石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

大洲城(愛媛県大洲市) 木造で復元された四層天守

肱川に突き出るように築かれた大洲城。2004年には4層4階の天守木造で復元されました。消防法対応等の大変な苦労があったと思いますが、市民参加型の取組として評価されています。

2016年8月登城

日本100名城

満足度:★★★★ 

 

歴史

豊臣秀吉の四国平定で伊予に封ぜられた小早川隆景湯築城を居城とし、大津(大洲)城を支城としました。隆景の九州転封後、戸田勝隆が宇和・喜多郡に封じられ、大津(大洲)城を居城としました。

現在の姿に整備されたのは、その後に入城した藤堂高虎脇坂安治によるものです。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★

JR伊予大洲駅から徒歩25分。市内循環バス(ぐるりんおおず)も一時間に1本出ています。 

 

 城歩き

大洲駅から歩いて大洲城を目指しました。

 

橋上から

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肱川に架かる橋上からの大洲城肱川が天然の堀って訳ですな。天守が川際に建っている感じが岡山城に似ています。

 

水門

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郵便局と公民館の間の水門を通って肱川に出ます。鵜飼いで有名な肱川は洪水が多いことでも知られています。

 

苧綿櫓(おわたやぐら)

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現存する4棟の櫓のうちのひとつで、苧綿(布や糸などの原料にもなる繊維)の貯蔵庫でした。1959年(昭和34年)に解体修理が行われ、その際に洪水被害防止のため、石垣が約2.6mかさ上げされています。

 

古地図

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現在、内堀と外堀は 埋め立てられていますが、肱川を背にした縄張りです。暴れ川の肱川方面から攻めるのは困難極まりない。

 

石垣と天守

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登城の道は舗装されており、石垣越しに天守を眺めながら歩きます。歩きやすいけど、少々味気ない・・・

 

天守と高欄櫓

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天守は4層4階で千鳥破風の装飾の多め。高欄櫓は現存の櫓で、2階に廻縁(まわりえん)が設けられているのは珍しい。

 

天守内部

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大洲城天守は木造で忠実に復元されています。建築基準法の問題を始めとし、木造復元には大変な困難が伴いますが、関係者の熱意には頭が下がります。木の匂いが良いね。

 

感想

やはりこの木造復元天守が一番の魅力でしょう。 内堀が埋め立てられているのは残念ですが、この天守で十分お釣りが来ます。他にもNHKドラマ「おはなはん」のロケ地にもなった町並みや趣のある臥龍山荘と見どころたっぷり。おいでませ、伊予大洲

 

豪雨被害について

2018年7月に大洲市は豪雨災害に遭いました。心ばかりの寄付をさせていただいたのですが、律儀に礼状と大洲城臥龍山荘の入場券をいただきました。また、再訪問させていただきたいと思います。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市) 朝倉氏の栄華を偲ぶ一乗谷

戦国大名の朝倉氏の本拠地だった一乗谷織田信長に焼き払われた後、長年水田の下に埋もれていました。近年発掘調査が行われ、かつて北陸の小京都と呼ばれた栄華を偲ばせてくれます。

日本100名城

2016年7月登城

満足度:★★★★ 

 

 歴史

朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定しました。以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。

引用:特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡 特設サイト

水田に埋まり忘れ去られていたことで、良好な状態で発掘されました。何が幸いするかわからないね。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR一乗谷駅から入口の下城戸後まで徒歩10分。福井駅から一乗谷駅までは15分程ですが、電車の本数が2時間に約1本。福井駅からバスも出ていますので、電車よりは割高にはなりますが、上手に利用しましょう。 

 

城歩き

一乗谷

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福井駅から九頭竜線で5駅目。気持ちいいくらい無人駅。右奥にあるのは西山光照寺跡です。

 

一乗谷朝倉氏遺跡資料館

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駅前の道を真っすぐ進み、突き当りを左に曲がって歩くと(一乗谷とは反対方向)、一乗谷朝倉氏遺跡資料館があります。復原町並とのお得な共通券があり、自転車も無料で借りられます。

 

一乗谷入口

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ここから約2キロに渡る谷間一帯が一乗谷朝倉遺跡になります。

 

下城戸跡

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一乗谷の北端の下城戸跡。堀と土塁で谷への入口を守っていた訳ですな。

 

平面復原地区

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下城戸跡から10分ほど歩くと平面復原地区です。町人屋敷跡、寺院跡、武家屋敷跡と計画的に区画されていたことが分かります。谷間とはいえ広いな。

 

朝倉館跡・唐門

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朝倉義景の館跡です。館は三方を堀と土塁で囲まれていて、背後の山には山城がありました。一乗谷の中心部ですな。

 

上から見た館跡

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背後の山に登って眺めてみると、改めて広い屋敷だな。

 

