黒田家52万石の本拠地にふさわしい広大な福岡城。その割には少しマイナーな気がするのが残念です。天守は建てられなかったというのが長年の定説でしたが、築いたけど取り壊したという説も最近出てきました。面白いですね。
2018年5月登城
満足度:★★★★★
歴史
関ケ原の合戦で戦功を上げた黒田長政は、徳川家康から筑前一国を賜りました。一旦は小早川家の名島城に入りましたが、手狭で博多からも離れているため、1601年から7年の歳月をかけて福崎の地に城を築きました。以後、黒田家52万石の居城として、明治を迎えました。
なお、福岡という地名は、黒田家出身地の備前国福岡にちなんで、福崎を福岡に改称したことによります。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
福岡市地下鉄赤坂駅から徒歩10分弱。繁華街の天神からも近く、アクセス抜群です。
城歩き
案内図
本丸・二ノ丸には堅固な石垣が築かれ、三の丸は土塁と幅広の水堀で囲まれていました。南東の水堀は埋め立てられていますが、城内には平和台球場跡や陸上競技場がすっぽり入るほど広大な敷地です。
東御門跡
二の丸に入る東御門跡。虎口になっており堅固な構え。権威付けの鏡石がはめ込められていますね。
祈念櫓
本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建てられた櫓です。1918年(大正7年)に大正寺に移築され、1983年(昭和58年)に同寺から戻ってきたとのこと。元は下見板張り・上白漆喰でしたが、寺への移築時に改変されたようです。
表御門跡
二ノ丸から本丸に入る門跡です。やはり石垣が立派だよな。当時の門は黒田家の菩提寺である崇福寺に移築されているそうなので、見とけばよかったな。
本丸
本丸も広いね。宴会(?)をしているグループもいて、ほのぼのとした雰囲気。
鉄御門跡
天守台に入るには、鉄御門跡を通ります。当時は二重の鉄扉と上部櫓で厳重に守られおり、その櫓は「切腹櫓」と呼ばれていました。物騒な切腹櫓の名の由来は、いざというとき城主が自害するための櫓だったから。残念ながら、1915年(大正4年)に鉄御門は老朽化で崩落しました。
天守台
埋門上の橋を渡って天守台に入ります。礎石も残っており、立派過ぎる天守台ですね。本当に見晴らしが抜群です。
この福岡城には天守の存在を示す文書や絵図はなく、天守台のみが築かれたというのが通説でした。ところが、最近になって細川家史料に天守に関する記述が見つかったことから、短期間のみ天守が在ったのではという説も出てきています。個人的には、ロマンはあるけど無かったと思います。
多聞櫓
天守台を下りて向かったのは、南二の丸にある多聞櫓。江戸時代から残る数少ない建物です。ここまで来ると人はまばら。少しもったいない。
下之橋御門(再建)と伝潮見櫓
三の丸には、上之橋・下之橋・追廻橋が架かっていましたが、下之橋を渡って入る門が下之橋御門(大手門)です。門のみ残っていましたが、2000年(平成12年)に不審火で焼けてしまったとのこと。もったいなさすぎる・・・
博多湾の入り江だった大濠公園。福岡城の外堀として利用されてきました。渡ってみたところ10分くらいかかったよ。
感想
広大な城跡です。あまりに広すぎるので、城らしさよりも公園らしさが強かった気がします。交通の便が良く、豪快な石垣や天守台も残っているので、博多観光の際にはぜひ寄ってみてください(無料だし)。