石垣好きの城歩き

石垣好きの城歩き

石垣マニア(自称)が電車とバスと気合でお城を歩き回ります

安土城(滋賀県近江八幡市) 信長が栄華を誇った城

言わずと知れた、織田信長の居城であった安土城天守や石垣を特徴とする近世城郭はこの城から始まりました。現在建物は何も残っていませんが、石垣とロマンがあります。戦国ファンは必見ですぞ。

2015年10月登城

日本100名城

満足度:★★★★ 

 

歴史

織田信長の天下統一の拠点として、1576年に築かれました。5重7階の天主,総石垣,金瓦と以後の日本の城に大きな影響を及ぼしましたが、本能寺の変後に放火され灰燼に帰しました。築城からわずか6年の栄華。チーン。

  

交通アクセス

行きやすさ:★★★

JR安土駅から徒歩30分。駅前にはレンタサイクルもあります。 正直ローカルな駅ですが、琵琶湖線なので本数はそこそこあります。

 

城歩き

安土城 百々橋口

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観音寺城からレンタサイクルで百々橋口に向かいましたが、今はここからは入城できないようで残念。信長時代にはここからが謁見のための正式ルートでした。

  

大手道

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現在の入口はこの大手道。平成元年から開始された調査にて発掘されました。大手口から直線的に180m進み、両側には屋敷地が並んでいます。実は当時の記録には残されていないため、天皇行幸用とか、資材運搬道用とか諸説あります。

 

前田利家邸跡

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大手道を登り始めてすぐ右側にある伝前田利家邸跡の虎口。数段の郭に分かれた複雑な構成とのことですが、木が生い茂っていてよく分からん。残念。

 

羽柴秀吉邸跡

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大手道の左側にある伝羽柴秀吉邸跡。屋敷跡とは思えない見事な石垣。でも、“伝”って付くってことは、本当に羽柴秀吉豊臣秀吉)の屋敷かは分からないんだろな。更に先には伝徳川家康邸跡(摠見寺)が在りますが、絶対徳川家康の屋敷跡ではないと思います。(家康は信長の部下じゃないし)

 

織田信忠邸跡と石段

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大手道の直線を120mほど登ると突如左に曲がり、九十九折れの道となります。更に伝織田信忠邸跡あたりで百々橋口からの道と合流し、天主への石段が続きます。

 

黒金門跡

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安土城の中枢部への入口となる黒金門跡。桝形になっており、今まで以上に立派な石が使われています。

 

伝二の丸の石垣

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黒金門跡を通ってすぐの伝二の丸の高石垣。実は安土城の石垣の多くは昭和・平成の発掘調査の際に整備されたものが多いのですが、この石垣は当時のものです。安土城の石垣の一番の見所だと思います。

 

天主各跡への道

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とうとう最終の天主閣跡が近づいてきました。安土城は、“天守”ではなく“天主”と表記するのが正しいそうです。

 

天主地下室部分の礎石

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この礎石が天主を支えていました。この上に建てられた5重7階の天主はさぞや荘厳だったでしょうね。2019年、滋賀県が天主の復元を検討とのニュースがありましたが、詳しい史料が見つかっていないので難しいでしょう。
 

感想

信長好きには堪らない城です。大手道から天主台に向かうまでワクワクが止まりませんでした。当時は琵琶湖の内湖に三方が囲まれており、羽柴秀吉長浜城明智光秀坂本城,織田信澄の大溝城と琵琶湖ネットワークを作っていたというのもロマンです。

 

入城料について

2019年時点で拝観料(入城料)が700円と、私の知る限り姫路城の1,000円に次いで高いです。また、立入禁止箇所が増えました。安土山は摠見寺の私有地なのでしょうがないのですが、個人的になんだかな。

 

観音寺城(滋賀県近江八幡市) 信長と争った佐々木六角氏の居城

近江守護佐々木六角氏の居城だった観音寺城。信長の安土城の近くにあり、石垣造りを取り入れた城としても知られています。ただ、この城を自力で登るのはとても大変です。気合を入れて挑むべし!

