石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

今帰仁城(沖縄県国頭郡今帰仁村)  世界遺産に登録された琉球北山王の城

琉球・北山王の居城だった今帰仁城(なきじんぐすく)。緑の大地に大きくうねる城壁が特徴です。沖縄北部の美ら海水族館の近くにあって、今回はバスを利用して登城しました。

日本100名城

2020年1月登城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

14世紀から15世紀初頭にかけての三山鼎立(さんざんていりつ)時代、今帰仁城琉球北部を治める北山王の居城でした。

1416年に琉球統一を目指す尚巴志率いる中山軍によって攻められ、王である攀安知(はんあんち)は今帰仁城に籠城しましたが、部下・本部平原の裏切りもあり落城しました。

北山滅亡後は琉球王府から監守が派遣され管理されてきましたが、1609年の薩摩藩琉球侵攻の際に炎上し、以後廃城となりました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★ 

日本100名城の中では、根室半島チャシ跡群に次いでアクセス難易度の高い城です。那覇空港から車でも約2時間かかります。公共交通機関の場合、美ら海水族館行きの高速バスを利用するのがマストです。

 

美ら海水族館行きの高速バスは各社運行していますが、その先の今帰仁城跡入口」まで運行しているのはやんばる急行バスのみです。「県庁北口」から「今帰仁城跡入口」まで約2時間15分。運行は1,2時間に1本なので発車時刻に注意。

美ら海水族館までは各社運行しており、「県庁北口」から「記念公園前」まで約2時間。沖縄バス 本部半島線で「記念公園前」から「今帰仁城跡入口」まで10分。約1時間に1本の本部半島線を上手に利用するのがポイントです。

・バス停の「今帰仁城跡入口」から本当の今帰仁城入口まで車道を20分上ります(帰りは下りで早いけど)。また、かつて登城路として使われていたハンタ道もあります。まさに山道といった趣で、登りで40分ぐらいかかります。今帰仁城の観光客でハンタ道を歩いた人は1%もいないと思いますが・・・

 

城への道のり

舗装された道ではなく、当時の登城道であったハンタ道を登ってみました。

 

バス停(今帰仁城跡入口)

バス停(今帰仁城跡入口)

バス停のある今泊は廃城後に出来た集落です。薩摩侵攻で今帰仁城は炎上し、城近くの今帰仁と親泊の両集落は海沿いの現在地へ移転しました。

 

今泊散策道入口

ハンタ道入口

バス停の斜向いにある今泊散策道から城へ向かいます。石畳がいい雰囲気だけど、普通の田舎道って雰囲気です。

 

親川(エーガー)への脇道

親川(エーガー)道標

ずんずん歩いていくと、親川(エーガー)への脇道が現れますので見逃さないように。

 

親川(エーガー)

親川(エーガー)

親川(エーガー)はハンタ道の始点にある湧水です。水田への灌漑用水や飲水などの生活用水に利用されてきました。

 

ハンタ道入口

ハンタ道入口

親川(エーガー)の奥にハンタ道の登り口があります。普通に山道なので、明治まで登城路として現役だったのが信じられません。

 

ハンタ道

ハンタ道

ハンタ道中間地点

ハンタ道

ハンタ道が沖縄方言で「崖沿いの道」を意味することが実感できます。特に中間地点を超えてからは岩盤剥き出しの箇所が多く、雨に濡れていたこともあり、かなり滑りました。ロープを掴んでなかったら間違いなくコケてたな。

 

ミームングスク

ミームングスク

ミームングスク

ようやく平坦な道になって一息ついて歩くと、ミームングスクの案内板が目に付きました。現在はかなり崩れていますが、当時は三段の石積みからなる見張り台でした。よじ登ってみたけど、現在は樹木で見晴らしはよくありませんでした。

ミームンって、ムーミンって読んじゃいますよね。

 

供のかねノロ殿内火の神の祠

火の神の祠

火の神の祠

更に進むと、「供のかねノロ殿内火の神の祠」との標識があり、脇道に入っていきます。「ノロ」とは琉球時代の女性神職の役職で、「供のかね」とは、今帰仁ノロのお供の神職のこと。つまり、ここはそのお供の方の屋敷跡で、火の神の祠のみが静かに残されていました。

 

