石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

城好きが公共交通機関と気合で城を巡ります

大阪城(大阪府大阪市) 2020年5月 登城

大阪城と言ったら、なんと言っても太閤・秀吉の城ってイメージですよね。でも実は秀吉の大坂城は大坂の役で焼失し、現在の遺構は徳川秀忠によってスケールアップして造り直されたものなんです。我が国の築城技術が最も発達した時代に積まれた高石垣は圧巻です。

日本100名城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

大阪城のある上町台地は交通の要所であり、元は浄土真宗一向宗)の総本山である石山本願寺がありました。その守りの堅さは織田信長が攻めあぐねるほどでしたが、1580年に講和が成立し、信長に明け渡されました。しかし、その2年後の1582年の本能寺の変で信長は自刃し、結局は城を築くことが出来ませんでした。

信長の後継者となった豊臣秀吉は、1583年から大坂の地に城を築き始めました。翌年に天守は竣工しましたが、完成までに15年もかかる大規模な城郭となりました。秀吉の死後には、息子の秀頼が入城しましたが、1615年の夏の陣で豊臣家は滅亡し、大坂城も焼失しました。

戦後、大坂の役の戦功から、伊勢亀山から松平忠明が摂津大坂に10万石で入封しました。忠明は城よりも領地の復興を優先し、三の丸を市街地として開放しました。大坂城に三の丸が無いのはこのためなんですね。

1619年に幕府は大坂を直轄領とし、 2代目将軍の徳川秀忠により大坂城再築工事が起こされました。この再建工事には全国の大名が動員され、3代将軍家光の時代に完成ました。現在に残る大坂城このときに築かれました。

大坂城の最後の舞台は幕末でした。1868年の鳥羽伏見の戦い幕府軍薩長連合に敗れると、第15代将軍徳川慶喜大坂城に一時入るも江戸に脱出。残された者たちは混乱し、城内からの出火で大坂城の多くの建物は焼失しました。本当にもったいない。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

大阪の中心にあるだけあって、色々な駅から行くことが出来ますが、主なルートは以下の3通りになります。

・JRだと「大阪城公園駅」が近そうに見えますが、大阪ホールを迂回しなければならないのと、途中がちょっと城らしく(?)ないんです。とはいえ、ややこしい地下鉄を乗らずに済むのがメリットです。

・鉄板なのは、大阪メトロ谷町線・京阪「天満橋駅」または大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅」から、大手門経由で天守を目指すルートです。また、「天満橋駅」から京橋口経由で天守を目指すルートもお薦めです。

・JR・大阪メトロの「森ノ宮駅」から玉造口経由で天守を目指すルートもあります。でもちょっと地味で通好みかな。

 

城歩き

縄張図

大阪城 縄張図

大阪メトロ「天満橋駅」から大手門・桜門経由で天守を目指しました。一番正統(?)なルートになります。大阪城が初めての方は、まずこのコースで天守に向かってほしいです。

 

天満橋駅から大阪城

大阪城 天守と石垣

天満橋駅から大阪城へ向かう途中の眺めです。早くも天守が見えて、テンション上がるわ。

 

乾櫓

大阪城 乾櫓

最初に目に飛び込むのは、西の丸の石垣と西外堀。思わずそのスケールの大きさに圧倒されます。西北に位置する乾櫓は1620年に建てられたことが判明し、大手口の千貫櫓と並んで城内最古の建築物となります。

 

大手門方面

大阪城 大手門方面

堀の広さは約50メートル。石垣の高さは水面からでも20メートル近くはありそうで、堀底からだと一体何メートルあるんだろう?

 

大手口

大阪城 大手口

大阪城 大手口

この大手口を通って二の丸に向かいます。両脇に堀のある土橋なのですが、道の幅が広すぎて普通の道路に見えますね。

千貫櫓

大阪城 千貫櫓

大手門の左に建つ千貫櫓。先の乾櫓と同じく1620年に建てられており、城内最古の建物となります。

 

大手門

大阪城 大手門

1628年に徳川幕府よって建てられ、1848年に修復されました。高麗門様式で黒鉄の扉が重厚な雰囲気を醸し出しています。

 

控柱の根継

大阪城 控柱の根継

大手門の内側の控柱には、大正時代に根元を継いだ補修の跡が残ります。この継ぎ目がパズルのように組み合わさっており、なんとも不思議です。

 

大手見附石と二番石

大阪城 大手見附石

大阪城 大手二番石

枡形正面に位置する途方もない大きさの見附石。実際は見た目重視でテーブルのように薄いのですが、その広さはなんと29畳分。これでもまだ城内第4位。隣の二番石は第5位になります。

 

多門櫓

大阪城 多門櫓

門上の渡櫓と右に直角に折れて接続する続櫓で構成されています。1783年に落雷で焼失しましたが、1848年に再建されました。

 

南仕切門跡

大阪城 南仕切門

二の丸の西と南は石垣で仕切られていて、こちらは南仕切門跡になります。右側(西側)にはかつて太鼓櫓が建っており、交代時や緊急時を太鼓で知らせていました。

桜門方面

大阪城 桜門方面

空堀に沿って本丸を目指します。この空堀が深いの一言。

 

桜門

大阪城 桜門

本丸への正門にあたる桜門。正面に天守が顔を出していますね。1887年(明治20年)に陸軍によって再建されました。明治の再建なのに重要文化財に指定されている珍しい例です。

 

蛸石

大阪城 蛸石

枡形正面の蛸石。城内で一番大きな石で、その広さはなんと36畳分。花崗岩ということもあって、まるで巨大なコンクリート塀。名の由来は、左隅のシミが蛸のように見えるから。

 

銀明水井戸

大阪城 銀明水井戸

枡形内に井戸って珍しいなと思ったら、1931年(昭和6年)の第四師団司令部庁舎新築の際、本丸から井筒と周囲の石を移したとのことです。実は内緒だけど水道水。

 

日本陸軍第四師団司令部庁舎

旧日本陸軍第四師団司令部庁舎

ようやく辿り着いた本丸。城には不似合いな洋館が建っていますが、実はこの正体は「旧日本陸軍第四師団司令部庁舎」です。戦後は、大阪市警視庁,大阪府警本部,大阪市立博物館を経て、現在は「ミライザ大阪城」という商業施設になっています。

 

日本庭園

大阪城 日本庭園

かつては明治に和歌山城二の丸御殿から移築された「紀州御殿」があり、1931年(昭和6年)の天守復興に合わせて庭園が整備されました。その後1947年(昭和22年)に御殿は焼失しましたが、庭園は残りました。

 

天守(復興)

大阪城 天守

秀吉の初代天守は大坂の役で焼失。徳川家による2代目天守は1626年に建てられましたが、わずか39年後に落雷で焼失。現在の3代目天守は1931年(昭和6年)に「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守を参考に建てられました。ただ、秀吉の天守は下見板に黒漆を塗った黒色でしたが、再建された天守は最上階のみ黒色です。とはいえ、2019年には米寿(88年)を迎え、今ではすっかり大阪の顔となりました。

 

感想

大阪城の魅力は、誰がなんと言っても圧倒的な石垣!。やたら見栄を張りまくった(失礼!)巨石群も必見です。また、最近は地下に埋もれていた秀吉時代の石垣にも注目が集まっていて嬉しいかぎり。大坂観光の際はぜひ訪問してください。