湯殿跡庭園

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館跡背後を登った高台にある湯殿跡庭園。戦国時代らしい荒々しい石組みです。一乗谷で一番古い庭園で、当時は池に水が満たされていたとのこと。

諏訪館跡庭園

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湯殿跡庭園から奥にある諏訪館跡庭園。池とその周囲を巡る園路を中心に作庭された池泉回遊式庭園です。一乗谷の中でも最も規模が大きく、朝倉義景が妻「小少将」のためにつくったと伝えられています。

 

復原町並 武家屋敷群

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武家屋敷や町家が当時の姿そのままに復元されています。以前来たときにはありませんでした、たぶん。

 

上城戸跡

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一乗谷の南端に位置する土塁。上城戸と下城戸の間が城内になる訳ですな。

 

 上城戸跡から

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上城戸跡付近から今まで歩いて来たところを振り返り。中央の一乗谷川を挟んで、左奥側が復原町並、右奥側が朝倉館跡。

 

感想

一乗谷自体は上城戸や下城戸はあるものの、自然豊かな城下町跡といった趣です。朝倉氏滅亡後に忘れ去られたのが幸いして、街全体を発掘出来たなんてロマンじゃないですか。そして何より山の濃い緑が気持ちいい。

朝倉館裏には詰めの山城がありますが、疲れそうで未登城です。ダイエットに成功し、身体が軽くなった際にはチャレンジします(無理かな?)。

 

丸亀城(香川県丸亀市) 日本有数の高石垣と現存天守

現存12天守の一つが残る丸亀城。こぢんまりとした天守はもちろん、一二三段に築かれた日本有数の高石垣は見応え十分。丸亀名物は団扇やうどんだけではない!

日本100名城

2016年2月登城

満足度:★★★★

 

歴史

高松城を築いた生駒親正は1597年に西讃岐の押さえとして丸亀城を築きましたが、一国一城令で廃城になりました。

1641年に肥後天草から山崎家治が西讃岐に入封し、丸亀城は復活しました。その際に扇の勾配で有名な高石垣が築かれました。しかし、2代目俊家が35歳、3代目治頼が8歳で死去し、1657年に山崎家は断絶し改易となりました。

山崎家の断絶後、1658年に京極高和が丸亀藩主となり、以後京極家で明治維新を迎えました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★

JR丸亀駅から南に歩いて約10分。市内からも目立ちますので、迷うことは無いかと思います。

 

城歩き 

大手門と天守

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正面は大手二の門(高麗門)、 右の櫓門は大手一の門。江戸時代の現存建築物で重要文化財に指定されています。

 

城内案内図

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城内はぐるっと堀に囲まれており、丘陵に本丸・二の丸・三の丸を段々に築いています。だから、下から見ると石垣が立ち並んでいるように見えるわけですね。

 

三の丸の高石垣

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大手門から急な見返り坂を上っていくと、三の丸の高石垣がお出迎え。高さもさることながら、丁寧な石積みと扇の勾配がとても美しい。

 

二の丸入口

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二の丸入口は桝形になっています。

 

二の丸井戸

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深さが三六間(約65m)あると伝えられる井戸。石大工の羽坂重三郎が口封じのためこの井戸で殺されたとの怖い話もあります。

 

天守

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本丸の隅っこにぽつんと建つ天守現存天守の中では一番小さなサイズです。実は長方形であり、長辺側を城下に向けて少しでも大きく見せようと涙ぐましい努力をしています。

 

讃岐富士

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本丸は天守以外に見どころはありませんが(おいっ!)、 見晴らしはとにかく最高。飯野山(讃岐富士)もこのとおり。当時は城下への船の出入りも監視していたのでしょうね。

 

搦手口

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生駒氏時代の大手はこちら側(南)だったので、搦手口も立派な石垣です。石垣マニアにはこちらも見て欲しい。

ただ、2018年の大雨の影響で、帯曲輪と三の丸の南西部の石垣が崩落し、2023年(令和5年)までの復旧を目指しています。

 

感想

この城の石垣は凄いの一言。どうしてこの城にこれほどの石垣を築いたのかが不思議に思えるくらいです。丸亀市のHPも気合が入っていますので、ぜひ見てください。

 

 

 

松江城(島根県松江市) 国宝に指定された現存天守

現存では姫路城に次ぐ大きさの天守が残っている松江城。2015年には念願の国宝に指定されました。街中には堀が残るし、武家屋敷もあるし、しっとりとした趣の城下町歩きもお薦めです。

日本100名城

2016年1月登城

満足度:★★★★★

 