日本100名城

2015年10月登城

満足度:★★ 

 

歴史

近江守護佐々木六角氏が繖(きぬがさ)山に築いた山城です。正確な時期は不明ですが、1471年にはほぼ完成されていたと推測されています。観音寺城の名称は、城の中心にある観音寺(現在の観音正寺)に由来します。

1568年の織田信長の上洛の際には六角承禎・義治父子が立ちふさがりましたが、支城の箕作城が1日で攻め落とされると観音寺城を放棄して甲賀に逃亡。その後まもなく廃城となりました。

 

観音寺城について

観音寺城は戦いだけの城ではなく、六角氏の生活の場所でもありました。連歌師・谷宗牧を招いたり、優雅に暮らしていたようです。

戦国の城には珍しく、空堀や竪堀はなく、石垣を多用しているのが特徴です。棚田のように曲輪が沢山あるのは、主従の結束が強くなく、家臣団が各々屋敷を構えたためと考えられています。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★★

※2022年7月加筆しました

車で観音寺城を目指す場合、必然的に観音正寺を目指すことになります。表参道(林道繖山線)と裏参道(林道観音寺線)がありますが、楽なのは断然裏参道の方です。両林道とも通行料がかかり、観音正寺でも拝観料を払うのがなんだかな、て感じです。

・車で裏参道(林道観音寺線)を通って、「観音正寺裏参道山上駐車場」に駐車。駐車場から10分程歩くと観音正寺。本堂横の登城道から10分で観音寺城本丸に到着。これが一番楽なルートになります。

・車で表参道(林道繖山線)を通って、突き当りの「観音正寺表参道駐車場」に駐車。駐車場からは400段(!?)の石段を上って観音正寺まで。400段の石段って何よと思われるかもしれませんが、麓からだと更に800段もあるのよ。

 

安土駅から徒歩またはレンタサイクルを利用した場合、代表的なのは下記ルートになります。どちらも石段を上ることになるで覚悟しておいてください。

安土駅から石寺楽市まで徒歩45分。そこから日吉神社経由で1,200段の階段を観音正寺までひたすら登ります。このルートは観音正寺への表参道にあたり、石段もしっかりしていますが、ひたすらキツイ。 

安土駅から桑實寺(くわのみでら)の登口まで徒歩25分。そこから桑實寺まで石段を上ること20分、更に30分ほど山登りすると本丸に到着。とにかくキツイ。

 

城への道のり

桑實寺への登り口

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安土駅から桑實寺への登り口まで徒歩で25分弱。私は近江八幡駅からレンタサイクルで30分かかりました。分かり難いですが、駐車場があります。

 

山門

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山門まではすぐ着きましたが、ここからが長かった。ちなみに山門を通るとセンサーが感知しチャイムがなります。桑實寺は有料なので、それでチェックしているみたい。

 

石段

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こんな立派な石段を15分ほど登ることになりました。でも、今から思うと観音寺城より立派な石段だったな。

 

桑實寺の本堂

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信長の「竹生島事件」の舞台になった寺です。信長が竹生島参詣に出かけた際、女房衆は留守の合間に羽根を伸ばしてました。ところが急に信長が戻ってきたため、桑實寺に参詣に訪れていた女房衆は処刑されました。

 

観音寺城への登城

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桑實寺を出てからが本番でした。途中で木が倒れていたり、石段が崩れていたりと、険しい山道を延々と登ります。途中に人気は全く無く、女性には全くお薦めできないルートです。帰りには滑って尻もちをついてしまいました。

 

城歩き

井戸跡

最初に目に入ったのは井戸跡です。今でも水が湧いていました。山城に井戸があると、生活や籠城を考慮していることが分かります。

 

伝本丸裏虎口

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桑實寺ルートだと本丸にいきなり着きますね。戦国時代の山城には珍しい石垣が築かれ、虎口が喰い違いになっています。

 

伝本丸

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「伝」と付くのは、本当に本丸だったか分からないから。ここより高い位置にある曲輪があること、観音寺城の曲輪の分布の西端にあることから、城の中核としてよいか疑問が持たれています。連歌師を招く余裕があるなら、ちゃんと記録を残せよと言いたい。

 

伝本丸の石垣

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伝本丸はそこそこ広く、周囲を石垣で囲われています。ただ、所々崩れていますね。木々に囲まれて見晴らしも望めません。残念。

 

大石段

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伝本丸跡へ登る大石段。この大石段がメインの登城ルートと考えられていましたが、2008年(平成20年)からの発掘調査にて、石段下に隣接する伝三ノ丸と繋がっていないことが判明しました。大石段下方から繋がるルートが他にも見つからず、謎は深まるばかりです。

 

伝平井丸の虎口

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観音寺城で一番の見所である伝平井丸の虎口。石垣の高さは4m弱あり、戦国時代の山城とは思えない立派さです。ただ、縄張りとしては単純な平虎口であり、シンプルなものになります。

 

伝平井丸屋敷跡

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曲輪の内の広さもなかなかのもの。この曲輪が本丸と言われても納得の広さです。

伝池田丸

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伝平井丸の先の伝池田丸。伝本丸や伝平井丸と比べると、周囲の石垣の石はやや小振りな印象。

 

