への登り口に着きました。当時はここから石畳を上っていましたが、滑りやすく危険なのと、遺構保護のため、近年木製の階段が設けられています。勝連城と同じですね。
拝所
階段を上っている途中に配所がありました。
主郭の城壁
見上げると城壁がそびえたっています。石積みや石自体がきれいすぎる気もしますので、近年修復されたのかもしれません。登り口に面する東側には立派な城壁を築いていますが、その他は急斜面に囲まれていますので、低い石垣のみ築かれています。
階段
木で造られた階段は大きく左に旋回しており、その先には・・・
太陽の門
玉城城といえば、岩をくり抜いて造られた太陽の門。防御力という点では最高レベルでしょう。夏の夏至には城内から朝日が昇るところを見ることができます。
階段からの遠景
階段の途中が踊り場になっていて、ここからの眺めが最高です。遠くの海、自分が歩いてきたグスクロード、芝のきれいなゴルフ場。主郭は木が茂っているため。実はここからの眺めの方が良いんですよ。
二の曲輪
主郭からの斜面が二の曲輪であり、城壁のような石がわずかに残っています。ただ、平常時にここで暮らせるようには思えません。
天つぎあまつぎの御嶽
門を潜った正面にあるのは、「琉球国由来記」に記載された「アガル御イベ、ツレル御イベ」を祀った「天つぎあまつぎの御嶽」です。
基壇
天つぎあまつぎの御嶽の右側には、石積みの基壇が残っています。当時は主殿が建てられていたのでしょうね。
城壁
城壁は野面積みですね。積まれた石も小振りです。
主郭内
主郭内は然程広くなく、平地が少なかったです。普段は祭祀場で、籠城時のみ使用といったところでしょうか。
城歩き
玉城城の見どころは何と言っても太陽の門。青空をバックに映えていました。主郭には御嶽もあって、厳かな雰囲気も感じられました。