前田利長の隠居城として築かれた高岡城。 完成後ほどなくして廃城となりましたが、広大な水掘が残されています。元キリスタン大名の高山右近が縄張りを行ったという伝承も残っていますが、さてその真実は?
2020年8月登城
満足度:★★★★★
歴史
加賀藩2代の前田利長は、1605年に隠居して富山城に移りました。しかし、1609年3月の大火により城と城下町が焼失したため、新たに高岡の地に城を築き、同年9月に魚津城から移りました。これが現在残る高岡城になります。
せっかく築いた高岡城ですが、1614年の利長は死去、1615年には一国一城令が発せられ廃城となりました。完成からたった6年余りですね。ただ、3代利常は水掘を埋め立てず、その後も加賀藩の米蔵等が置かれていました。いざというときの備えでしょうか。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
あいの風とやま鉄道高岡駅より徒歩15分。 もしくは、JR越中中川駅(氷見線)から徒歩4分。北陸新幹線の開業で「新高岡駅」が出来たため、かえって行き難くなったような気もします。
高岡城の縄張りについて
縄張図(案内板から)
高岡城は、方形の本丸を二の丸・鍛冶丸・明丸・三の丸・小竹薮曲輪が囲んでいます。一見すると本丸の北西側が弱点に見えますが、当時は沼地が広がっていました。
元キリシタン大名の高山右近が縄張りしたとの伝承がありますが、実際は前田家で行ったようです。焼失した富山城の縄張りに類似しており、水堀がとても広いのは火事を恐れたからかも知れません。鍛冶丸・明丸・三の丸もやたらと水掘で区切っています。
城への道
加賀藩が高岡に鋳物工場を開設したこともあり、高岡の銅器はとても有名です。また、マンガ好きには、藤子・F・不二雄先生の出身地としても知られています。
これらの名所に立ち寄りながら、高岡城に向かってみましょう。
ドラえもんポスト
高岡駅1階待合室にあるドラえもんポスト。高岡銅器で作られています。
ドラえもんの散歩道
高岡大仏
元は木製大仏でしたが、現在の大仏は26年の歳月をかけて1933年(昭和8年)に完成しました。これも銅製(青銅)で、銅器の街の面目躍如ですね。
城歩き
縄張図
高岡城は街中にあるにも関わらず、築城時の縄張りがほぼ残っています。城の三分の一を水掘が占めており、各曲輪には土塁が築かれていました。現在は本丸と二の丸に橋が架かっていますが(青円)、当時は鍛冶丸経由でしか入城できませんでした。
高山右近像
鍛冶丸に入る大手口にある高山右近像。
武将や茶人として活躍した大名の右近は、バテレン追放令後も棄教を拒み、前田家に客将として迎えられました。どうしてここに銅像があるのか考えましたが、高岡城の縄張りに関わったという伝承があるからでしょうね。
大手道
出丸である鍛冶丸への大手道。古図では喰違虎口が描かれていますが、現在は一直線。道の両脇には水掘がありますが、樹木が繁っていてよく見えません。残念。
鍛冶丸から二の丸への道
鍛冶丸から二の丸への道です。高岡城の二の丸は本丸に比べて狭く、実質的に出丸のような役割を果たしていました。道の脇には水堀がありますが、やはり木でよく見えません。
二の丸から本丸への道
二の丸から本丸への道です。さっきから同じような絵面が続きます。古図には枡形が描かれていますが、現在は射水神社がありますね。
土橋の石垣
高岡城は土塁で築かれていますが、なぜか二の丸から本丸への土橋の両脇は石垣で築かれています。
本丸
本丸広場への通路。左側の土塁に上ってみましたが、樹木が茂って眺めは良くないな。
本丸広場
本丸広場。かつては御殿がありましたが、今は見ての通り芝生が広がっています。
土塁上
本丸を囲む土塁上の遊歩道。高岡城は平城ですが、堀から高さがありますね。
前田利長像
広場の奥にある加賀前田家2代の前田利長像。
烏帽子のように長い兜は、鯰の尾を模したものなんだって。
朝陽橋
本丸から小竹薮曲輪方面の出丸に架かった橋です。古図では「貫土橋」と記載され、当時は車橋と呼ばれる引き橋でした。
水掘
中の島を通って城外に出て、外から本丸を眺めてみました。とにかく水掘が広いね。城というより古墳だな。
本丸と水掘
堀沿いの「池の端通り」を本丸を眺めながらテクテク歩きます。かつては本丸の北西側は沼地だったためか、平城の割には本丸土塁が高いね。
本丸土橋
先程通った二の丸から本丸に架かる土橋。遠くに先程通った土橋の側面石垣が見えます。
感想
広大な掘と土塁の城でした。築城時の水堀が残っているのは本当に貴重です。ただ、公園として保全されているのでしょうがないのですが、城内からだと樹木が邪魔をして、せっかくの水掘が見えなのが残念でした。