感想

山城だからと覚悟していましたが、とにかくキツイ登城でした。桑實寺経由の山道はかなり荒れていて、それなりの覚悟が必要です。トイレも途中の寺で済ませておいてください。

城内は所々整備されている感じで、特に伝平井丸の虎口は圧巻です。ただ、城内に案内板を設置する等、もう少し整備してもらえると、100名城ということで訪問した観光客も楽しめると思います。今のままだと上級者向けの城ですね。

 

松山城(愛媛県松山市) 現存天守の残る日本三大平山城

日本三大平山城の一つである松山城。現存する天守を始めとした天守曲輪の見事さは流石の一言。小天守やその他の櫓が放火や戦災などのため焼失しましたが、総木造による復元が進められました。お城を見学した跡は、道後温泉でサッパリ汗を流しましょう。

日本100名城

2015年7月登城

満足度:★★★★★ 

 

 歴史

関ケ原の合戦の戦功により、加藤嘉明は伊予半分を賜り、勝山に松山城を築きました。その後、加藤嘉明と入れ替わりに蒲生忠知が封じられましたが、在城7年目に京都で病没し蒲生家は断絶。新たに桑名城主松平定行が封じられ、15代続いて明治維新に至りました。

  

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR松山駅から路面電車で「大街道」で下車。大街道から徒歩5分のロープウェイ東雲口からロープウェイかリフトで本丸に向かいます。もちろん登城道を歩くことも出来ますが、体力がないと疲れます。 

 

城歩き

リフトが気持ちいい!

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ロープウェイ東雲口からリフトかロープウェイに乗って本丸に向かいます。高所恐怖症でなければリフトがお薦め。ただし、雨の日はロープウェイのみの運行となります。

 

本丸の高石垣

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リフトを降りてから天守へはほぼ一本道。本丸の高石垣には圧倒されます。打込接の積み方が見事で、高さは15m近くはあるんじゃないかな。ここまで石を運んでくるのも大変だったろうに。

 

筒井門

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戸無門を進むとそびえ立つのは筒井門。本丸防御のための松山城最大の門です。ここの石垣は切込接ですね。

 

隠門

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筒井門の奥の石垣の陰に隠された隠門(上記筒井門の右側に隠れています)。敵が筒井門に殺到した時に、横から奇襲することを目的としています。面白い縄張りだな.

 

太鼓門・太鼓櫓

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筒井門から本丸に侵入してくる敵に備えた門。最終防御ですな。

 

本丸石垣

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ようやくたどり着いた本丸。屏風(びょうぶ)折の石垣が見事。ちなみに本丸までなら入城料はかかりません。

 

天守

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本丸より一段高い本壇(天守曲輪)になっています。天守は三重三階で、天守・小天守・櫓を四方に配置し、渡櫓でつなぐ連立式天守。当初は五層だったのですが、松平定行が三層に改築したそうです。どうりで少しずんぐりしていると思った。

 

本壇内の門

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一ノ門を潜ってからぐるぐる。これはいたる所から狙い撃ちされますね。

 

天守からの眺め

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見晴らしが抜群!石垣や櫓はもちろん、松山平野を一望できます。昔の殿様も同じように城下を眺めていたかもしれません。

 

感想

天守を始めとした建造物群が見事です。また、武家諸法度で城の増改築が規制されていたり、財政面から断念することも多かったのにも関わらず、現在の天守群が幕末に建造されていることも驚きです。昭和に小天守やその他の櫓が放火や戦災で消失しましたが、総木造による復元をしたというのも素晴らしい。地元の方の思い入れが強く感じられます。

 

宇和島城(愛媛県宇和島市) 藤堂高虎が築いた五角形の城

城作りの名手である藤堂高虎が築いた宇和島城。貴重な現存12天守のひとつが残っています。珍しい五角系の縄張りで、幕府の隠密も四角形と間違えたとか。残念ながら、当時の堀は埋め立てられてしまっていますが、城山の緑が眩しかったです。

日本100名城

2015年7月登城

満足度:★★★★ 

 

歴史

1599年 藤堂高虎宇和郡に封ぜられると、戦国時代の板島丸串城を大改修し、宇和島城としました。高虎が今治に転封となってのち、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、1615年に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大改修を行い、その姿を現在に残しています。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★★

JR宇和島駅から徒歩15分くらい。ただ、東京や大阪から宇和島まで行くのが少々大変。松山から特急で1時間半弱かかります。 

 

城歩き

案内板にあった古絵図

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古絵図を見ると、縄張りが5角形なのがよく分かりますね。江戸時代初期は2辺が海に面していましたが、平地が少ないため早くから干拓が進められ、現在は海城の印象はありません。

 

