毛利輝元が本拠地の郡山城(山城)を廃し、新たに築いた平城が広島城です。その縄張りは豊臣秀吉が築城した聚楽第と瓜二つであり、秀吉と輝元の繋がりを感じさせます。現存していれば最古級の天守がありましたが、1945年の原爆投下で壊滅しました。非常に残念。
2016年8月登城
満足度:★★★★★
歴史
1599年に毛利輝元により太田川河口のデルタ地帯に築かれましたが、翌1600年の関ケ原の合戦後に西軍の総大将だった輝元は周防・長門へ転封になりました。替わりに福島正則が入封しましたが、城の無断修理が原因で改易。紀州から浅野長晟が入封し、以後浅野家が明治を迎えました。
交通アクセス
行きやすさ:★★★★★
JR広島駅から徒歩25分。広島電鉄(路面電車)の紙屋町東駅からなら徒歩15分。私はJR新白鳥駅から歩いてみました(約20分)。
城歩き
堀沿いからの天守
JR新白鳥駅から内堀に沿って二の丸の入口に向かいました。天守が本丸の北西隅に建っているので、堀・石垣・天守の構図が最高。
表御門・平櫓・多門櫓
広島城の縄張りでは二の丸が角馬出として設けられています。御門橋を通って表御門をくぐります。1994年(平成6年)に表御門・平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が木造で復元されました。中に入ることも出来て嬉しい。
中御門跡
本丸入口は虎口になっていますが、通常は外側に構えられる二の門が無く、右折れしたところに一の門のみが構えられていました。少し珍しいタイプ。
本丸北東部の石垣
福島正則が築いた本丸の北東部分の石垣は、一部が崩れかけています。これは無断修復を幕府に咎められた際、わざわざ壊した箇所と推定されています。ただ、言い訳は通らず、結局改易されてしまいました。
天守は5重5階で、3重3階の東小天守と南小天守に渡櫓で連結されていました(現在は小天守はありません)。関ケ原の合戦前に建てられており、残っていれば最古級の天守でした。黒板張りの外観が精悍で、戦国時代の雰囲気があり格好いい。
感想
毛利輝元が転封されたり、福島正則が改易されたりと下げマンの城ですが、なんといっても黒い天守が格好いい。二の丸の表御門・平櫓・多門櫓・太鼓櫓が再建され、内部を見学出来るのも楽しいです。平城で街中にありますので、ぜひ訪問してみてください。