歴史 

関ケ原の合戦の戦功により、堀尾吉晴,忠氏親子は出雲・隠岐を拝領し、一旦は月山富田城に入りました。しかし、月山富田城は領地の東に偏った山中に位置していたことから、新たに築城したのが松江です。堀尾家断絶後、京極忠高が小浜から入封したもののわずか4年で病没。松本から松平直政が移封し、以後明治維新まで松平家十代の居城になりました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR松江駅から徒歩30分。駅からバスがバンバン出ているので、まず困ることはないでしょう。

 

空港利用者にお薦めしたいのは「縁結びパーフェクトチケット」。バスと一畑電車が3,000円で3日間乗り放題で、松江城を始めとした入場料割引が受けられます。出雲空港から松江駅まで往復2,060円なので、すぐ元が取れますよ。
www.san-in-tabi.net

 

城歩き

松江城二の丸の石垣

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バスを降りてすぐに見えるこの絶景。堀と高石垣のコントラストが素晴らしい。内堀に高石垣と櫓が逆さに映っています。

 

縄張り図

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水堀と石垣に囲まれた堅固な縄張り。北西部がやや手薄に見えるのは、経済的な事情で工事が中断されたからだって。いつの時代も金がないのは辛いわ。

 

大手門跡と太鼓櫓

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松江市が大手門の復元資料を探していて、なんと500万円の懸賞金までかけています。見つかってほしいね。

 

外曲輪(二之丸下の段)

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芝生と松のだだっ広い外曲輪。 江戸時代は蔵や長屋が立ち並んでいたこと。

 

太鼓櫓と三之門

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太鼓櫓を横目に石段を上ります。打込み接ぎの石垣が美しい。太鼓櫓は2001年に再建されました。

 

本丸石垣と天守

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石段を上ったところから、チラ見の天守

 

一ノ門

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この一ノ門の先が本丸です。入ってすぐに料金所がありますが、本丸に入るだけなら無料です。小泉八雲旧居や武家屋敷との共通券も売っていますのでぜひどうぞ。

 

天守

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4層5階地下1階の付櫓を設けた複合式天守天守。 望楼型で黒板張りなので古風な印象ですが、実戦向けのところがいい。2015年に国宝に指定されました。

 

井戸

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地階には籠城に備えた井戸がありました。天守に井戸があるのは珍しい。

 

石落し

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もちろん石落しだってあります。

 

最上階

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天守内の展示はシンプルで、最上階の開放感が堪らない。宍道湖も見渡すことが出来ます。

 

 

北之門

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帰りは北之門から下城しました。

 

水手門跡

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腰曲輪から中曲輪へ水手門跡を下りてきました。この石垣も見事だな。こちらの方には観光客はあまり来ないのですが必見です。

 

感想

国宝指定された天守が素晴らしいのは当然ながら、本丸や二之丸の高石垣も見事です。というか、国宝に指定するのが遅いよ。また近くには武家屋敷や小泉八雲旧居もあり、松江は城下町の面影を色濃く残しています。出雲大社もいいけれど、ぜひ松江城の素晴らしさも知ってください。

 

備中松山城(岡山県高梁市) キツイ登城と石垣を楽しむ

臥牛山の峰のひとつ「小松山」を中心に築かれた備中松山城天守は現存12天守のひとつで、天守の現存する城としては唯一の山城です。今回は駅から歩きましたが、自力で登るのはとてもキツイ。覚悟して臨めよ!

日本100名城

2015年12月登城

満足度:★★★★★ 

 

歴史 

承久の乱後、相模国から着任した秋庭三郎重信が1240年に臥牛山に城を築いたのが松山城の始まりと伝えられています。その後、城主は度々替わりましたが、城の中心は大松山でした。

戦国時代には毛利氏・尼子氏・宇喜多氏の間で激しい攻防が繰り返されました。1572年に毛利氏と宇喜多氏が和睦すると、松山城主・三村元親は織田信長と結び、毛利氏に反旗を翻しました。父・家親が宇喜多直家により暗殺されており、宇喜多家が許せなかったのでしょうね。

1574年に毛利・宇喜多連合軍が備中に侵攻し、次々に諸城が落とされました。元親は松山城に籠城したものの、翌年には内通により天神の丸が陥落。ほどなく松山城は落城し、元親は松連寺で自刃しました。この一連の戦いを備中兵乱と呼び、三村氏は滅亡しました。

三村氏滅亡後の松山城は毛利氏の番城となります。宇喜多直家織田信長と結び毛利氏と争うと、松山城は毛利氏の前線基地となりました。このとき小松山(現在の備中松山城)の前身が出来上がりました。

関ヶ原合戦後には備中代官が置かれ、小堀正次・遠州父子が赴任し、松山城の修築を進めました。その後、1642年に水谷勝隆が備中松山藩の初代藩主となり、1681年から子の勝宗が大改修し、現在の備中松山城が完成しました。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

