悲運の忠臣、護佐丸の居城だった中城城。幕末に来城したペリー提督もその壮大な石垣を称賛しました。アーチ門が特徴的で、本土とは異なる石垣を堪能ください。
満足度:★★★★★
歴史
2019年の城壁修理の際に内側から新たな石垣が見つかったことから、13世紀後半から14世紀前半に築かれたと推定されています。
先中城按司 ( さちなかぐすくあじ ) が数代にわたり南の郭・西の郭・一の郭・二の郭を築き、1440年に移ってきた護佐丸が北の郭と三の郭を増築したとされています。
1448年に勝連城主の阿麻和利の急襲を受けて護佐丸は自害し、その後は王府の直轄地となりました。江戸時代には中城間切番所が置かれ、1853年にはペリー提督も訪れました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
最寄りにバス停が無く、どのように行ったらいいのか頭を悩ませました。ネットではバスを諦めてタクシーを利用する方をちらほら見かけました。沖縄観光の移動手段は車が基本なんでしょうね。
ネットでよく見かけたのは、海側の南東からのルートです。那覇バスターミナルから、東陽バス30番 泡瀬東線で「添石」「久場」停留所まで約60分。バス停から中城城入口まで、上りで30分少々。
「添石」と「久場」の間にある「泊」停留所が近そうだけど、グーグルマップでは途中で道が無くなっています(略図の赤破線のところ)。ただ、実際現地に行ったところ、かなり荒れてはいましたが、とりあえず道はありました。徒歩だと「泊」停留所からのルートが最短になります。
勝連城とはしごする場合は、北のルートが便利です。沖縄バス52番 与勝線「仲順」停留所から坂道を上って30分。「仲順」停留所までは、勝連城跡前から35分、那覇バスターミナルからだと1時間。
城歩き
なんと料金所から奥の正門前まで電動カートで送ってくれます。混雑防止のためとは思うけど、これはうれしい。
南の郭とカンジャーガマ(鍛冶屋跡)
中城城が琉球石灰岩の丘陵に築かれたのがよく分かりますね。カンジャーガマ(鍛冶屋跡)も防空壕みたい。
正門
正門はこの城唯一の櫓門でした。門の両脇の石垣はせり出し、枡形になっています。また、石垣には狭間もありました。
一の郭の石垣と石段
門を過ぎると西の郭に出ます。長さ120m、幅30mの細長い郭です(アスファルトの道路が通っていて、ただの平地かと思った)。とにかく一の郭の高石垣が素晴らしい。石段を上って、南の郭経由で一の郭を目指します。
南の郭(御當蔵火神と雨乞いの御嶽)
ツワブキの花が咲き誇る南の郭。城の中で最も神聖な場所とされています。石垣も積み方も野面積みで自然と調和しており、この郭が一番最初に築かれたと考えられています。
一の郭へのアーチ門
沖縄の城といえばアーチ門。弓型の2枚の石板で屋根を作っています。門の前には石段を作って、攻め難くしています。護佐丸の座喜味城のアーチ門が最古と言われていますが、これも護佐丸の建築でしょうか?
一の郭
中城城で最も広く、政務が執り行われていました。城を守護する神を祀った、チゲー御嶽もありました。ただ、訪問時には石垣の修復作業が行われていて、立入禁止の箇所が多くて少し残念。
ニの郭への門
二の郭への門はアーチ門。両脇の石垣のツンと突き出た隅頭石は首里城にも見られる遺構で、両城の関連を感じさせます。
二の郭
城主の家族や女中が住んでいたと思われる二の郭。とにかく眺めが素晴らしい。守り神の御嶽もちゃんとあります。
城壁からの眺め
石灰岩の丘に築かれただけあって、東も西も断崖絶壁。高所恐怖症の方は要注意。こちらから攻めるのはまず無理。
北の郭
二の郭から三の郭には直接行けず、一旦西の郭に降りて、北の郭から上る必要があります。北の郭は井戸を守るための郭になります。そういえば、一の郭や二の郭には井戸はありませんでした。また、城外に出る裏門が築かれており、この城にとっての要の場所になります。
三の郭への石段
三の郭へは険しい石段を上る必要があり、右側には二の郭の物見台がそびえ立っています。
三の郭
高い城壁に囲まれた三の郭に入ると感じる違和感。この郭には入口はあるけど、出口が無く、二の郭への門もありません。ここを守る兵には逃げ場が無く、死ぬ気で戦わなければなりません。敵側も攻めたら行き止まりでビックリだわな。
裏門
北の郭から城外への出口です。護佐丸が築いたと伝わっています。石垣は多角形の石を組み合わせた相方積みで、本当に美しい。
感想
沖縄の城として間違いなくトップレベルでした。波打つ石垣にアーチ門、巧みな縄張に様々な技法で積まれた石垣。眼下の景色も本当に素晴らしいです。バス停から歩いてきた疲れも吹き飛びました(笑)