石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

丸岡城(福井県坂井市)  古風な天守が残る城

貴重な現存12天守のひとつが残る丸岡城天守以外の遺構が少ないのが残念ですが、その古式な佇まいの天守に思わず魅了されます。

「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」

日本100名城

2020年8月登城

満足度:★★★★

 

歴史

かつてこの地の中心は豊原寺という有力寺院でしたが、一向一揆の拠点となったため、1575年に織田信長によって焼き払われました。その後、柴田勝家の甥である勝豊は、一旦豊原寺跡に城を構えましたが、1576年に丸岡に新たに城を築き移りました。これが現在の丸岡城の始まりです。

その後、勝豊の家臣・安井家清、丹羽長秀の家臣・青山忠元、結城秀康の家臣・今村盛次の所領となりましたが、1612年に本多成重が入りました。成重の幼名は仙千代で、父重次が陣中から妻に宛てた手紙「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」のお仙にあたります。

本多家4代目・重益のときにお家騒動が起き、1695年に糸魚川から有馬清純が入封し、以後8代続き明治を迎えました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR福井駅から、京福バス・丸岡線(朝夕のみ)で43分。県立病院丸岡線か大和田丸岡線だと、どちらも1時間に1本あり、乗車時間約1時間。JR丸岡駅もありますが、城からは4キロも離れているので注意。 

 

現存最古天守

日本には現存する天守が12あり、丸岡城天守は柴田勝豊に建てられた現存最古と言われてきました。しかし、2019年に丸岡城調査研究委員会は、本多成重が整備した可能性が高いと結論づけました。レトロな見た目ですが、姫路城より若かった!

 

城歩き

縄張図

丸岡城 縄張図

今は街中にぽつんとある丸岡城ですが、かつては本丸と二の丸を五角形の水堀が囲み、更に三の丸がその周囲を囲んでいました。

本丸入口

丸岡城 本丸入口

入城料を払って天守に向かいます。やはり堀や石垣の遺構は残っていないですね。残念。

 

本丸と天守

丸岡城 天守

いきなり天守が登場。小振りな天守ですが、天守台が高いので意外と迫力があります。

 

天守

丸岡城 天守

天守台の野面積みの石垣が立派です。天守は2層3階で、板張りの古風な造りとなっています。

 

天守

丸岡城 天守

1948年(昭和23年)の福井地震では天守が倒壊し、1955年(昭和30年)に保管されていた部材にて再建されました。

 

石製の鯱

丸岡城 石製鯱

天守の鯱は木彫銅板貼りでしたが、1940~1942年(昭和15~17年)の修理の際に銅不足のため石製に交換されました。その鯱ですが、先の福井地震で落下してしまいました。こんなのが上から落ちてきたらたまらんな。

 

天守内階段

丸岡城 天守内階段

天守の階段は急なものですが、ここまで急な階段は見たことないです。階段にロープが備え付けてあるなんて、この城ぐらい。階段も狭いので譲り合いの精神が必要です(笑)

 

天守内部(2階)

丸岡城 天守内部

1階と2階の通し柱はなく、天守内部の広間はシンプルな造り。

 

石瓦

丸岡城 天守瓦

瓦には防寒対策として、越前特有の笏谷石が使用されています。雨に濡れると青みがかってきれいなそうですが、この日は猛暑日天守を通り抜ける風が気持ちいい。

 

一筆啓上の碑

丸岡城 一筆啓上の碑

城内にある「一筆啓上」の碑です。初代藩主の本多成重(幼名:仙千代)の父・重次が長篠の合戦時に妻に出した日本一短い手紙の文面です。鬼作左と呼ばれた重次の家族への優しさが読み取れます。

 

感想

ほぼ天守しか残っていませんが、その天守に風格があって良かったです。残念ながら現存最古天守ではありませんでしたが、階段ロープは要体験ですぞ。