石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

大松山城(岡山県高梁市) 中世山城と謎のプール

日本三大山城の備中松山城(小松山城)がある臥牛山。中世では臥牛山全体が山城であり、大松山城がその中心でした。今回は備中松山城を見た後に、中世山城である大松山城に向かいました。その途中で、謎の石垣造りプールも見ることが出来ましたよ。

2020年9月登城

満足度:★★★

 

 先に登城した備中松山城はこちら

castlewalk.hatenablog.jp

 

交通アクセス

まず備中松山城を見学した後、本丸裏にある水の手門から向かうのが通常ルートだと思います。備中松山城(小松山城)→相畑城戸→天神の丸→大松山城というルートで、アップダウンはありますが徒歩25分。

他には車のある方限定ですが、市道楢井松山城線の突き当り(備中松山城展望台の先ですね)の自動車回転場から、徒歩25分ほど。大松山城だけを目指すなら、このルートが最短です。

 

城歩き

備中松山城天守

備中松山城

まずは備中松山城を見学をしましょう。その後、二の丸帯曲輪を通って、本丸の裏側に向かいます。

 

水の手門跡

水の手門跡

水の手門跡から大松山城を目指します。大松山城まで580メートル。

石段

いきなり下りが始まります。備中松山城から大松山城に向かう道では、この下りが一番キツかったです。

 

土橋と堀切

土橋

堀切

途中には堀切があり、「土橋」と呼ばれる木橋が架かっていました。堀切の橋が掛かる箇所が石垣で補強されているところを見ると、中世は土橋だったものが、江戸時代に架け替えられたんでしょうね。

 

番所

番所跡

橋を渡った左手には番所跡がありました。ここに番所を置いたのは近くに井戸があるからかもしれません。

 

車井戸

車井戸

コンクリートブロックに囲まれていますが、ここに貴重な井戸があります。松山城内には井戸がなく、車井戸が一番近い井戸でした。現在も防災用等に利用されています。

 

相畑城戸の石積

相畑城戸石積

7つの平坦面と腰曲輪状の小平坦面からなり、各曲輪の側面には石垣が築かれています。土崩れ防止の役目もあるかもしれません。

 

相畑城戸跡

相畑城戸跡

相畑城戸の頂上部の平坦地。奥に見えるのは土塁ですかね。

 

野ザルにご注意!

山中のあちこちで見かけるこの看板。この日は見かけませんでしたが、野生の猿軍団は危険です。

 

せいろうが壇

せいろうが壇

天神の丸の出丸の南側にある「せいろうが壇」。

 

天神の丸の分岐点

右に進むと、天神の丸にある天神社。左に進むと大松山城

 

天神社方面

いかにも険しそうだったので、天神社は華麗にスルー。臥牛山の最高峰(標高480メートル)に天神の丸はありましたが、備中兵乱では内通により一番最初に落ちました。

 

天神の丸の堀切

堀切

天神の丸の本丸と出丸の間の大堀切。堀切の底を歩いて大松山城を目指します。

 

切り倒されたアベマキ

切り倒されたアベマキ

林野庁の「森の巨人たち百選」にも選ばれていましたが、残念ながら安全のため切り倒されていました。

 

分岐路

分岐路

左に曲がると大松山城、右手には待ちに待った謎の大池があります。

 

大池

大池

大池

大池は25メートルプールほどの大きさの総石垣造りで、全国の城の中で最大の貯水池です。かつては屋根が架けられ、清掃用の船が浮かべられていました。

 

大池の石段

大池の石段

大池の石段

大池の東面と南面には、石段が付けられています。

 

大池の北面

北面下部に埋められた木樋を通して、谷へと排水していました。普通に考えると飲水のためですが、なぜここまで大掛かりな貯水池を造る必要があったのか謎ですね。

 

松山城縄張図

再び分岐路まで戻り、大松山城を目指します。中世臥牛山の中心は現在の備中松山城のある小松山ではなく、大松山でした。

 

松山城井戸

大松山城 井戸

本丸への途中には井戸がありました。井戸の向こうにある曲輪は二の丸です。

 

松山城 本丸

大松山城 本丸

大松山の山頂にあり、臥牛山で最初に城が築かれたところです。特に遺構は残っていませんが、松山城はここから始まったんだよな。

 

感想

道が整備されているので、ハイキング気分で楽しめました。中世山城の遺構もよく残っており、そして何より大池のミステリアスさがいいですね。長い間見てみたかったので、今回訪問できてスッキリしました。