駅から少し離れていること、山城ということから、自家用車かタクシー利用じゃないとかなり厳しいです。市のHPが詳しいので参考にしてください。

備中松山城へのアクセス - 高梁市公式ホームページ

 

・自家用車の場合は、「城見橋公園駐車場(5合目)」に車を停めて、そこから「ふいご峠駐車場(8合目)」まで登城整理バス(シャトルバス)を利用。6~10月・12~3月の平日は登城整理バスが運行されていないので、「ふいご峠駐車場(8合目)」まで車で行くことが可能。

・タクシーの場合は、JR高梁駅から「ふいご峠駐車場(8合目)」まで行くことが出来ます。また、お得な観光乗合タクシーが1日4往復運行されていますので、少人数の場合はぜひ利用ください。ただし、前日までの予約が必要になります。(当日予約は出来ませんでした)

・路線バスもありますが、「松山城登山口」までなのと、土日祝は運行本数がかなり減るので利用しにくいです。

・今回私はJR高梁駅から徒歩で向かいました。(少し後悔している) 

 

城への道のり

高梁栄町商店街

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備中松山城には学生の頃に一度来たことがあります。その時はタクシーを利用しましたが、町並みも見たかったので、JR高梁駅から歩きました。高梁栄町商店街のアーケードは立派でしたが、人が少ない・・・。私の地元もそうですが、地方都市は厳しいな。

 

紺屋川筋

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かつて備中松山城の外堀の役割を果たしていた紺屋川。「日本の道100選」にも選ばれています。それより空が曇ってきたぞ。

 

頼久寺

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高梁市内には石垣のしっかりしたゴツい寺が多い。ここ頼久寺の庭園は、備中国奉行を務めた小堀遠州の作庭です。

 

城歩き

備中松山城入口

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駅から歩くこと約30分、備中松山城入口にようやく着きました。場所は小高下谷川沿い、高梁高校と中洲公園の間です。迷わず遊歩道へと進みます。

 

遊歩道(登山道?)

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やっちまった!意外と整備されていますが、結構急な遊歩道が続きます。途中には階段もあり、息を切らせながら黙々と歩きます。

 

大石良雄腰掛岩

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大石良雄って誰?」って思う人もいると思いますが、忠臣蔵大石内蔵助の本名です。備中松山城藩主であった水谷家断絶に伴い、浅野内匠頭が収城を行い、家老の大石内蔵助が水谷家家老の鶴見内蔵助と会見したとのことです。本当にこの岩に腰掛けたかは分かりませんが、この遊歩道は当時登城道だったんですね。

 

城歩き

 備中松山城全体図

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遊歩道入口から40分ほどで鞴峠(8合目)に到着。看板に「小松山城跡」と記載されいるのが目的の備中松山城です。タクシーだったらここまで寝てても着いてるんだよな。ちくしょう、もうひと踏ん張りや。

 

中太鼓櫓跡 

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鞴峠から10分ほどで初めて石垣が見えてきましたよ。 中太鼓櫓跡ですね。

 

中太鼓の丸の説明

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下に見える「下太鼓の丸」とこれから向かう大手門の間にある曲輪とのこと。それにしてもよくここまで登ってきたな。

「見ろ! 人がゴミのようだ!」 by ムスカ

  

大手門跡

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ようやく大手門跡まで着きました。この石垣には気持ちが昂ぶります。普通に登ってくるだけでもこんなに疲れるのに、ここまで石を運んできた苦労を考えると頭が下がります。

 

大手門虎口

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二の平櫓跡付近から見る大手門虎口方面の石垣が素晴らしい。奥の方は自然の岩盤を上手に利用しています。

 

三の丸方面

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三の丸に沿って土塀が建てられています。

 

本丸入口

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土塀・五の平櫓・六の平櫓が木造で復元されています。

 

天守

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登山口から休憩や写真を撮りながら1時間半かかりました。天守は2重2階で唐破風出窓がアクセントになっています。備中松山藩は小藩ですし、山城に高層天守は必要無いですからね。

2重櫓と天守

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後曲輪からの二重櫓と天守の姿。 二重櫓も天守と同じく重要文化財です。

 

天神の丸跡と大松山城跡への看板

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今まで見てきた備中松山城跡は小松山にありますが、中世は大松山城が中心でした。時間が無くなってきたのでパスしましたが、大池という石垣プールは見ておけばよかった。

 

感想 

登城途中は泣きたくなりましたが、山頂の石垣は見応えがあり満足しました。また、高梁市は城の整備に力を入れていて、要所に案内看板が設置しており参考になりました。JR利用の方はぜひ乗り合いタクシーを利用しましょう。私は絶対利用します!

 

おまけ

松連寺

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備中松山藩主の水谷勝隆により、備中松山城の砦の役割を兼ねて創建されました。拝観は出来ませんが、要塞のような石垣がすごすぎる。