今帰仁ノロ殿内火の神の祠

今帰仁ノロ殿内火の神の祠

更に「この道あってんの?」と不安になりながら進むと、もうひとつの火の神の祠に出会いました。今帰仁ムラ,親泊ムラ,志慶真ムラの祭祀を司ったノロの屋敷後の火の神の祠です。屋敷はなくとも祠は残る。

 

今帰仁城

今帰仁城

ようやく辿り着いた今帰仁城。手前の荒々しい岩盤と雨に燻る奥に霞む石垣が神秘的。いろいろ立ち寄りながらなので、ハンタ道入口から40分ぐらいかかりました。

 

城歩き

はい、ここからが城歩きスタートです。ハンタ道から登ってきたおかげ(?)で、外郭の石垣から堪能できました。

 

外郭石垣

今帰仁城外郭

今帰仁城外郭石垣

今帰仁城石垣

野面積みの原始的な石垣が蛇行しながら続いています。石垣はさほど高くないので、外部との境界だったのでしょう。石は硬い古生代石灰岩であり、アンモナイトの化石が展示されていました。

 

今帰仁城

今帰仁城

外郭内から大隅(ウーシミ)郭方面を眺めます。2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。

 

平郎門

平郎門

平郎門は今帰仁城の正門にあたり、1962年に再建されました。豪快な一枚岩の天井が印象的ですが、当時は岩の天井はなく、櫓が乗っていたようです。奥の階段と少しずれているのは、工事途中に見つかった根石に合わせて再建したからとのこと。

 

大隅(ウーシミ)

大隅(ウーシミ)

大隅(ウーシミ)

門をくぐって左にある郭が「大隅(ウーシミ)」。黒い岩盤が露出していて、草木の緑との対比が本当に美しい。馬の訓練場だったと推定されています。

カーザフ

カーザフ

門をくぐって少し進んだ右側は、“水のある谷間”を意味する「カーザフ」。草ぼうぼうですが、堀のような役割を果たしていました。

 

七五三の階段

七五三の階段

3段・5段・7段の繰り返しの石段です。1959年(昭和34年)に造られました。この石段を上ってもいいのですが・・・

 

旧道

旧道

石段の右方には当時の登城道(旧道)があります。北山王の居城の登城路がこの狭い石段だったのも凄いな。防御優先ってことでしょうか。

 

大庭(ウーミャー)

大庭(ウーミャー)

階段を登りきると、祭祀を行った広場「大庭(ウーミャー)」が広がっています。奥に見える碑は、北山王の側室だった志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑です。

 

御内原(ウーチバル)

御内原(ウーチバル)

大庭から北に向かうと、女官の生活の場所と伝えられる「御内原(ウーチバル)」。高台の郭なので見晴らしが抜群。

 

大隅(ウーシミ)方面

大隅(ウーシミ)方面

先程訪れた大隅(ウーシミ)を見下ろせます。こっちから攻めるのは大変だ。

 

志慶真川方面

志慶真川方面

城の東側には志慶真川が流れており、断崖絶壁となっています。ちなみに、城内には井戸が無いので、志慶真川まで水を汲みに降りたみたい。こりゃ、当時の人は大変だ。

 

主郭

主郭

御内原の先の主郭には城主の住居がありました。主郭は元々岩山の頂上部だったため、山頂は削って平らにし、斜面には土留めの石を積み、内側に版築することで平地部分を造りました。まさに汗と涙の城作りです。

 

志慶真門郭(しじまじょうかく)

志慶真門郭(しじまじょうかく)

志慶真門郭(しじまじょうかく)は主郭の南東にある郭で、裏門や側近の住居がありました。蛇行する石垣が万里の長城みたいですね。

 

志慶真門跡今帰仁城 志慶真門跡

志慶真門郭には城壁が崩れているところがあります。実は裏門の跡で、志慶真ムラに続いていました。

 

主郭東側の石垣崩落

志慶真門郭(しじまじょうかく)

2018年(平成30年)の台風で主郭東側の石垣が崩落しました。その影響で志慶真門郭は立ち入り制限されていました。以前は杭のある住居跡まで歩いて行けたのにな。残念。

 

感想

うねうね蛇行する壮大な石垣が素敵な城跡でした。また、ゴツゴツとした岩盤の黒と草木の緑の対照がキレイでした。美ら海水族館とセットでぜひ訪れてみてください。