上り立ち門

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宇和島城の現存建造物は、天守と上り立ち門の二棟のみ。搦め手にあたる上り立ち門から登城してみました。

 

南国風

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お日様の光がまぶしいね。植物の緑が濃いです。江戸時代から守られている城山の草木が宇和島城の魅力の一つでもあります。

 

苔むした石垣

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草いきれのこもる苔むした石垣と石段。この雰囲気好きだな。こちらのルートは人が少なく、静かな時が流れていきます。あと汗も流れる。

 

天守

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本丸の端にぽつんと建つ天守。でも近づくと意外と大きいです。最上層に唐破風、2層と3層は千鳥破風で装飾されており、石落としなどはありません。江戸の平和な時代に建てられた領主の象徴的な存在のようです。もちろん中にも入れて、見晴らしが良かったです。

 

桑折(こおり)氏武家長屋門

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天守からの帰りは井戸丸を通って下りました。この門は城山の北登城口にある桑折(こおり)氏武家長屋門。元々ここにあった門ではなく、家老の桑折氏の長屋門として使用されていたものを戦後移転したものだけど立派だよね。家老って儲かるのかな。

 

感想

数少ない現存天守が残っているだけではなく、草木の緑と苔むした石垣の雰囲気が良かったです。普通は桑折武家長屋門から登城すると思いますが、帰りは上り立ち門へと下りると、また違った雰囲気が楽しめますよ。

 

グルメ

鯛めし

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宇和島名物の鯛めしは、鯛の刺身をタレと卵黄に混ぜ合わせ、ご飯にかけていただきます。写真は駅近くの「とみや」のセットの鯛めし。少し古びた雰囲気の店だなと侮ってスマン。美味しかったです。 

高知城(高知県高知市) 貴重な現存天守と本丸御殿

土佐24万石、山内家の居城であった高知城。全国に12しかない現存天守が残っているだけでもすごいのに、本丸御殿も残っています。石垣好きとしては、二の丸や三の丸の高石垣も見逃せません。カツオのたたきも旨かったぜよ!

日本100名城

2015年7月登城

満足度:★★★★★ 

 

歴史

関ケ原の合戦によって土佐一国を与えられた山内一豊は大高坂山に居城を定め、本丸と二の丸を完成しました。二代忠義によって三の丸が完成し、名を高智山と改め、これが後に高知になりました。

 山内一豊は妻(千代)の内助の功で有名ですが、土佐では長宗我部の残党にえげつないことしたようで地元の評判は微妙ですね。敵地を治めることになり、一豊も必死だったんだと思います。

 

交通アクセス

行きやすさ:★★★

JR高知駅から路面電車に乗って「はりまや橋」で乗換え後、「高知城前」下車。本数も多いし余裕です。のんびり 歩いても30分弱ぐらい。 

 

城歩き

追手門

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高知城の表門にあたる追手門から城内に入ります。門と矢狭間塀で囲まれた枡形で敵の攻撃を迎え撃ちます。渡櫓の中に入れないのが少し残念。

 

案内図

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本丸と二の丸が廊下橋で繋がり、三の丸がぐるっと囲みます。右下の板垣退助像あたりから本丸を目指します。

 

杉の段の石垣

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石垣は野面積み。高知は多雨地帯なので、排水が直接石垣に当たらないように石樋が舌のように飛び出ています。これを含め城内に16ヶ所確認されているそうです。南国ならではの工夫ですね。

 

三の丸の石垣

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人はあまり見かけませんでしたが、三の丸の高石垣が立派です。特に北側の石垣は野面積で苔生していて風情がありました。

 

カニ発見

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近くに川があるように思えないけどカニ発見。不思議だ。

 

本丸の天守

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こうして見ると、惚れ惚れするほど石垣が立派です。

 

廊下橋

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二の丸から本丸へはこの廊下橋を渡ります。私が訪問したときは夏祭りの最中で、二の丸には沢山の屋台が出ていて賑やかでした。

 

天守と御殿

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天守と本丸御殿。天守は4重6階の望楼型天守天守天守台の上に建てられることが多いのですが、高知城は曲輪に直接建てられています。また、2重と3重の間が間延びしており、個人的には少々格好悪いなと失礼な印象を持っております。

一応フォローすると、天守・御殿・廊下橋など本丸全体の建物が残っているのは高知城だけで、大変貴重です。

  

感想

本丸全体の建物が残っているだけでも凄いのに、縄張りや石垣もとても立派です。石垣好きなら三の丸の石垣は見逃せないですよ。城好きなら必ず行くべき城ですね。

「日本の夜明けぜよ!」

 

グルメ

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小料理屋の「磯の茶屋」さんのカツオのたたきが絶品でした。お薦めです。